もう6回目くらいになる。 初めて京都マラソンに参加したのは、「ボランティア枠」が創設された年だった。 前年にボランティアをさせていただいたので、それで採用してもらった。 その時はPBを狙ってサブ4を目指していた。 そしたら、地方情報誌の「京都リビング」に掲載したいと取材依頼があり、写真を載せる必要があったから、当時働いていた上司が撮ってくれて、飲み会でテンション高々の満面の笑みの写真を送った。 その後、地方テレビから「めっちゃ笑ってたから明るい人かなと思って」と取材依
そのままでいい、と ありのままでいい、は違う。 そう考えさせられたのは、 養護学校時代の恩師から聞いた エピソードだった。 恩師は、小学校での教員生活を引退し、定年後は保育園の園長になった。就任当初は、保育士たちから少し距離を置かれている状況だったそうだ。教育と保育。言葉としては似ているようで、考え方が違い、「教育現場から来た人だ」と自分たちのやり方を変えられるのではないか、保育のことはどうせ理解できないだろう、そんな目で見られてきたそうだ。 ある日、保育園で縄跳びを持
めちゃくちゃショックを受けた。 やりきれない気持ちになり、母に思わず感情を吐き出してしまった。 どんなに辛いことがあったんだろう。 そう思うかもしれないが、全く大したことない。 酒瓶を玄関で落として、無駄にしてしまっただけだ。 「結構どんなことでも受け入れられるかも」 なんて、甘いことを感じていたからかもしれない。実際、20代の時に許せなかった人や出来事に対して寛容になり、自分の感情を揺さぶられるということが少なくなっていた。 寛容になるのは、歳を重ねれば自然に身につく
「石は持って帰ったらあかんよ。 河原の石は怨念がこもってるから。」 小さい頃、どこかで集めた石を持って帰ってきたら、母親に言われた。怖くなって、でも返しに行けなくて、そっとお墓の片隅に捨てたような記憶がある。 この話を仲間にすると、「そんなの聞いたことがないよ」と言われ、一般的ではないのだなとわかった。じゃぁ、なんで母はダメだと言ったのか。理由がわからなかったけど、ある知人から「それは“賽の河原”が元になってるんじゃないか?」と言われた。 “賽の河原”は、仏教の言葉だ。
京都には、同和地区と呼ばれる場所がいくつかある。そのうちの一つが、京都駅の北東に位置する崇仁(すうじん)地区だ。 先週末に、京都ちおん舎読書会の15周年記念会に参加した。京都ちおん舎のことについては、また改めて書こうと思う。読書会では、教育者であった、森信三先生の著者『修身教授録』という、教育者として大切にすべきことが書かれている本を読む。参加者全員で輪読し、読後感について意見交換をする。掃除に学ぶ会と同時期に発足された会で、掃除が実践とすれば、読書会は理論。両輪を学ぶため
先日、ヒプノセラピストの藤原理恵さんが 人気YouTubeのToland vlogに出演していた。 ちゃんりえこと、藤原理恵さんのことは、3年くらい前にSNSを通じて知った。 ズバッとものを言う感じが潔くていいなぁという第一印象だった。それから、InstagramやFacebookの発信内容を見ていると、使う言葉が周りの人とは違い、さらっと読んだだけではなかなか理解し難いものが多かった。難しいけど、何か本質的なことについて語られているような気がして、何度も読み返し、文章表
環境が人を育てる。 よく聞く言葉だけど、"人を育てる”という言葉に引っ張られて、“環境”のイメージが、人間関係だったり、組織のルールだったり、仕組みづくりなどのソフト面を指しているように感じていた。 ただ、ルールを改革しても、効果が出るまでに時間がかかり、人間力に依存すれば再現性が低いものになる。環境づくりというのはなかなか難しいものだと思っていた。 でも、確実に誰でも簡単に、人が育つ環境は作れる。 それが“掃除”である。 きれいな環境を常に整えることは大事だが、きれいな
9月にnoteを始めて、ポツポツと続けていた投稿が、1週間空いた。 元旦から意気込んで毎日書こうと思っていたけど、仕事が始まった途端、後回しになった。 もう、この勢いでやめようかなと思ったけど、インプットの多い日々に、やっぱり書きたいという気持ちになる。書きたい、というか残したい、というのか。 「記憶が薄れていっているのに気がついて、残しておきたいと思った。人生をかけて作ったんだ」 昨年、東日本大震災のボランティアをしていた当時の写真と寄稿文をまとめた冊子を、ある方から
