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福祉施設での初夜勤 1.2日目 感想



今はグループホームの福祉施設(介護寄り)で長時間の夜勤をして2回目である。気が狂いそうだ。

まずこの家はほぼ同じ作りの1階と2階に別れている。1階には9人、2階にも多分9.10人の利用者がいる。この利用者というのは高齢者だけでなく、若い者もたまにいる。いわば三障害(知的、身体、精神)のどれかや複数を持った、割と病状の違う人がごちゃまぜで住んでいる。

僕はまだ1階の夜勤を2回しかやっていない。1階の方が病状が重い人が多いらしいが、まあ他の介護施設に比べたらよっぽど軽いと思われる。集団での暮らしのため、管理人は夜に騒いだりする利用者は、言っても分からないと認識した途端に問答無用で追い出す。
なので楽な方なはずなのだが。見た目がちゃんと家の感じなので、ずっと居ると狂った夢のような世界に身を置いてると錯覚しそうである。


詳しい時間は伏せるが勤務時間は夕方から朝まで。とても長い。その為、朝帰った日は確実に休み、というか仕事を入れられない労基になっている。とはいうものの、朝帰ったら夜まで寝て、また朝方に寝て目覚めたら仕事。という流れなので中々に辛い。

今この施設は人手不足のようで、僕は週に3回、当たり前のようにシフトを組まれた。実質休みなんて数日で、「3日は夕方から夜勤で、明けの4日はしっかり眠った後の少しの猶予を渡され、5日の夕方にはまた夜勤」の繰り返しが4.5回続いたりする。
「ああ、いつ身体は壊れるんだろう」と壊れること前提で、これからのこの仕事を考えた。

まあ仕事自体は正直そこまで大変ではない。夕方に出勤したら夜ご飯を作り、食後の薬を渡して綿密にチェックし、その後は床やトイレ、浴槽や食器などをひたすら掃除する。そうこうしたらもう消灯の22時になり、そこから僕は3時間の休憩を貰う。3時間後の1時に相方と休憩を交代するが、如何せん利用者の消灯時にやることなど特に無いので1時から5時くらいまでも暇である。今こうして文字を書くくらいの暇だ。

1時からは利用者全員が扉を開けた際に絶対に見える、キッチン付近の椅子に座ってひたすらぼーっとする。2.3回巡回の機会があるが大抵寝ているので見て終わる。ほとんど看守みたいなものだ。

「利用者は客側だよな?」と再確認したくなる。まあ実質22時から5時までの7時間、ほぼ暇なのでスマホをいじったり小説を読めたりするのは有難い。

1日目に半身不随と知的?がある方が2時半頃新品のおむつを手に持って出てきた。その人は父親が辞職してから鬱になり、それに乗ずるように母も鬱になって家庭環境がかなり悪かった。2年間風呂にも入ってなかったらしく、「お前なんて産まなければよかった」と何とも苦しい言葉を吐かれていたようだ。
それに耐えかねてなのか、その利用者は母親を殴ったらしい。母が警察を呼び、色々事情を知った結果、施設に入れられることとなった。そして今。

この情報が書かれているファイルを読んでて、見てられず閉じてしばらく額に手を着いていた。そうしていた10数分後にオムツを変えて欲しいとその人は来たわけだ。

会話も余り上手く出来ないので、初めての僕は何を伝えたいのかイマイチ分からなかった。ただ新品のオムツを持っているし替えて欲しいのだろうと察した。しかし人のオムツなど替えたことがない。休憩中のベテラン相方さんを呼ぶか数分迷った結果、1人でやってみることにした。

彼をトイレに呼んで座らせ、防具のような何かが付けられた足を持ち上げて履かせてあげた。不安しかなかったので足を触る際も、全部の行動をする時に「○○をしますね」と確認を取った。小便を漏らしただけであり、安心した。その後苦労してその人をベッドまで誘導して寝かせた後、また看守場のような椅子に座ってうなだれた。
そこそこ力も必要だったのでどっと疲れた。精神的な疲れには敵わないが。

なんだかこう、自分の何倍も生きてきた人間の便の世話をする、というのは本当に複雑で奇妙な気持ちになる。初めての体験だった。その人の過去を知ったつい後だったこともあり、僕はもう色々とその人の人生を想像してしまい、1人暗いキッチンで泣く寸前だった。その人への国からの支援は1万にも満たない、最悪な対応だった。

日本は全く幸せでない。同い年くらいの老人がこういった老人の世話をするのがほとんど。僕に至っては若けれどうつ病と薬物中毒をちゃんと抱えており、ある意味"そっち側"だろうという感覚が無意識に湧く。そんな精神病持ちがたかだか時給1000円と数百円で雇われ、小遣いが月に数千円だとか、家族にほぼ見捨てられたとかの人間を診る。

こんな狂った世界があってたまるか。「若者をもっと支援しろよ」と大人すら思うこともある現状だが、優先順位はこちらの方が圧倒的に高いと言わざるを得ない。

大学を卒業してフリーターで、不安定な未来を掲げている僕はそりゃ救われたい。けれどこんな牢獄のような場所に意思はほぼ考慮されず入り、湯煎のまずい飯を食って、薬を飲んで、ただそれだけの毎日を用意された彼らの方が救われたいだろう?
僕はまだいいが、正社員でこんな仕事をしているのに大して沢山とは言えない給料で頑張っている上司達の方が救われたいだろう?

