一年の計は元旦にあり。いつもと違うお正月。

年末は、毎年家族で居間に集まり、紅白歌合戦を見る。夕食は年越しそばをさらっと食べ、紅白を観ながらお酒やお菓子をつまみ、ゆく年くる年を見てから布団に横になると、お腹が苦しくて胃もたれしていた。


小学生くらいから今まで、30年近く続いていたルーティーンが、今年は全く違う過ごし方になった。


「もうしんどい、寝る」


紅白歌合戦が6組ほど終了した後、風呂上がりの母が言い出した。えー、と不満に思いながらも、父がパソコンでも観れるらしいで、というので、風呂に入った後、それぞれの自室に分かれてバラバラになった。


ちょっと寂しさを感じつつ、そういえば、ブログを書いてしまおうと1記事書き上げ、その後床で横になったらそのまま寝てしまった。年越しの瞬間はいつも起きていたのだけど、気が付いたら1時になっていて、軽くショックを受けた。


その時電話が鳴る。


「除夜の鐘の後半が3時から5時に変更になったみたいよ!」
東京から知人が京都に来ていた。昨年、ご縁あって妙心寺の退蔵院で初めて坐禅体験をしたのだが、その体験会の企画をしてくれたのがこの知人だ。知人というべきか友人というべきか、会うのは坐禅会以来で2回目だから、友人というには知らないことが多い。その知人は50代くらいの女性で、お花の先生をされている。物の言い方がはっきりしていて、コミュニケーションをとっていると、予想を超える返しがくることが多いのだが、裏表がない性格は嫌いじゃなかった。


彼女は、時々季節の節目ごとにLINEで連絡をくれる。お花の先生をしているから、中秋の名月や十五夜、十三夜など、季節を感じる生け花の写真を送ってくれる。クリスマス前には、スワッグを送ってくれた。“ケルトの妖精がお家を温めてくれますように”というメッセージが添えられており、素敵だなと思った。


そんなプレゼントをいただいたこともあって、夜中に妙心寺の除夜の鐘を一人で聞きに行くと連絡があった時、何かお返し渡したいなと思った。でも、年越しの瞬間はいつも家族と過ごすから無理だと思っていたら、妙心寺の鐘は前半と後半に分かれており、0時から90回つき、5時に残りの18回をつくのだという。5時なら会えるかなということで、うっかり約束をしてしまった。


生まれてこの方、除夜の鐘というのを聞きに行ったことがない。ゆく年くる年などでみかけるような、多くの人が集まって、ライトでその場が明るく照らされているイメージがあった。約束の時間に行ってみたら、駐車場は解放されているものの、一台も停まっていない。鐘を聞こうと待っている人は、私と彼女の2人だけだった。あたりは真っ暗で少し小雨が降っている。


「鐘をつくのを途中でやめる理由ってみんな知らないんだって」


妙心寺の鐘800年以上前のもので、国宝になっている。「黄鐘調(おうしきじょう)」と呼ばれるその鐘は、日本で最も古い梵鐘と言われている。90回までついて、残り18回は後でつくという謎の慣習の理由は、誰も知らないのだという。


「なんで90回でやめたんだろう。って探偵の気分で考えてたの」
「いつかの時代に途中で紐が切れたとかじゃないですか?」
「でも、次の年に戻せばいいじゃない。続ける理由がないと」
「うーん、誰か亡くなって、鎮魂の意味で続けているとか?」
「どうかな」
「91個目から煩悩の種類が変わるとか!」


そんな会話をしながら、鐘つき担当の和尚さんが30分ほど遅れてきて、無事鐘がつかれた。1分に1回程度の速度でつき、残響音が小さくなってから次をつく。800年前から鳴らされていた鐘の音が体に響く。鐘が鳴っている間、雨がきつくなり、空気が澄んでいるような気がした。


20分ほどで鐘つきが終わった。そのまま門前で分かれ、だんだんと空が白くなっていく空をみながら帰路に就いた。


家に帰ったらその勢いで、お仏飯も作って仏様にあげ、今年はお雑煮作りを手伝った。いつも寝起きの低血糖状態でぼーっとしながら渋々やっていることも、一度体を動かしているから、フットワークが軽かった。そして、家族そろってお雑煮を食べる。


いつもの違うお正月の過ごし方は、予め計画していたものではなく、予想外で少し違和感を覚えつつも、新しい体験をすることができた。2024年の幕開けがこんな感じだから、今年はきっと新しい体験をたくさんして、夢にも思わない素敵な出来事が起こるだろう。


そんな風に前向きに希望を持てた元日となった。


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