吉田神社でのトイレ掃除

環境が人を育てる。
よく聞く言葉だけど、"人を育てる”という言葉に引っ張られて、“環境”のイメージが、人間関係だったり、組織のルールだったり、仕組みづくりなどのソフト面を指しているように感じていた。


ただ、ルールを改革しても、効果が出るまでに時間がかかり、人間力に依存すれば再現性が低いものになる。環境づくりというのはなかなか難しいものだと思っていた。


でも、確実に誰でも簡単に、人が育つ環境は作れる。
それが“掃除”である。
きれいな環境を常に整えることは大事だが、きれいな空間にいるだけではだめだ。人が掃除をする。汚れたものをきれいにする。その行為自体が人を育てるのだ。イエローハット創業者の鍵山秀三郎氏は、「誰でもできることを誰にもできないくらい続ける」と言っていた。たかが掃除、されど掃除。


環境づくり、という意味合いでも、今回の掃除について深く考えさせられた。


吉田神社は、節分祭で有名な神社だ。吉田山周辺に出店が立ち並び、とてもにぎわう。節分の鬼やらい神事が有名で、京都の表鬼門を守り続けている。かつては、吉田神道が広がり、神道界に絶大なる権威を得て隆盛を極めた。


そんな由緒ある神社に、20年以上前から掃除の会とご縁ができ、毎年節分祭の前にあたる1月に月例会を行うようになった。宮司さんからのお話だと、最初は十数にしかいなかったという。今では、吉田神社の敷地内にある吉田幼稚園の先生も参加し、今回は総勢52名の参加となった。


小学生の男の子も2人、参加してくれていた。私は別の班だったので、途中の様子はみていないけど、閉会式で班の代表として話してくれた言葉に心動かされた。



「最初はくさいし、トイレ掃除はずっといやだって思ってたけど、今日やってみて、これからはもっとやってみてもいいかなって思った。」


小学生前から、お父さんに連れられて街頭清掃には参加していたけど、小学校にあがり野球を始めてからは、ちょっと掃除に行くことが面倒になってきている様子で、このまま思春期に突入して来なくなるかな、なんて思っていた。だから、この言葉を聞いて驚いた。子どもの吸収力と柔軟性、素直さにはいつも驚かされる。


もう一つ、別の班で嬉しいエピソードを聞いた。
その班は、毎年境内の掃き掃除をしている。吉田神社は敷地が広いから、地元の人もよく散歩にくる。


「誰の許可を得てしてるんや」


掃除をしていると、いつも声をかけられていたという。掃除のボランティア、というと聞こえがよく、誰にでも歓迎されそうなイメージがあるけど、受け入れてもらえないケースは意外と多い。それは、掃除の活動がいや、ということではなく、自分たちのテリトリーに入られること、そこでいい顔をされることが面白くない人たちもいる。実際、いいことをしている、という表の顔だけが注目され、裏では地元の人にかえって迷惑をかけている団体もいる。


だが、今年は違った。
「いつもありがとうございます」とあいさつされたという。いつも声をかけていた人だから、容姿も覚えていたようだ。その変化に、みんなで喜びあい、続けることの大切さ、そして、掃除をしている姿勢の大切さを改めて考えさせられた。


52名の参加というのは、いつもの月例会よりも人数が多い。それは、毎年1月の第二土曜と決まっていることもあるけど、とある恒例行事もその要因の一つだろう。


お掃除の後、出来立ての温かい豚汁がいただける。
濡れた雑巾で拭き上げたそばから床が凍るという、寒い時期に寒い場所で掃除した冷え切った体に、この豚汁が染みるのだ。掃除の会の主婦のみなさんが、2日前に有志で集まり、下準備をしてくださっていた。


掃除で心の汚れを落としたところに、愛情たっぷりの豚汁で満たされる。参加者の素直な笑顔が印象的だった。



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