深読み_スプートニクの恋人_プロローグ後篇1

『深読み 村上春樹 スプートニクの恋人』プロローグ後篇 ~故郷の空~



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スナックふかよみ にて


だけどさ、なんで『故郷の空』をあんなふうに男女がイチャイチャするエッチな替え歌にしたのかしら?

ザ・ドリフターズがコミックバンドだったから?

それとも作詞した なかにし礼の遊び心?

違うんだよ、深代ママ。

あれは原曲であるスコットランド民謡『COMIN THRO' THE RYE(ライ麦畑で出逢うとき)』の世界観に沿った内容なんだ。

『誰かさんと誰かさん』も『故郷の空』も。

え? そうなの?

でも全然違うじゃん。

五十嵐大介と渡辺歩は、この2つの和訳『麦畑』から究極の「麦畑の物語」を作り上げたんだ。

なにそれ? どういうこと?

・・・・・

じゃあ説明しよう。

その前に、まずは『故郷の空』をじっくり聴いてほしい。

これのどこが『誰かさんと誰かさん』みたいにエッチな歌なの?

ふるさとを想って歌う、いかにも美しい曲じゃない。

日本の原風景「ザ・郷愁」って感じ。

この歌詞が「パンスペルミア説」に聞こえることには気付いた?

え?

パンスペルミア説って『海獣の子供』で「生命の起源」として描かれたやつだよね。

星にある海が「産みの親」で、そこから生命が宇宙(そら)に拡散されたっていうやつ…

その通り。

パンスペルミア説とは、生命の起源に関する仮説のひとつ。

生命は宇宙に広く多く存在し、地球の生命の起源は地球ではなく他の天体で発生した微生物の芽胞が地球に到達したもの、とする説のことだね。

確かに『故郷の空』の1番では、父と母がすごく遠くにいて、まるで会ったこともないみたいに歌われる…

そして2番では、今見ている景色が、遠い故郷の景色に似ているかもしれないと歌われる…

当たり前よね。生命が育つ環境なんだから似てるに決まってる。

ちなみに「パンスペルミア」というのは「スペルマをパン(拡散)させる」、つまり「精子を撒き散らす」という意味だからね。

あ、そっか。言われてみればそのまんまね。

だから『海獣の子供』で、流れ星のことを「精子」って呼んでたんだ。

でも『故郷の空』が作られた頃って、まだパンスペルミア説なんてなかったんでしょ?

そうだね。だけど『故郷の空』は、きちんと「生殖行為」の歌になってるんだよ。

ホントに? あたしには全然わからない。

春木さんもわからないでしょ?

うむ…

しかし実に興味深いストーリーだ。ぜひ聴かせてくれないか。

はい。

猥歌であるスコットランド民謡『COMIN THRO' THE RYE』を『故郷の空』という歌詞に翻訳したのは、国文学者で詩人の大和田建樹…

大和田建樹(1857 - 1910)

ウィキペディアにも書かれているけど、大和田の作詞した『故郷の空』に対して、こんなことを言う人が多いらしい。

「大和田は『COMIN THRO' THE RYE』の歌詞をよく知らずに作詞した」

だけど僕は断言する。それは大きな間違いだ。

大和田建樹は原詞をよく理解した上で作詞している

・・・・・

ホントに? 歌の中でキスもしてないじゃん。

そんなことないよ。原曲に負けないくらい「お盛ん」だ。

キスどころか射精にも至ってる。しかも複数回。

ええ!?

まさに国文学者の面目躍如。これぞプロの仕事だね。

僕は最初にこれに気付いた時、感動と興奮のあまり、大きな声を上げてしまったくらいだ。

どういうこと? 教えて岡江クン!

ではまず1番の歌詞を見てみよう。

夕空晴れて 秋風吹き
月影おちて 鈴虫なく
思えば遠し 故郷の空
あゝわが父母 いかにおわす

あゝ!なんか臭う!

イカ臭い!

・・・・・

もう!春木さんったら!

また勝手にイカゲソ持ち込んで食べてる!

ここはお店なの!そういうことしちゃダメって言ったでしょ!

すまん、つい…

まあまあ、深代ママ。

さっきは春木さんが持ち込んだ卵のおかげでブランデー・エッグノッグが飲めたんだからさ。

ブランデーではなくてブランディー・エッグノッグです。

それは確かにそうだけど…

じゃあ今日だけは大目に見てあげる。

でも次回からは絶対にダメだからね!わかった?

はい。

だけどさ、そのイカゲソちょっと臭いが強すぎない?

こんなに店中イカで臭わせちゃって。まったく、もう…


ん?

やっと気付いた?

