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さぬき
2021年11月10日 16:44
かえまだん、俗称ではキャマダと読む。平安時代後期の東北地方で、源頼義・義家親子が、東北の豪族、安倍頼時・貞任(さだとう)・宗任(むねとう)親子を鎮圧する戦がありました。(前九年の役)源義家(通称・八幡太郎義家)が安倍貞任を追って見分森の近くを通った時、愛馬の香月が倒れてしまいました。その地に丁重に香月を葬り、新しい馬に替えました。後にそこは壇山と呼ばれ、牛馬の埋葬地となりました。
2021年11月3日 10:49
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館昔、面塚(めんづか、現水沢区佐倉河字下川原)に、北郷隆勝(きたごうたかかつ)という人が住んでおりました。※北郷隆勝・・・きたごうたかかつ。仙台藩家臣に名前が残されているので、その人物と考えられる。満々と水をたたえた、四米(メートル)余りの堀の内は、大樹が欝蒼と繁って、南蛮渡来という大鶏の刻を告げる声が、犬の吠えるに似た音を響かせていました
2021年10月31日 20:34
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【七章】沼は静かに女性は静かに小夜姫の前に座ると、深く頭を垂れました。そして自分はかつて、高山なる掃部(かもん)長者の妻として、栄華の生活を送っていたが、あまりの欲深と邪悪さから神仏に見放され、大蛇の苦患(くげん)を受け、この地に棲むこと実に九百九十九年、この年月のうちに眉目良き女を服すること九百九十九人なり、この度は姫君に巡り会い、未来
2021年10月31日 17:44
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【六章】姫と大蛇翌日、吉実の妻は、小夜姫があまりにも美しいので、大蛇の贄(にえ)にすることを可愛想になりました。そのことを夫吉実に話すと、吉実は顔を変えて、実は贄のことは小夜姫にはまだ話していない旨を告げました。いづれ小夜姫に話さねばならぬことなのだが、どういう風に話し出したらいいのか、そのことで疲れた割に昨夜はあまり眠っていないこと
2021年10月28日 20:00
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【五章】小夜姫【三節】旅はいつしか伊達領に入っていました。千賀の浦からは船でした。※千賀浦・・・ちがのうら。宮城県松島湾南西部の浜辺。小夜姫は博多から乗った船の経験があったので、眉をひそめましたが、船の進む波間に、多くの緑の松の生えている島々の浮かんでいるのには驚きました。そこは松島でした。小夜姫は、この世にこんな美しい風
2021年10月28日 12:47
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【五章】小夜姫【二節】筑紫はもう、春が過ぎようとしていました。博多から馬を捨てて、船に乗りました。船路は必ずしも穏やかなものばかりではありませんでした。奈良から再び陸路に変りました。しかし路銀の都合もあって、馬を雇うことはできませんでした。したがって吉実一行はもちろん、姫も硬い草履の旅でなければなりませんでした。慣れぬ
2021年10月27日 19:30
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【五章】小夜姫【一節】丁寧な挨拶をしながら破れた笠を取った小夜姫の顔を見た吉実は、アッとあやうく声を上げるところでした。顔は少し汚れて、髪も幾日も櫛(くし)づけていないらしく、麻糸の乱れを思わせるものがありました。でも澄んだ眼から鼻筋の通り、美しい桜貝を合わせたような唇など、自分の娘を見たのではないかと、いぶかったほどでした。こん
2021年10月25日 13:07
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【四章】松浦長者【三節】それから二十一日目、長者の妻の懐妊は確かなこととなり、夫婦の喜びは一方ではありませんでした。※一方ならぬ・・・ひとかたならず。並ひととおりではない。普通ではない。三月は神隠しの月、五月は彰月、九月の苦しみ、あたる十月と申し、御産の紐を解きます。※産の紐を解く・・・出産する。分娩する。十月十日(とつきとおか)
2021年10月24日 15:59
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【四章】松浦長者【二節】長谷寺への道は難渋(なんじゅう)を極めました。山あり、川あり、森や林、ことに旅慣れぬ長者の妻の苦労は痛々しいものがありました。茨に手は破れ、足は凸凹道によって豆ができ、それが破れて血が流れていました。しかし子を願う一念の前には、その苦労も物の数ではありませんでした。長谷寺に着くと、御手洗川に下りて三十三
2021年10月24日 15:00
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【四章】松浦長者【一節】第二十七代、安閑天皇の代に、九州は筑紫肥前松浦の里に、松浦長者と申す者が住んでおりました。※安閑天皇は在位531~536年。古墳時代。※筑紫肥前松浦・・・つくしひぜんまつら。筑紫は九州の総称。肥前は現在の佐賀県、長崎県。そこに松浦郡があった。※時代背景がバラバラな話が出てくるので正確ではない。その長者の
2021年10月24日 14:09
2021年10月2日 16:04
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館【三章】吉実の苦悶吉実一行が釣りに来た日は、贄(にえ)を上納する八月十四日の一ヶ月前に当たっていました。数えてみると確か、今年の贄上納の当番は、机地庄兵ェ尉でありました。※机地庄兵衛尉・・・つくえじしょうべえのじょう。おそらく机地という地域の庄兵衛という老翁。そうすると、来年は吉実であらねばなりませんでした。吉実はすっかりふさ
2021年9月28日 15:00
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館ずうっと昔その昔、千年ばかりも前のことであります。西山に一人の樵(きこり)が住んでおりました。元は沢山の人達も山に住んで、薪を伐ったり炭を焼いたりして暮らしていましたが、何のためか一人減り二人減りして、今ではこの樵が一人残っているだけとなってしまいました。樵は妻を亡くし、三人の娘と暮らしていました。一番目の娘も二番目の娘も気ままば
2021年9月26日 18:42
参考文献「いさわの民話と伝説」 編:胆沢町公民館小山字弁天堤下の地に、弁天如来像が祀られてありました。この木像は実に古いもので、所々に蛇の形が彫り付けられてあります。昔、平泉全盛時代に建立せられたとも言い伝えられ、またこの地を開発した岩淵右近の氏神であったとも言われ、土地の信仰は相当に深く、毎日参詣人は群れを成し、絶えることがなかったと言われています。堂は弁天堤の中央に建てられ、参