義務か、自由意志か
9月にnoteを始めて、ポツポツと続けていた投稿が、1週間空いた。
元旦から意気込んで毎日書こうと思っていたけど、仕事が始まった途端、後回しになった。
もう、この勢いでやめようかなと思ったけど、インプットの多い日々に、やっぱり書きたいという気持ちになる。書きたい、というか残したい、というのか。
「記憶が薄れていっているのに気がついて、残しておきたいと思った。人生をかけて作ったんだ」
昨年、東日本大震災のボランティアをしていた当時の写真と寄稿文をまとめた冊子を、ある方からいただいた。その冊子を読んで、心が動かされた。一番感動したのは、寄稿文だ。一人一人の物語があった。現地の人たちから逆に励まされたこと、ボランティアをする側として、大切にしたことなど、生の原体験に臨場感があり、中には涙を流しながら読んだ文章もあった。
そんな大層なことはしてないし、届いているのかもわからないけれど、今すぐじゃなくてもいいから、誰か必要な人に必要な言葉が自分を通して伝わったらいいなと思う。
前置きが長くなったけど、今回は義務としてやるのか、自分の自由意志としてやるのか、そんな話を仲間としたので、未来の自分に投げかけるつもりで書いてみる。
私は7年ほど休日に清掃活動をしている。
京都掃除に学ぶ会という団体名で、ホームページの更新や「世話人」と呼ばれる、会を運営するためのお手伝いをしている。ひょんなことから、7年も続けることになったのだけど、色んな人と出会えることが面白く、仲間に恵まれて続けられている。
昨日、若手交流会があり、仲間がふと話した言葉が気になった。
「自分がこの活動に参加することが義務になってしまったら離れようと思ってる」
この言葉を聞いた時、正直、私自身は義務になっているなと思った。疲れてしんどい、仕事の締切がある、でも行かなきゃ。そんな日もある。
どちらがいい悪いではないけど、義務によくないところがあるとすれば、「やらされ感」が出てしまうことなのかもしれない。ただ、義務の使い方にもよる。
「警察官だからこうする。それを誇りに思う。」
そうおっしゃった元警察署長の方の言葉を思い出す。義務だけど、自分の意志で選んでいる。
きっと、義務というのは、責任でもあり、そこに自分が選択したという覚悟があれば、思い通りにならなかったり、辛いことがあったとしても乗り越えられるのかもしれない。
自分が選んでいることが、他人の評価からの恐怖なのか、自分の覚悟としての選択なのか、今一度振り返ってみたい。
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