踊場ヒロシ

1970年代最後の年に生まれ、デラシネえ人生を送る初等遊民。殺伐としたポエムと適当なエッセイ。そんな感じで、もういいですか? ※詳しくはwebで!https://twitter.com/odoriba1998

踊場ヒロシ

1970年代最後の年に生まれ、デラシネえ人生を送る初等遊民。殺伐としたポエムと適当なエッセイ。そんな感じで、もういいですか? ※詳しくはwebで!https://twitter.com/odoriba1998

マガジン

  • くらしのスケッチ

    今日が人生最後の日なら

  • 生まれ変わったら僕はウェイトレスになりたい。

    主に2000一桁年代に書いていたデラシネえ感じのポエーム群。今はもう書けないと思う不気味さがある。

  • おもひでボロボロ

    ボロは着てて心もボロ

  • あの頃、ペニー・レインで。

    たべものエッセイ

  • 音楽の話をする時は大丈夫な時

    その人の好きな音楽を知ることは、その人の心の中に流れる音楽を知ることだ

最近の記事

あー

死ぬ間際に「あー楽しかった」と言って死ねたらいいね。 そんな言葉を聞くことがある。なるほど、理想的だ。 でも、自分にはそれは難しいかな、と思っている。 というのは、僕の祖父母はいずれも晩年に認知症になり、最期は息子や孫が誰かもわからないような、ぼんやりした状態でこの世を去ったからだ。家系的に僕もそうなるような気がしている。 人には、いや少なくとも僕には、人生を総括する機会は訪れないのではないか。 あるいは突然命を落とすかもしれない。実際、若い頃に車で大きな交通事故を

    • 何も知らずに生まれてきて すべてを忘れて消えるのならば この世は夢と何が違うか

      • 陰口を言わない人

        陰口を言わない人は素晴らしいと思う。 でも僕はそういう人をどうも信用できない。 よく言われる話で、人が団結するための簡単な方法は、共通の敵を作ることである。つまり、陰口を言わないということは、共通の敵を作らない、「あなたとは仲間になるつもりがない」という態度なのだ。 素晴らしいことだ。僕も派閥争いみたいのはつまらないと思うし、大嫌いだ。 陰口はかなりの確率で本人に届く。陰口を言う人は得てして人望がないので、こいつを陥れてやろう、と思われるからだ。 陰口を言うことは、

        • 花っていうものは、はかないものなんだからね

          「卵子は増えない」 最近インターネットを眺めていて初めて知り衝撃を受けた、43歳子供2人持ち男性の私である。義務教育レベルの知識らしい。 女性が生まれた時に持っている原始卵胞は約200万個。それが思春期までに約30万個に減少し、以降、毎月約1,000個ずつ減少していく。単純計算で40歳くらいで尽きることになる、ということだ。 知らなかった。私の認識は、卵子は一方的に減るだけではなく再生産もされ、個人差はあれど、長く元気な卵子を持ち続ける人もいるのだろう、という程度だった

        マガジン

        • くらしのスケッチ
          49本
        • 生まれ変わったら僕はウェイトレスになりたい。
          54本
        • おもひでボロボロ
          45本
        • あの頃、ペニー・レインで。
          33本
        • 音楽の話をする時は大丈夫な時
          25本

        記事

          甲子園美容師

          大学生の頃、近所の美容室に通っていた。 近かったから。近いから近所という。 ある日のカットでのこと。私を担当してくれている店長さんに髪を切ってもらった後、顔剃りの時間になった。ぐいーんと椅子が倒される。 「彼、甲子園出たことあるんですよ」 店長さんに紹介されて傍らに立ったのは、見慣れない若いスタッフ。ご存知のように、サロンではカットの担当と、顔剃りやシャンプーなどのオプションは担当が分かれることが多い。 私は特に野球好きでもないので大したリアクションもしなかった。ポ

          甲子園美容師

          嘘をつかないための嘘

          あれは小学校3年生の頃だったろうか。ある朝、兄と一緒に登校していると、唐突に、「お前、好きな女とかいるの?」と聞かれた。 言うまでもない。初恋が保育園児の頃だった僕はその後も毎年違う女の子を好きになっていたのだが、その時はツインテールが似合うKさんのことが好きだった。 しかし、いつの世も小学生男子には、恋愛は恥ずかしいものだ、という価値観がある。素直に認めることはできない。 しかし、「いない」と言ってしまえば、この胸の中にあるKさんへの思慕を否定してしまうことになる…。

          嘘をつかないための嘘

          レモン水

          大学の卒業式が終わってしばらく後。友達に連れられて小さなイタリアンのお店に行った。大学生としての最後のランチだった。 僕らは窓際のテーブル席に座った。 差し出されたお冷やに口を付けると、レモンの味がした。 それ以降、僕はその日そのお店で何を話したかを、一切憶えていない。 そのレモン水のことしか憶えていない。 僕の好みから考えれば、カルボナーラを頼んだと思う。カフェオレを飲んだと思う。煙草を吸ったと思う。浪人生になった僕の暗い新生活の話を自虐的に語ったと思う。 でも

