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愚か者が世界を変える

めちゃくちゃショックを受けた。
やりきれない気持ちになり、母に思わず感情を吐き出してしまった。


どんなに辛いことがあったんだろう。
そう思うかもしれないが、全く大したことない。
酒瓶を玄関で落として、無駄にしてしまっただけだ。


「結構どんなことでも受け入れられるかも」
なんて、甘いことを感じていたからかもしれない。実際、20代の時に許せなかった人や出来事に対して寛容になり、自分の感情を揺さぶられるということが少なくなっていた。


寛容になるのは、歳を重ねれば自然に身につく。でも、感情を揺さぶられないということは、楽しむという感性も失われている気がした。


「こだわりの日本酒で結構高かったのに。ちゃんと割れないように気をつけて持ってたのに。」


気持ちが自分の中で消化できなくて、母にブツブツ言っていた。お酒が大好きな母だから、一緒になって「もったいないことしたな」とさらに追い討ちをかけられるのかと思ったら、案外前向きな応えが返ってきた。


「玄関が清められてよかったね。4、5日前からゆみちゃんに悲しいことが起こる気がしていたけど、この程度で済んでよかった。だからもう大丈夫」


母は、普段ものすごくネガティブに物事を捉える人だ。そんな細かいこと気にせんでいーやん、と思うことも、悪い方向に捉える。ちゃんとしなくてはいけないというレッテルとそれをできていない自分を受け入れられず、それを他人の悪意のせいにして、◯◯だから悪いのだ、と毎日愚痴を聞かされている。


玄関が清められたんならいっか。
母の一言で救われた。
野良猫が舐めて怪我しないように、小さいガラスの破片を残さないように、丁寧に拾っていく。


母は、学がない自分のことを悪く言い、世間知らずのアホやから、と卑下していた。毎朝早起きして、墓掃除をし、洗濯はほぼ怠ったことはない。料理もしんどいしんどいと言いながら、家族で出かける日でさえ、朝ごはんを作り、家事をこなしている。昼寝中に誰かが訪れれば、すぐに起きて身を整え、玄関に向かう。寺の奥さんという仕事は地味にハードだ。それでも、自分はすごいとは思えないようだった。


行き過ぎた卑下は、自分にも他人に対してもいい影響を与えない。でも、謙虚であることは大切だ。


先日の勉強会で「還愚(げんぐ)」という言葉を知った。文字通り愚に還る、という意味で、浄土宗を興した法然上人の言葉だ。法然上人は当時、比叡山で随一の天才と言われ、周りからも期待されていた。その時代、仏教は頭のいい人にしか理解できないものだという風潮があり、上流階級の限られた人のものだけだった。しかし、法然上人は自分が愚かだと気づき、念仏に徹した。そこで確立されたのが、どんな人でも念仏を唱えれば誰もが救われる、という浄土宗の教えだ。鎌倉時代、親子兄弟で殺し合い、世の中が争いに満ちていた時代に、多くの人を救った。


自分は天才だ、自分は正しいと思っていると、知らず知らずのうちに行動が制限される。考えが偏り相手のことを受け入れられなくなる。また、頭が良いからと考えすぎると立ち止まってしまう。愚に還ることで、法然上人は新たな悟りを得られた。


ソクラテスの「無知の知」も有名な言葉だ。自分の持っている知識や経験を信じている人より、むしろ自分の知っていることは大したことない、と開き直っている方が、相手の意見も聞き入れられる。


聖徳太子の十七条憲法にある「共是凡夫耳」という言葉でも力説されている。「共に是れ凡夫のみ」つまり、あなたも私も凡人なんだ、という心持ちだと、対立や争いは生まれない。


最近、ちょっと調子に乗っていたのかもな。ボランティアをしていると、どうしても「いいことをしてるね」「すごいね」なんて言われがちだけど、自分はただ楽しいからやっているし、仲間に会いに行ったり、新しい価値観に触れられるという、コミュニティが好きなだけだ。趣味の集まりにいく、という感覚と同じである。自分はまだまだ。そう思うことで新しいことを学び、旅をするパワーにもなる。


もっと美味しい日本酒を探す旅にでも出かけようか。

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