世界は語られていないことで満ちている

毎日、次から次へとニュースが報じられる。

仰天するニュース、腹立たしいニュース、にやけてしまうニュース、涙があふれてしまうニュース、いろいろなものがある。

いろいろな感情を抱きつつも、一方で私は(ここで語られていないこともあるのだろう)と思いながらそれらのニュースを読む。

すわこいつは陰謀論者か、と思わないでほしい。陰謀論は楽しいので好きなのだが、私は歳を取り、そういうものを心から信じることができなくなった。

それは昔、東日本大震災の被災地に行った時のこと。ある被災者、仮にAさんとしておくが、その方から聞いた話である。

最初にお断りしておくが、これは完全にAさんの証言のみに基づくエピソードであり真実性に確信がないので、中身を相当ぼかすことをご容赦願いたい。

東日本大震災の後、傷も癒えぬAさんのもとにある人がやってきた。仮にBさんとしておこう。Bさんは、Aさんが持っているあるものを提供してほしいと持ちかけてきた。

Bさんは、被災したあるものを使って、あるものを作ろうとしたのだが、被災によるダメージが激しく使いものにならなかったのだという。

Aさんはその申し出に応じ、自身が所有するそれを提供した。

Bさんはその偽のあるものを使い、無事に作品を仕上げた。そして、これは被災したあるものを使って作ったのだ、と話した。

やれ、奇跡だ、感動だ、とメディアも取り上げた。

この美談はBさんの地位を補強するものであった。目的のためには手段を選ばない人だ。私は静かな憤りを感じた。 

繰り返すと、これは完全にAさんの証言のみであり、全くの嘘かもしれない。だが、Aさんには嘘をつく動機がなく、私は信じるに足る話だと受け取った。

以上、それだけの話である。極めて曖昧なので、少し意味が通じにくい点もあると思うし、面白くもなかったと思う。

この話の解像度をAさんが話したそのままのレベルまで上げればまた違う印象になると思うが、裏が取れないのでそれはできない。

この話はどのくらいの人が知っているのだろう。少なくとも私はAさん以外から聞いたことはない。

あなたもそういった話を、一つくらいは持っているのではないだろうか。

秋が訪れ、今日は静かな夜だ。部屋の中を見回せば自分が買った本や洋服、目覚まし時計などがあり、外からは車の走る音が聞こえてくる。

世界は語られていないことで満ちている。

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