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有吉佐和子さんの『悪女について』を読んで、もし自分のことを27人の男女が詳細に語ったインタビューが500ページの長編小説にまとめられたならと想像しながら震えた。


【その一】たなべけいた(仮名)の話
あー、僕がなんでSNSをやらないかですか? そうですね、なんでだろ、やっぱり、あの人の存在ですかね。昔の職場の先輩なんですけど、文章書くことについては、ほんとにモンスターみたいな人がいるんですよ。あんなの読まされたら、自分で書こうなんて思わないですよ。あ、でも、あれですよ、あの人、文章書くこと以外は、ほんとにダメな大人ですからね。まあ、ちょっとここでは言えないエピソードばっかりですよ。

【その二】むらたおさむ(仮名)の話
エリア長ですか? あー、覚えてますよ。かなり厳しくやられましたからね。しょっちゅう、「この売場はどういう意図で作ったんだ」って。いちいちそんなこと考えてねえよって思ってました。なんか、いつもクールで、プライベートの話はしにくかったですね。社長に気に入られていたから、あのまま、どんどん出世していくかと思ってたら、ある日、突然、辞めちゃって。最後まで何考えてんだか分からない人でしたね。あのあと、残された僕たちは大変でしたよ。身勝手な人だなって。そんな印象しかないですね。

【その三】さとうよしこ(仮名)の話
先輩には、いろいろお世話になりました。でも、たぶん、わたしのこと、ずっとバカにしてたんじゃないかな。そういうのって、わかるじゃないですか? 妙にナルシストなとこあったし、正直、尊敬するふりして「気持ち悪っ」って思ってましたよ。いまいち、女性にだらしないとこありましたしね。いや、まあ、噂でしか知らないですけど。

【その四】こじまみよこ(仮名)の話
いやー、あいつ、めちゃくちゃ話が面白くて。あんなにしゃべる男も珍しかったですよ。ずーっと自分のこと、話してましたからね。いや、わたしは別に嫌じゃなかったですよ。聞いてて楽しかったし。

【その五】せきねかなこ(仮名)の話
おにいちゃん、今から考えると、よく会社員なんてやってたなあって。人に厳しく指導するなんて、あの人にはできないんじゃないかな。できたとしても、きっと辛いに違いなかったと思う。あんなに繊細な人は、なかなか、この世界では生きづらかったと思いますよ。

【その六】のもとしんや(仮名)の話
ええ、覚えてますよ。なかなか見所あるやつだって、最初から思ってました。なにしろ、いくら僕が怒っても、全然、気にしないんですよ。むしろ、軽口を叩いてくる。だから、徹底的に鍛えてやりました。あいつが繊細な男? いや、それは絶対、ないですよ。あれほど怒りがいのある部下は、もうあらわれないかもしれないですね。まあ、真面目一辺倒で、もっと、遊べよなって思ってましたが。

【その七】もりまりこ(仮名)の話
絶対に忘れないし許しませんよ、あの人のことは。体だけが目的なら別にいいんです。でも、あの人は、心も体も、みたいな感じじゃないですか、あれが一番イヤでしたね。とにかく、思い出したくないんで、もういいですか?

【その八】ほそみみえこ(仮名)の話
いつも、わたしの話を、じっくり聞いてくれる人でした。彼がよくしゃべる? いや、いつも、わたしが話を聞いてもらってばかりで。彼が自分のことを話してるところなんて、一度も目にしたことないですよ。

【その九】きくちのりお(仮名)の話
ひらのくんが女にだらしない? いや、それは、絶対にないです。だって、あんなに女性に対して誠実な男は見たことないですから。僕、一度、ひらのくんに女性関係でめちゃくちゃ怒られたことがあって。今から振り返って、あのときの忠告がなかったら、と思うと、彼には感謝しかないですね。
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もういい、やめてくれ。

誰もが「本当のこと」を話しているのに、どれもが「本当の僕」からは程遠い。

これが、27人続くと思うと、僕には耐えられない。



有吉佐和子の『悪女について』を読んだ。

スキャンダルにまみれて謎の死を遂げた女性実業家の生前の「素顔」を、彼女に関わった27人の男女へのインタビューで浮き彫りにしようと試みた長編小説だ。

確かに、謎も問題も多い、「悪女」と罵られても不思議ではない女の物語だ。

しかし、文庫解説でもある通り、本書には、肝心の「本人の肉声」が一切、描かれていない。

そして、27人の男女が語る「彼女」は、それぞれイメージが違いすぎて、あるいは、相互の証言が矛盾だらけで、そもそも本当に彼女が「悪女」だったかどうかもあやしくなる。

つまり、これは、芥川の『藪の中』と同質の、人間の悲しい性を描いた物語であり、最後まで「答え合わせ」をしない作者の姿勢に、僕は心から感服した。

本書をミステリーと考えた場合、これは「どんでん返し」のない凡作となりうるわけだが、そもそもこれは、人間ドラマの傑作として読まれるべき作品だから、この読後のもやもやは、もはや必然だ。

これを読んでいるあなたも、自分のことを、27人の男女が詳細に語ったインタビューが500ページの長編小説にまとめられたと想像してほしい。

そこに、「本当のあなた」が描かれていると思いますか?

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