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レモン水

大学の卒業式が終わってしばらく後。友達に連れられて小さなイタリアンのお店に行った。大学生としての最後のランチだった。

僕らは窓際のテーブル席に座った。

差し出されたお冷やに口を付けると、レモンの味がした。

それ以降、僕はその日そのお店で何を話したかを、一切憶えていない。

そのレモン水のことしか憶えていない。

僕の好みから考えれば、カルボナーラを頼んだと思う。カフェオレを飲んだと思う。煙草を吸ったと思う。浪人生になった僕の暗い新生活の話を自虐的に語ったと思う。

でも、全く思い出せない。

いつか金沢に立ち寄った際に、そのお店を訪れたことがある。たぶん後輩になるのだろう、学生アルバイトらしき店員さんにそんな昔話をした。

反応が薄かった。客商売なんだからもうちょっといいリアクションが欲しいところだが、無理もない。

それは何も起きなかった出来事についての話。

僕には、提示できる未来が何一つなかった。

臆病だったし、真面目過ぎたんだと思う。

その日のお冷やもレモンの味がした。

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