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厨房という、理解できなかった空間。

せっかくなので、たまには調理師時代に習得したことで『役に立っている』と思ったものも書いておく。あくまで個人的に、という前提ですが。

それは『考えながら手を動かす』ということ。

どういうことか。


キッチンという場は、一度始業してしまえば、予断を許さない。仕込み、納品、器具の手入れ、皿洗い、掃除、盛りつけ……etc

しかし、やることが多すぎても、考える時間はないに等しい。

だから手を動かしながら、次に何をするか考えるのだ。

キッチンにおいては、包丁を動かしているとき、ただ切ることに専念しているようなものは、サボっているも同然なのだ。

だから彼らは、肉を叩きながら、下味をつけることを考える。

スープを煮詰めながら、それを仕上げるパセリのことや、鍋を洗うことを考える。

ときには、シェフに怒鳴られながら、したっぱを怒鳴ることを考えているかもしれない。


僕自身、こういうことを身につけるには、時間がかかった。

でも一度身につけば、クセのようなもので、日常での咄嗟の判断もできるようになる。

洗濯物を干しながら、掃除機をかけることを考えたりとか。


ただしこれは諸刃の剣でもある。

眼の前の作業に完全に没入できないというのは、午後から歯医者の予定が入っている一日のように、気が散る。

その日が歯医者という名の侵略者によって休日ではなくなり、ずっと何かしらの制約のもと、食事やら歯磨きやらを課せられる。

不自由さ。焦燥。その不快感が拭い去れないのだ。

その証拠に、今までにこやかに厨房に立っている人を見たことがない。


それに厄介なことに、ルールは店によって違う。

シェフが「宇宙が地球を中心に回っているんだ!」と言えば、その通りに行動する必要がある。

自分が今まで積み上げてきた価値観は、組み替えられる可能性のあるものとして、不安定になる。

つまりその世界にいる以上は、なにかしらの我慢と変化を強いられることになる、ということだ。


我慢をしながら、細やかな作業に全力を注ぎ、意識は次の動作を淡々と見据える。

その状態を、朝から晩まで維持する。

そんなことに耐えられる、超人じみた神経の持ち主たちが働いている戦場。それがキッチンという場所なのだ。


いっぽう、人間である僕はそこから早々にリタイアした。

そしてその戦場をこうして遠く眺め、文字を綴ることだけに集中し、喜びを感じている。

どちらが向いているかは、人それぞれなのだ。

何が言いたいかというと「歯医者の予約は、午前の方がいい」ということです。

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