あゝわが父母…

イカ…臭わす…?

だから琉花の父・正明と母・加奈子は、お茶の間で交わったんだね。

琉花は家に帰って来て、こう思ったはずだ。

「なんでお茶の間がイカ臭いの?」

まさか!

その前にも琉花は、海の生物図鑑の表紙を嗅いで「パパの匂い」と呟いた。

匂いを嗅いだ場所には「亀の頭」が描かれていたよね…

あれも「イカ臭わす」だったんだ。

マジで?

そして安海家の台所のゴミ箱が映るシーンがあったんだけど、僕の記憶が正しければ、裂きイカの袋が捨てられていたと思う。

加奈子もイカ臭い女だったんだ。

なんてこと…

でも最後の一行だけじゃん、エロいのは。

他の部分には全然セクシャルな要素がない。

さっきも言ったはずだ。

大和田建樹による翻訳は、プロの仕事、国文学者の面目躍如だって。

大和田は、ある超有名人のソングを引用することで、『COMIN THRO' THE RYE』の「素朴で大らかなエロス」という世界観を完璧に再現しているんだよ。

超有名人?おおらかなエロス?

誰よそれ。

大伴家持だよ。

大伴家持(718 - 785)

おおとものやかもち?

あの万葉集の人?

そう。万葉集全20巻4500首の中の、なんと一割もの歌を詠んでいる人物。それが万葉集の編纂者でもある大伴家持だ。

大和田は猥歌『COMIN THRO' THE RYE』を邦訳するにあたって、直接的ではなく間接的に世界観を表現した。

国文学者らしく、日本が誇る「おおらかなエロス」の大家、大伴家持の歌を引用することでね。

そこに気付けないと『故郷の空』を、ただの「郷愁ソング」だと思ってしまうことになる。

まあ発表された1888年以来、ほぼ100%の日本人が気付けなかったんだけど…

・・・・・

130年間も、誰も気付けなかったこと!?

なんだかいつもに増して凄いことが始まるんじゃない!?

あたしもうドキドキしてきちゃった!

深代ママ。「おちつけ」

ハッ。ごめん。

『故郷の空』1番の「夕空晴れて 秋風吹き 月影おちて 鈴虫なく 思えば遠し 故郷の空」の部分は、大伴家持のこの歌がもとになっている。


雨晴れて 清く照りたる 此の月夜(つくよ) また更にして 雲なたなびき


「つきよ」じゃなくて「つくよ」なの?

そう。「突くよ」にかけてあるからね。

え?

そして「また更にして」は「もう一回して」という意味になってるんだ。

最後の「雲なたなびき(雲よ、月にかからないでくれ)」の「雲」とは「精液」のこと。

「月」はもちろん女性の象徴だね。

この歌は、禁欲期間が終わって久しぶりに恋人と会い、嬉しさのあまり「二回戦しちゃいました💛」という歌になっているんだよ。

まあ!

かつて陰暦の九月は忌月とされ、恋人と会って性行為をすることが憚られたそうだ。

だからその謹慎期間が明けることを男女は楽しみにしていたという。

春木さんも詳しいのね。そういう方面に。

こう見えて若い頃はブンガク青年でしたから。

バカみたいに古今東西の書物を読み漁りましたよ。サルのように。

では、このソングの本当の形も御存じですね?

大伴家持は、4つのソングで1つのショートストーリーを作った。

いわゆる「秋歌四首」です。

このソングは4番目のソング。つまり起承転結の「結」にあたります。

さすが。

え?え?どうゆうこと?

「起承転」があるの? 聞きたい、それ!

せっかくだから紹介しておこうか。

まずは「起」のソング。

ひさかたの 雨間(あまま)も置かず 雲隠り 鳴きぞゆくなる 早稲田(わさだ)雁が音

表向きの意味はこんな感じ。

「休みなく降り続く秋の長雨。雲の中を鳴きながら遠ざかってゆく早稲田の季節の雁の声よ」

もしかして…カリって…

その「もしかして」だよ。「雨(あま)」は「女(あま)」だね。

「ひさかたの 雨間(あまま)も置かず」は「愛する人と久しく会えていない」という意味になっている。

そして「雲隠り 鳴きぞゆくなる 早稲田(わさだ)雁が音」は「私のカリは悲鳴をあげて暴発しそう」という意味になっているんだ。

まあ!まさに「起」のソングじゃん!

そして「承」のソング。

雲隠(くもがくり)鳴くなる雁の ゆきて居む 秋田の穂立(ほだち)繁くし思ほゆ

「哀しい声をあげながらカリが行ってしまった」と歌われている。

つまり、恋人を想って、ひとり果ててしまったんだ。

そして「秋の田のように繁った穂立」を思い浮かべる。

恋人の下腹部に繁る陰毛のことだね。

かわいそう…

ねえ、岡江クン。ひとつ聞いていい?

