クラムチャラウダー

秋が深まってきた。

こんな季節は、コンビニなどでクラムチャウダーの文字を見かけることが多くなる。貝が入ったシチューみたいなやつだ。

僕は基本的に魚介類があまり好きではないので、シチューだと思って食べたら貝の味がしてショックを受けた禍々しい記憶がある。

ところで僕には「クラムチャウダー」が「クラムチャラウダー」に見えるのだ。(違いは間に一つ「ラ」が入っていること。)

それは何故かと言えば、特に深い理由はなくて、小学校の時の給食で出たクラムチャウダーが、同級生の間でクラムチャラウダーと呼ばれていたからだ。

意味はないと思う。1980年代の田舎では、クラムチャウダーという食べ物が日常に存在しなかったので、「チャウダー」という英語より日本語の「チャラ」の方に馴染みがあったからそっちに引っ張られたのだろう。「蔵」「無茶」までは漢字を宛てられたが、ウダーを処理できずバグが起きたと思われる。

誰か声の大きい奴がクラムチャラウダーと言い出したので止められなくなったということも考えられる。子供の社会には強固な特別権力関係が存在しており、「ほんとはクラムチャウダーやぞ」などと言い出せばいきなり顔面にパンチを喰らっても不思議はなかった。

小学生の頃は、校下外に出ることは禁止されていた。よその小学校の生徒に出くわせば殴られても文句は言えなかったし、子供たちはそれを見分ける能力に秀でていた。まるで野生動物である。

正しい言葉も知らず、違う言語を話す国のことも知らず、いや、数キロの校下の外でさえ黒い闇のように見えていた。

あだ名で呼ばれる同級生の家庭の事情や生い立ちも知らず、彼や彼女がなぜそんな振る舞いをするのか想像もできなかった。

学校に行かない、などという選択肢は存在せず、目に見えるすべてが世界のすべて、一つの平行世界であった。

あの不自由な子供の頃に帰りたいとは、まったく思わない。

いや、あの平行世界は未だに、誰も使わない言葉、クラムチャラウダーとして僕の中にあるのである。


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