天国か、地獄か。

「石は持って帰ったらあかんよ。
河原の石は怨念がこもってるから。」



小さい頃、どこかで集めた石を持って帰ってきたら、母親に言われた。怖くなって、でも返しに行けなくて、そっとお墓の片隅に捨てたような記憶がある。


この話を仲間にすると、「そんなの聞いたことがないよ」と言われ、一般的ではないのだなとわかった。じゃぁ、なんで母はダメだと言ったのか。理由がわからなかったけど、ある知人から「それは“賽の河原”が元になってるんじゃないか?」と言われた。


“賽の河原”は、仏教の言葉だ。子どもが親よりも早く亡くなると、親孝行ができなかったという罪になる。河原で石を拾って積み上げるのだが、途中で鬼がきて、せっかく積んだ石の塔を壊してしまう。そして、また積み上げるという話から、報われない努力をすることを「賽の河原の石積み」と表現される。


母親の実家もお寺だったから、そう教えられて育っても不思議ではない。そういえば、母が昔、「じごくのそうべえ」の紙芝居を作って読み聞かせてくれたことを思い出した。


地獄にはいろんな種類がある。
糞尿地獄や針山地獄、熱湯地獄などなど、次々と送り込まれる地獄を、そうべえたちはそれぞれの得意分野を活かして乗り越えていく。“地獄”という恐ろしさをユーモラスに描いた絵本は、子どもながらに魅力的だった。


地獄を描いた作品で思い出すのは、神木隆之介主演の映画『TOO YOUNG TO DIE! 若くして死ぬ』。公開目前に、スキーバス転落事故があり、公開が延期された。この映画で描かれていた「退屈な天国より地獄の方が楽しい」という場面が印象に残っている。


最近、どうせ苦しいんだったら、モヤモヤと自分の頭の中だけの世界で苦しむよりも、誰かに振り回されても、外部との交流の中で苦しむ方がいいと思うようになった。無職の期間、何もしていないことに焦り、焦る思考を停止させるためにSNSでダラダラと時間を過ごしていた。ストレスがないはずなのに、心がしんどかった。刺激の少ない日々が、自分にとってこんなに退屈で不安なんだと改めて知った。


無駄な動きや、失敗して余計に苦労するかもしれないけど、動いていないよりは全然いいなと思う。神木隆之介演じる主人公が天国よりも自ら鬼になって地獄を選んだ気持ちがなんだかわかる気がした。


じごくのそうべえの話に戻ると、お話自体はわかりやすく、楽しい物語なのだけど、人としての生き方の本質をついているようにも思う。

「こんなもん、たいしたことないわい!」



どんな困難が訪れても、仲間と力を合わせながら、乗り切っていく。地獄でさえも考え方一つで笑いに変える。目の前で起こる世界は、自分がどう見るかによって天国にも地獄にもなるのだ。


大人になっても改めて読んでみると、また違った視点でみることができる。


あとは、自分はちゃんと親孝行できてるのかな、とちょっと不安になった。大の大人だけど、賽の河原で石積みをしなくていいように、限られた時間を大切にしていきたいと思う。

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