なに?

男の人って、出さないと体によくないんでしょ?

やっぱり岡江クンも…してるの?

へ?

深代ママ。そういうデリカシーに欠けたことを聞いてはいけません。

男って繊細な生き物なんです。

ごめんなさい。ちょっと気になってただけなの。

だって岡江クン、ずーっと彼女とか作らないんだもん。

もしかしてゲイなのかなーって思っちゃったりするわけよ、あたし的には。

なんかサブの表紙に出て来そうな坊主頭だし。

心配無用。彼は男の中の男です。私にはわかる。

さあ「転」のソングを。

ありがとうございます。では「転」のソングを。

雨隠(あまごもり)心欝(いぶ)せみ 出で見れば 春日の山は 色づきにけり

これは、こんな意味になっている…

女性を避けなければならない忌月は、心も憔悴してしまう。でもようやくそれが明けて、愛する人に会うことができた。向こうも私に会えて、歓びのあまり、身体が鮮やかに紅潮してるではないか!

そして「結」のソングで「二回戦自慢」しちゃうわけね。

男って、ほんとバカ。

でもそんなところが可愛い。

この4つのソングを踏まえて、大和田建樹は1番を作詞したんだね。

大伴家持の「おおらかなエロス」は、まさに『COMIN THRO' THE RYE』の世界観を日本語にするのにピッタリだから。

じゃあ2番の歌詞は?

「澄んだ水」とか「玉のような露が満つ」とか「兄弟」とか、完璧に『海獣の子供』っぽいわよね。

澄みゆく水に 秋萩垂れ
玉なす露は 芒に満つ
思えば似たり 故郷の野辺
あゝわが はらから(弟妹)たれと遊ぶ

この2番も大伴家持のソングがもとになっている。

だけど今度は万葉集ではなくて、大納言藤原公任が編纂した『三十六人撰』に収録されているソングだ。


さをしかの 朝たつをのゝ 秋萩に 玉とみるまで 置ける白露


ホントだ!「秋萩」「玉」「露」が一緒!

しかも「朝たつ」とかモロに言っちゃってるし(笑)

このソングはストレートに「男の生理」を歌ったものなんだよ。

「さをしか」は「さ(小さい・早い)をしか(牡鹿)」なんだけど、これは「愚息・ジュニア」つまり「男性器」という意味だね。

しかも「竿(さお)」という韻も踏んでいる。

「朝たつをのゝ」で、「朝立ち(朝起ち・朝勃ち)」する「をのこ(男)」という意味になっているわけだ。

うまい!さすが天才歌人の大伴家持!

そして「秋萩」は和歌の世界で「牡鹿」とペアで使われる花。

つまり「女性器」の象徴なんだ。

ちょっと待って。

『故郷の空』では「秋萩垂れ」って言ってなかった?

それってさ…

あまり細かいことは気にするな。花の形は人それぞれだ。

「世界で一つだけの花」というではないか。

う、うん…

そして最後の「玉とみるまで置ける白露」は、「愛する彼女のために、出さずにとっておこう」という意味だね。

実にわかりやすい。

だから『故郷の空』の2番は「あゝわが兄弟(はらから)たれと遊ぶ」という歌詞で締め括られるんだよ。

元ネタが「精子」の歌だから。

なんだかもう、驚きを超えて感動の域だわ。

これから『故郷の空』を聞くたびに、ニヤニヤしちゃうかも。

でもそれが正しい鑑賞法だからね。そもそもが猥歌なんだから。

作詞した大和田建樹も本望だと思うよ。

僕が大和田本人なら、歌詞の真意を理解してくれる人がいなかったら、絶対に淋しい。

そうね。

あたし、この話を他のお客さんにも広めるわ。できるだけたくさんの人に。

文部科学省のお役人さんとか偉いセンセイとか、頭の固い人たちには怒られそうだけど…

人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。

そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。

へ? あたしたちは…大丈夫ってこと?

いかにも。

つまり私が言いたいのは、この深読みを激しく支持するということです。

春木さん…ありがとうございます…

ねえ岡江クン。

『誰かさんと誰かさん』と『故郷の空』がどっちも健全なエッチな歌だってことがわかったから、そろそろ原曲の話をしてくれないかしら?

スコットランド民謡『COMIN THRO' THE RYE』の話を…

OK。

では解説しようか。『COMIN THRO' THE RYE』と『海獣の子供』の深過ぎる話を…

・・・・・



つづく




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