見出し画像

尾崎世界観さんの『母影』を読んで、主人公の親子に向けられた僕のまなざしは、同情なのだろうか、憐憫なのだろうか、それとも羨望なのだろうか、ということを考えた。

今日が発売日だということを本人のインスタで知って、仕事帰りに近所のジュンク堂に立ち寄ってみたものの、新刊コーナーにも話題作のコーナーにも文芸書の棚にも見当たらない。

仕方がないので、検索端末で探そうかと思ったら、店員さんが目の前を通りかかったので、「すみません、尾崎世界観の新作、ありますか?」と尋ねてみる。

「えっと、尾崎…せかいかん、ですか…」

早くも僕は彼に声をかけたことを後悔するが、一生懸命検索を続ける人に対して今さら「やっぱりいいです」とは言えないし、そもそも僕の今のこの思考こそ、自分が書店員のときに感じていた「あんたの『常識』がみんなの『常識』だと思うなよ」の類いなわけで、「しばらくお待ち下さい」と5分後に戻ってきた彼の手にしっかりと『母影』があったことで、僕はよしとしようとそのときは思った。

でも、レジに並んでいるうちに、僕が来店前に思い浮かべていた「尾崎世界観の新刊、本日発売! どーん!!」という光景とのあまりのギャップに、せめて、ちょっと、いったいどこに展開されていたのかがどうしても気になり、会計後に、もう一度、店内を見回してみた。

芸能人コーナーや芸術書、外文やビジネス書の棚まで探してみたけど、やっぱり見つからず、さすがに、さっきの店員さんに「あれ、どこに置いてあったんですか?」とあらためて聞くのもはばかれ、結局僕はそのまま、とぼとぼと家路に着いたのであった。

しつこいようだけど、別に僕は「ジュンク堂の店員たるもの、芥川賞候補にもなった話題作を知らないとはナニゴトだ」ということが言いたいわけではなくて、単純に自分と「世間」との乖離を確かめたかった、ただそれだけだ。

だから、自宅への帰り道、たくさんのサラリーマンたちと肩を並べて歩きながら、僕は「そっかそっか」と、妙にさっぱりした気持ちでいて、その時点で、今夜は酒を片手に本書を一気に読んでしまおうと決めた。

だから、読む読むと期待させていた『パリの砂漠、東京の蜃気楼』は、いったん、中断。

今夜は、本書の余韻に浸らせてください。




ギターもベースもドラムも全部
うるさいから消してくれないか
今はひとりで歌いたいから
少し静かにしてくれないか


クリープハイプの「バンド」という曲の中に、そんな歌詞が登場する。

尾崎世界観の底知れぬ孤独感を見事に表現したフレーズだが、そう歌った後で、尾崎はこう続ける。


こんな事を言える幸せ
消せるということはあるということ
そしてまた鳴るということ
いつでもすぐにバンドになる


本書を読み終えた僕も今、同じような気持ちでいる。

このインスタの場で、いつでも、また、皆さんとお話しできる、という前提があるからこそ言える。


今はひとりで浸りたいから、
少し静かにしてくれないか。






これは、「こんな事を言える幸せ」をまだ手にしていない、そんな親子の物語だ。

彼女たちに向けられた僕のまなざしは、同情なのだろうか、憐憫なのだろうか、それとも羨望なのだろうか。

そんなことはどうでもいいじゃないか、と思う一方、でもそこにこだわる自分もいる。

そして、この小説が「発売日に一等地にどーん」じゃなくて、僕は少しだけ安堵していたことに、今さらながら気がついた。

そうかそうか。
そういうことか。

だからもう、こんな世界は捨てちまおうぜ。

そんなことを、頭の片隅で思ってしまった自分の感傷を、あたかも本書の読後感のように書いてしまう自分っていったいなんなんだろうってことを、さっきからずっと考えている。

小川洋子が、
奥泉光が、
川上弘美が、
堀江敏幸が、
吉田修一が、本書についてどう評したか。

今は、それすらも、どうでもいいから静かにしてくれ。

僕は今、そういう気持ちでいる。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?