自分は声を張って辛いと言いたいくらい辛い人生だが、それを言うのを躊躇うくらい辛そうな人を見せられてはこの辛いという感情さえ行き場が無くなる。彼らは罪もないし、人間らしい心根だって良く見たらあるんだ。

働いてる最中そんな気持ちが勝手に動き出してしんどい。やることは家事系がメインで、肉体的にはコンビニバイトより楽だ。けれど単純に拘束時間が長いこともあるが、なんだか、何故かとんでもなく心がどっと疲れる。

中々見れない世界だから価値があるとは思うし、施設長もそのようなことを初の仕事終わりの朝に話していた。とてもしんどいのだが、やはり僕のこの下世話な好奇心というのはかなり満たされる。「ただ辛い」で終わらないのはその刺激が僕を楽しませるからだろう。

僕はきっとこの仕事が向いている方だと自己分析している。利用者が「薬、薬はまだか」と投薬数十分前に詰め寄ってきてもさして動揺もしない。
車椅子の、2年間ずっとトイレに何回も行ってはいけないのに行こうとする人がそれで施設長にこっぴどく怒られてても「そんなに言わなくても……」くらいにしか思わない。寧ろ傍からそういうのを見るのは「楽しい」部類で、こういう場面がストレスだけに直結しない僕のような気狂いは向いているような気がする。

まあ僕も死にかけたり薬で長期間頭がバカになってたりした経験もあるので、なんだか利用者に親近感が湧くわけだ。だから、例えば部屋に入った時嫌がったりするのも僕は自分の事のように共感できるし、「変・おかしい・関わりたくない」みたいな先入観は持たなかったのだ。

ギリギリ"普通"を保っている自分の状態というのは、この環境においては逆に有利に働くのかもしれない。
ともかく至って普通の価値観と心を持っている人間は、この仕事はどんなに我慢しようが1年以内には辞職の実行を本気で考えるくらい辞めたくなるだろうと思った。文字通り汚れ仕事だ、こんなもの。給料が終わっているから余計に。自分で向いていると豪語する僕ですら既にかなり辞めたい。

「僕ももし老いるまで生きたらこうなるのだろうな」という現実がひしひしと感じられて不快だ。このグループホームには不運な人間の苦痛や諦めが霧のように立ち込めている。勤務交代の会議の際、職員や管理人はやけに明るく笑う。それも白々しくて、かえって闇を深くしている。鬱は伝染すように、職員もこの鬱屈に伝染せぬよう心を振り絞って明るさを繕う。

この箱庭はなんて可哀想なのだろう。ほとんどの人間がこの世界の景色を見ずに、知りもしないで生きて死んでいくと思うと心が虚しい。利用者――彼らがついに死んだ時に、それを悲しむ人はちゃんと居るんだろうか。カフカの「変身」のように、亡くなって家族が安堵して笑う結末も少なくはないんだろう。だからもしここが墓場になる人間が出来る時は、僕達が代わりに悲しんであげないと報われないだろ。

ここは地獄か?午前2時なので忍び足で部屋の見回りをしてきた。誰かのいびきが微かに聴こえた。
夢であってくれ、こんな世界。

希望通りの「事実は小説よりも奇なり」を体験できて嬉しいような発狂したいような矛盾の気持ちに襲われる。これを「愉しい」と思いながら過ごす、1番働く資格のないような僕が夜勤を支える勢いでシフトに入り働いている。これも気持ち悪い。

本来向いている、本当の優しさがある人間は耐えられなくなって辞めてしまうというジレンマがある。人のことは言えないが、社員達はやっぱりどこかが欠けているのを瞬間的に察される時がある。2回目で分かる。この仕事をずっと続けたら人間として必要な道徳の一部がゆっくりと、溶けるように欠けていく。

今は利用者に怒ろうなんて思えない自分も、いつかはこのようになると思うとそれもまた苦痛と恐怖に苛まれる。ああ、こんなにも人間や生き方について考えさせられる仕事はある意味素晴らしい!良い地獄に来れた気がする。

僕は仕事のこういう「貴重な体験」こそ給料・金では味わえず、労働において1番価値のある部分だと思う。食う為に働くとしても、それ以外の得る物というのは大事に、重視したい。

仮にこの仕事を数年続けられて、その「価値」がもう食えなくなったと分かったら、今度は死体に関わる仕事がしたい。刺激だ。酷く怠惰で能の無い自分を労働者にするにはこういう刺激が必要だ。サラリーマンや普通の飲食店・販売店員なぞにここまでの刺激は中々存在しない。
やはり「大変」「給料が少ない」とか以前に「退屈」が1番の仕事の大敵であると思う。もっと刺激され興奮し痛み苦しみ、そうやって生きて視野と思考を広げるんだ。そうする途中で僕の哲学や想像力というのは成長し、完成していくだろう。

たった1.2日の出来事で無理なく4000字も書けた。こういうことだ

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