          クラムチャラウダー

          秋が深まってきた。 こんな季節は、コンビニなどでクラムチャウダーの文字を見かけることが多くなる。貝が入ったシチューみたいなやつだ。 僕は基本的に魚介類があまり好きではないので、シチューだと思って食べたらリアルな貝の味がしてショックを受けたという、禍々しい記憶がある。 ところで僕には「クラムチャウダー」が「クラムチャラウダー」に見える。何故かと言えば、特に深い理由はなくて、小学校の時の給食で出たクラムチャウダーが、同級生の間でクラムチャラウダーと呼ばれていたからだ。 意

          クラムチャラウダー

          CORSAGE DEVANT

          そのお店の名前を、今でもふと思い出す。 インターネットの検索窓に打ち込んでみるが、ヒットするものはない。 それならば、僕が記録するしかないだろう。 金沢で大学生をしていた1990年代末の、ある日のこと。購読していたファッション雑誌『FINEBOYS』をめくっていると、あまりにもカッコいいブーツが目に飛び込んできた。 「MIHARAYASUHIRO」 聞いたことがないデザイナーだ。 当時の僕は、ラフシモンズのスクールパンクコレクションに感銘を受けたアントワープ主義者

          友達リクエストを削除

          極めて低次元の話である。 私は学生時代の同級生からのfacebookの友達リクエストを削除したことが、二度だけある。メッセージを添えない、リクエストだけのリクエストだった。拒絶した理由は、彼らはただの元同級生で、友達ではなかったからである。 しかし、そもそもfacebookの「友達」など友達であるはずもない。例えば仕事で一度会っただけの人と「友達」になることもある。 私は彼らに何を見てリクエストを受けなかったのだろうか。二人の素性を話してみよう。 二度のうち一度は小、

          友達リクエストを削除

          ちょっとやそっとじゃ殺し合いはやりませんよ

          「意外と、言えば変わるものなんだなって思いました」 以前、若い部下から言われたことがある。私たちが、ある学校を卒業した人たちを、本人たちが希望する機関に割り振るという交渉をしていた時のことだ。 候補者の一人Aさんが希望する機関から「受入れ不可」の回答があった。理由は、「Aさんは卒業試験の成績が我々が要求する水準を超えていない」というものだった。 ふむ、Aさんの調書を読み込んでみると、確かに試験の成績はよくなかったが、平素の実力は十分にある。志望動機もクリアであり、学校側

          ちょっとやそっとじゃ殺し合いはやりませんよ

          プロレスでもやるか

          私は総合格闘技があまり好きではない。と言うと、「すわ、お前プロレスファンか」という反応があるかもしれないが、その通りである。正確には「元プロレスファン」ではあるが、今回はそんなぼんやりとした思い出の話。 中学生の頃、全日本プロレスが好きだった。ハマったのは中1の時で、たまたま深夜に放送されていた『全日本プロレス中継』で見た永源遥の回転エビ固めに感動したからだ。 それまでの私のプロレスに対するイメージは、空手チョップとか16文キックとかバックドロップくらいで、「どこがレスリ

          プロレスでもやるか

          夢は、僕の生活には必要ない。

          もう10年も前の、つまらない思い出。 あるアーティストのライブに行った。当時は長男が1歳になったばかりで、妻に「悪いけどちょっと行ってくる」と言って暇をもらったのだった。 開始前に物販を眺めて、ドリンクを買ったことは憶えている。しかし、肝心のライブの内容はまったく憶えていない。 それなりに良かったとは思う。思う、というのは、記憶が飛んでしまったからである。 そつなく本編が終わり、立て板に水の拍手が起こり、そつなくアンコールが終わった。 客電が入る。となれば、これ以上

          夢は、僕の生活には必要ない。

          小説を読む人、読まない人

          これは読書好きの人なら、少なからず知っている言葉である。至言と言えよう。 と言っておきながら、私は小説をあまり読まない。好んで読むのはノンフィクションやビジネス書、実用書、思想書、自己啓発書、エッセイなどだ。 小説をあまり読まない理由を浅薄に述べるとすれば、それは現実ではないからである。自分が現に生きる世界の有り様を知り、技術を知り、自分の人生をより良くするものではないからである。 では、小説をよく読む人の理由は何なのだろか。代表して小説愛好家の友人を召喚すると、曰く、

          小説を読む人、読まない人

          まともな独身女性

          同僚の独身女性に、「ある程度の年齢で独身の男性と女性を比べた場合、感覚としては、圧倒的に女性の方がまともな人が多いと思うんですけど、どう思いますか?」と聞いてみた。いろいろ失礼な話だ。 彼女は、「そりゃあ、自活できる女性はまともだから自活できるんですよ」と答えた。 なるほどねえ…。確かに、この日本社会で女性が一人で生きていくのは、知力、体力、調整力、人格、あらゆる面で男性以上の能力や努力が必要だろう。 そんな人がまともな人なのは、当たり前だよな。

          まともな独身女性

          世界は語られていないことで満ちている

          毎日、次から次へとニュースが報じられる。 仰天するニュース、腹立たしいニュース、にやけてしまうニュース、涙があふれてしまうニュース、いろいろなものがある。 いろいろな感情を抱きつつも、一方で私は(ここで語られていないこともあるのだろう)と思いながらそれらのニュースを読む。 すわこいつは陰謀論者か、と思わないでほしい。陰謀論は楽しいので好きなのだが、私は歳を取り、そういうものを心から信じることができなくなった。 それは昔、東日本大震災の被災地に行った時のこと。ある被災者

          世界は語られていないことで満ちている