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保育と教育
そのままでいい、と
ありのままでいい、は違う。
そう考えさせられたのは、
養護学校時代の恩師から聞いた
エピソードだった。
恩師は、小学校での教員生活を引退し、定年後は保育園の園長になった。就任当初は、保育士たちから少し距離を置かれている状況だったそうだ。教育と保育。言葉としては似ているようで、考え方が違い、「教育現場から来た人だ」と自分たちのやり方を変えられるのではないか、保育のことはどうせ理解できないだろう、そんな目で見られてきたそうだ。
ある日、保育園で縄跳びを持って遊んでいる男の子がいた。パチン、と縄を後ろから前に持ってくるも、一度床に叩きつけてから、片足ずつ跨いで、また後ろから縄を持ってくる。タイミングよくジャンプできなかった。
保育園の先生たちは、「頑張ってるね、そんな遊び方もいいね」と、その状況を受け入れていた。でも、恩師はその様子をみて、男の子に声をかけた。
「縄跳び、飛べるようになりたいの?」
男の子は頷く。
「じゃぁ、まず片手で縄跳びを持って、それに合わせてジャンプしてみようか」
それから、男の子の縄跳び練習が数日続いた。そして、ついに縄跳びができた。
すると、男の子の目がキラキラ輝き、嬉しそうに何回も跳ぶ。
「先生、見て!見て!」
と何回も縄跳びを跳び、一度コツを覚えればどんどん跳べるようになった。
先生は、あのキラキラした目が忘れられないと言っていた。そして、これが保育と教育の違いなんだと、教育のやりがいを語っていた。もちろん、保育を蔑んでいるわけではない、保育の素晴らしさもある。むしろ、保育だの教育だの線引きなんて存在せず、それぞれの良さを活かすことが、子ども成長に繋がる。
それでいいじゃないか。
できなくてもいいんだよ。
そういう言葉に救われることはある。たんぽぽがひまわりのように明るく華やかになりたいと願っても、難しい。それよりも、どこにでも生息できる強さや遠くへタネを飛ばせる魅力に気づいた方がいい。あなたはあなたのままでいいという言葉は、自分の魅力の再発見へのきっかけとなる。
男の子は、縄跳びがしたかった。
縄跨ぎをしたいわけではなかった。
「縄跳びをしたい」という気持ちに寄り添うのならば、縄跳びができるようにやり方を伝えたり、わかる人を紹介したり、環境を整えてあげた方がいい。
自分のやりたい、という気持ちに気づき、一緒に夢を叶えようとしてくれる大人が子どもは大好きだ。恩師は今は園長を引退しているが、いまだに当時通っていた園児が母親と一緒に家に訪れる。引退時に園児や父母からもらった寄せ書きには、感謝の言葉が書かれてあり、縄跳びを跳べるようになった男の子のメッセージも書かれてあった。
自分の言葉は、本当にその人の気持ちに寄り添えているのか。それを忘れずにいたい。
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