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"ときどきおじいさん"と再会できた日。

先日、同じアパートに住むおじいさんに話しかけられた。
そのおじいさんは英語が堪能な方で、英語で色々と話しかけてくれた。けれど、その時は私のアパートのドアの鍵が開かずパニックの真っ只中で、全く英語が聞き取れず。
おじいさんに「手伝ってほしい」と言われたけれど、何を手伝えばいいのかわからないまま会話が終わり、その後会うこともないまま時が流れていた。
(詳細は「非力な私とドアの鍵、ときどきおじいさん。」をご覧ください)


そしてちょうど1ヶ月経った今日、ついに例のおじいさんに出会った。
今まではどうもすれ違ってしまっていたらしく、共有部分の廊下でも出会う機会がなく、要件を聞くことができないまま今日まで来てしまっていた。

今日のおじいさんの出で立ちは、蛍光色のヘルメットにピッタリとしたサイクリングウェア。おそらく70歳くらいのおじいさんで結構恰幅の良い方なのだけれど、それでも臆することなくこの格好をするのがドイツだなぁと思う。
自分の年齢や体格などは気にしない。利便性と機能性を取りに行くのがドイツスタイルだ。

アパート前で年季の入ったスポーティな自転車から降り、手にはビニール袋いっぱいのリンゴを持っていた。
その格好でどこまでリンゴを買いに行っていたのだろう?

最初は以前会ったときと格好が違いすぎて、一瞬「この前会ったおじいさんか…?」と身構えてしまった。もしそうならば、この前の非礼を謝らなければならない。
ごみ捨て場から帰ってきたところだった私は、おそるおそるアパートのドアに近づいていく。

するとこちらに気づいたおじいさんが「Hallo! How are you?」と話しかけてくれた。
このアパートで私に英語で話しかけてくれる人は、この前会ったおじいさんしかいない。あのおじいさんだ!!と思い「I'm very good.  And you?」と話しかけながら、アパートのドアの鍵を開けた。

そして軽く挨拶をしながら、この前のことを謝った。
「この前、あなたは私に何か助けてほしいと言ってませんでしたか? 手伝えなくてごめんなさい」みたいなことをカタコトの英語で伝えた。
するとおじいさんはぽかんとした。

「え、君が助けてほしいって言ったの?」
「え? いやいや、この前あなたが助けてって……」

おじいさんの頭の上に、わかりやすく「?」が浮かんでいる。
やばい、英語ができてないかもしれない。
そう悟った私が慌ててスマホ翻訳をしようとしていると、おじいさんは「とりあえずお家に入りなよ」となぜか、1階にあるおじいさんのお家に入れてもらうことになった。
この状態でNoとも言えず、ほんの少しだけお家に入れていただいた。

おじいさんのおうちは我が家とは違ってウッディな感じだった。
我が家は私たちが引っ越す前に、大家さんがリノベーションしたお家なので、白を基調としたモダンな部屋になっている。

一方おじいさんのお家は木の色味が活かされた、ログハウスにも似た内装。全然雰囲気が違う。
お部屋の数は多分変わらないのだけれど、木の床や置いてあるものが丁寧に使い込まれた感じがあり、家具の色味も落ち着いていて、知らない場所なのに少し懐かしい感じがした。

その中の部屋の一つを、おじいさんが見せてくれた。
それはアパートの入口の横にある、譜面台が置かれた部屋だった。
朝、私が散歩から帰って来ると大体換気のためにこの部屋の窓が開けられている。窓にかけられた短いレースカーテンが引っかかって、このヴィクトリア調の譜面台がよく見えていた。
お家に楽器を弾く方がいるのかなと思いながら、何の気無しに見ていたのだ。

そこを見せながらおじいさんは「ここは歌のレッスンをする部屋なんだよ」と教えてくれた。「あなたは歌うのですか?」と聞くと、妻が歌の先生であること、今日は近くの教室まで教えに行っていることなどを話してくれた。
「ステキですね!」と言うと、おじいさんはニコニコとした。


そんな話が途切れた後、改めて謝らなければならない話をスマホの翻訳機能を使って改めて文章を作って見せた。
するとおじいさんは何かを理解したらしく、笑顔になった。

「私が助けてほしいんじゃなくて、君がもし困ったことがあったら言ってねってことだよ」
「Ach so!?(そうなんですね!?)」

思わず会心のドイツ語が出てしまった。

どうやら1ヶ月前の私は、本当に英語が理解できていなかったらしい。
どうりで待てど暮らせどおじいさんに助けを求められないわけである。
おじいさんも、私の「助けて」を待っていたのだから。

今日再び会ってもごきげんに挨拶してくれたから、手伝わなかった私にもこの態度……なんて懐の広い人なのだろうと少し感動していたのだけれど、おじいさんは平常運転なだけだった。
いや、英語も怪しい日本人の私や夫に親切にしようとしてくれているだけで、十分人格者だとは思うのだけれど。
差別とかは関係なく、自分と家族の生活を回すだけで手一杯なのは、どこの国の人も一緒なのだ。

「あなたのお手伝いが何もできなかったから、とても心配していたんです」
と翻訳機で話したら、おじいさんは「大丈夫だよ」笑っていた。
そしてこの前パニクってあまりちゃんと話せなかった、自分のことや夫のことなどを説明してお暇した。


この1ヶ月、ずっと心の中で引っかかっていたことがようやく解決した。
せっかく話してくれている英語もまともに理解できていないのは、申し訳ない限りなのだけれど、少なくとも適当に「手伝うよ」と言って何もしない、失礼なヤツにはなっていなかった。
本当に安心した。


改めて自分の言語力に課題があることは実感したけれど、今日明日のうちにどうこうなるわけでもないし、ここは地道にやっていくしかない。
今度おじいさんに会ったときは、あえてドイツ語で話してみたいと思っている。ドイツ語を勉強している私にとって実践する機会になるし、ここはドイツだ。



今日はとても、よく晴れている。

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