「今年は親に感謝して、“ありがとうございます” という言葉をたくさん使ってね」 年末に、とある人からチラシデザインの依頼を受けたときに、依頼者からお礼にと、占いのような、2024年の私の運気を教えてもらった。 「2024年は親や身仏に感謝してね。今年は5の数字が巡ってきてるから、思いつきでパッと行動せずに、よく考えてみて。心を落ち着かせる瞑想とか坐禅もいいね。色はブルーを身につけて」 子どもの頃から雑誌の占いページが好きでよく読んでいた。占いが好きだというとバカにされそ
「地震やっ!」 午後4時過ぎ、珍しく家族が一カ所に集まっている時に、横揺れの地震があった。東日本大震災を思い出させる、船酔いするような揺れ方。見ていたテレビがすべて地震情報に切り替わり、警報音とアナウンサーの危機感を促す強くて低い声が鳴り響く。 富山県に母の弟が住んでいたから、母がメールを送っていた。母の兄によると、年末に京都の実家に帰っていたようだが、大晦日に富山に戻ったという。すぐに返事がなく、やきもきしながらも、東日本大震災ほどひどいものではなさそうだと高を括っていた
年末は、毎年家族で居間に集まり、紅白歌合戦を見る。夕食は年越しそばをさらっと食べ、紅白を観ながらお酒やお菓子をつまみ、ゆく年くる年を見てから布団に横になると、お腹が苦しくて胃もたれしていた。 小学生くらいから今まで、30年近く続いていたルーティーンが、今年は全く違う過ごし方になった。 「もうしんどい、寝る」 紅白歌合戦が6組ほど終了した後、風呂上がりの母が言い出した。えー、と不満に思いながらも、父がパソコンでも観れるらしいで、というので、風呂に入った後、それぞれの自室に
引き寄せの法則。 そう聞くと、なんだか胡散臭いと思う人もいるだろう。 私自身がそうだ。引き寄せの法則といえば、スピリチュアル界隈では、思考が現実化するから、自分の好きなことを好きなだけして、気分がハッピーになれば、自分の欲しいものを引き寄せることができる、という話がある。スピリチュアル系のすべてがそういう解釈をしているわけではないが、自分の好きが他人の好きに入れ替わって無理して高級ブランドのカバンを身につけて資金繰りに苦しむ、なんて話も聞いたことがある。 だけど、最近、本
年末は、姉家族と妹家族が実家に来る。毎年楽しみにしている時期だ。姉と姪っ子は、大晦日の朝まで滞在するというので、お寺の年末準備を一緒に手伝ってもらった。 毎年12月30日の早朝からお餅つきをする。前日からもち米を10㎏分洗って水につけておくのだけど、冷水を使って手を真っ赤にさせながらする作業は少し億劫だった。 「みんなで一緒にやろうよ!その方が早く終われて楽しいでしょ!」 来年中学生になる姪っ子が声をかけてくれて、小学校2年生の姪っ子と3人でもち米を洗うことになる。米粒が
久しぶりの投稿になる。 ブログを始めてから、5日間も休んだのは初めてかもしれない。 ランニングも、一週間ほど走れていない。 そんな日々が続くと、再開するのにエネルギーがいる。 ブログのネタ帳にはいくつもタイトルが並んでいるのに、いざ書き出そうとすると億劫になる。 「アトピーの人はね、執着心が人よりも強いのよ。握りしめたものをなかなか手放せない」 いわゆる“見えないものが見える人”に、先日あった際、自分はアトピーなんだと伝えると、そんな風に返ってきた。時々、そういう人に出
スマホを触っていると、懐かしい人からのLINE電話に思わず応答した。テレビ電話になってて、スッピン、スウェット姿だったもんだから少し焦る。それでも画面に出た顔が出逢ったころと変わってないもんだから、一瞬であの頃へタイムスリップした。 「同期の存在は貴重やでー」 大卒で入職したての頃、よく先輩に言われていた。転職を2回経験すると、少しそれを実感する。社会人1年目として、同じスタートラインを切り、働くことのしんどさを実感し、失敗して恥ずかしい経験をしたり、先輩たちへの不満や、
今日は冬至。 1年で、一番夜が長い日。 「陰極まれば陽に転じ、陽極まれば陰に転ず」という言葉がある通り、冬至を過ぎれば、夏至に向かってだんだんと日が長くなる。 冬至までに、今年やり残したことを書き出そう!という言葉を目にし、一番に思い浮かんだのは、デザイナーとしての活動がスタートできなかったことだった。これから取り組んで今年中にできなかったとしても、コツコツ準備を積み重ねていきたいな。そうやって書き出してみたら、あと4つほど出てきたので、備忘録として書いてみる。 ・海外