同期は一生の宝物

スマホを触っていると、懐かしい人からのLINE電話に思わず応答した。テレビ電話になってて、スッピン、スウェット姿だったもんだから少し焦る。それでも画面に出た顔が出逢ったころと変わってないもんだから、一瞬であの頃へタイムスリップした。


「同期の存在は貴重やでー」


大卒で入職したての頃、よく先輩に言われていた。転職を2回経験すると、少しそれを実感する。社会人1年目として、同じスタートラインを切り、働くことのしんどさを実感し、失敗して恥ずかしい経験をしたり、先輩たちへの不満や、組織の仕組みに納得できず、時々吞みながら不満を吐き出す。何の経験もない真っ新な状態で出会う機会は、その時1回限りだ。


電話がかかってきたのは、新入職員として初めて正社員として働いた職場の同期からだった。画面には、もう一人懐かしい顔が映っている。どうやら、お互いの家族同士でクリスマスホームパーティ中にかけてきたようだ。2人とも2児の父親になり、それなりの役職に就き、お父さんとしてもがんぱっている。少し酔っているようだった。


そういえば、こんな風にして、あの頃もたまに電話がかかってきてたなと思い出す。一緒に飲もうと夜中に誘われて、面倒だからとぞんざいに断って切ってたな。ライフステージは変わっても、話すとあの頃と同じようなノリで、会話のテンポも変わっていない。


3人で一度、岐阜県のスキー場に出かけた時があった。いつも急に誘ってくるもんだから、予定があったけど、楽しそうだったから、資格講座の勉強を放って、夜中0時に集合して車で向かった。私はスノボー初心者で、2人は玄人だったから、テンション上がってスベり放題の男子を横目に、何度も何度も転びながら、1つのコースを滑りきるのにも一苦労だった。疲れ果てて、お昼12時頃にベンチでうたたねして、爆笑されたのを思い出す。


「インドに行ってたんやろ」と冗談めかして言われる。寺の娘で、海外に一人で行っていたのを知っていて、イジってくる。独身で実家暮らしだと言ったら驚きながら少し憐まれて、今度男紹介するわと言われた。


30代も半ばになると、いくら時代が変わってきたとはいえ、日本にいると世間的なレッテルが気になってしまう。とくに女性はその傾向が強い。婚活市場だと、20代と30代では価値に雲泥の差ができる。人の価値は年齢で決まるものではないということは、倫理観として持ってはいるものの、社会と関わっている限り、残酷な数字が突き付けられる。


それでも、一時期よりかは、劣等感を感じなくなってきた。もっと切実に感じた方が、行動に移しやすいのだろうけど、気持ち的には楽になってる。だから、「まだ独身なん」と言われても、まぁそんな人生もあるよね、と自分に寛容でいられた。


10年以上いた職場を退職した理由の一つでもあった。「あの子まだ結婚してないんだってね」とささやかれるのが嫌で、その冷ややかな視線に耐えられなかった。入職当時は、可愛い可愛いとちやほやされて、調子に乗って言い寄ってくる男性を酷評し、年齢を重ねるにつれてそんな男性すら減っていき、同期や後輩たちが結婚、出産とライフステージを変えていき、自分がみじめだと感じていた。


今思えば、なんてちんけなプライドを持って、人のことをバカにしていたんだろうなと思う。周りの人間に〇や×をつけていたから、自分に対してもそんな風にしかみれず、勝手に自己嫌悪に陥り、傷つかないために、人との間に壁を作っていた。人と関わりながら、「ここからは入ってくるな」と自分を出さずにいた。


だから、いつまで経っても心から信頼しあえる人間関係ができない。そんな自分が恋愛上手になんてなれるわけもなく、自分を褒めてほしい、認めてほしいと承認欲求の塊で、他人に評価を求めていた。自分で自分の人生を操縦していなかった。いや、全部過去形で書いているけど、今もそういう部分はある。


だけど、そのことに気づいてからは、ちょっとずつ、人間関係も変化している。まだまだ発展途上ではあるけど、人の生きる時間なんて一瞬なんだから、そんな自分じゃない人生を生きることに費やす時間はない。


「なんか雰囲気変わったなぁ」と言われ、それが誉め言葉なのか、けなされているのかわからなかったけど、久しぶりに会う人との醍醐味は、自分の変化を感じれることなのかもしれない。実現するかどうかはわからないけど、「また同期で集まろうや」と声をかけあって電話を切る。たった15分くらいだったけど、思いがけない楽しい時間を過ごすことができた。





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