大木きぬよ(ぬー)

コーチングとカウンセリングを両軸に【心をみる】と【試みる】に寄り添う【こころみセッショ…

大木きぬよ(ぬー)

コーチングとカウンセリングを両軸に【心をみる】と【試みる】に寄り添う【こころみセッション】を提供しています/MFCA 認定プロフェッショナルコーチ/書くことが私にとっての【こころみ】2018年より毎日内省エッセイをメルマガにて配信(2000通超)/ミスチルラバー歴30年超

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【こころみセッション】”心みる”と試みる”をともに

ご覧くださりありがとうございます。この記事は大木きぬよが提供している【こころみセッション】のご案内です。 既に申込を決めてくださってる方はこちらから事前オリエンテーション(無料)をお申込みください。 もう少し知りたいなぁと言う方は以下を続けてお読みください。 こんな風に感じることはありませんか? ー例えば職場で ・毎日時間に追われ息つく暇もない ・気付けば焦ったりイライラしている ・毎日必死に頑張ってはいるけどこのままでいいのかと不安になる   ・いつも周りに合わ

    • 私でいられる安心感を知る

      「この人たちといると  なんだか疲れるんだよなぁ」   という場、ありませんか?     嫌いなわけでも 苦手なわけでもないのに 肩が凝るような 胸がキュっとするような 家に帰るとドッと疲れているような そんな場所     私にはあってね     なんでそんな風に思うのかというと 自分のままでいられない と、感じているんだよね     その場所で 自分でいることに 安心できていないの     どう思われるんだろう なんだか試されてるような気がする 何を言っても裏目に出そうな気

      • "いい人”でいようとしているなら

        ”いい人”であろうとして がんばって   その結果 「いい人だね」と言われると   ”いい人”でいないと 認めてもらえないような 受け入れてもらえないような 気がしてしまう     あれ? 私はそうしたかったんだっけ?   がんばって”いい人”でいようとして 自分はどこにいった?   本来の自分であると言える?     そのままの自分でいると もしかしたら、みんなから ”いい人”と評価されることは 減るかもしれない     だけど そのままの自分のことを いいと思ってくれる人

        • 億劫で憂鬱で緊張するときは

          たったひとつのメールを打つのが とてつもなく億劫なときがある     たったひとつの電話をするのに とてつもなく緊張することがある     まったく同じ内容だったとしても いつもはタタターンとできるのに あの頃はタタターンとできたのに     ということは 自分の状態に気付くサインなんだよね     いつもはタタターンとできることが どうしようもなく 億劫で憂鬱で緊張を伴うときは 心がヘルプを出している     タタターンとできるはずなのに できない自分を   「なんでできな

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        【こころみセッション】”心みる”と試みる”をともに

          役に立たなくちゃに駆り立てられるときは

          時々、自分の中に 「役に立たなくちゃ」と 駆り立てられる自分を発見する     この「役に立たなくちゃ」と 「貢献する」の違いは 何なのだろうと考える     「役に立たなくちゃ」は 見返りを求めているんだよね     役に立つことをするから 認めてください 褒めてください ここにいていいと許可してください 悪く言わないでください     こんな明確な言葉では 認識していなかったけど 言葉にするとこうなるだろう     一方、「貢献する」は 見返りは求めていないんだよね  

          役に立たなくちゃに駆り立てられるときは

          恥ずかしさと同居する練習を

          以前、読者さまよりいただいたメッセージに とっても好きな言葉があったので シェアします     私が「泣くこと」や「泣くことに関する掟」 について書いた記事(https://note.com/nu___bt/n/n0669af7df86e)に いただいた返信の一部です     私には「恥をかきたくない」が 強くあるし 「恥ずかしい」もある     その気持ちゆえに チャンスを逃すことがある     これは子どもたちのふるまいを見て 気付けたことなんだけど   「恥ずかしさ」

          恥ずかしさと同居する練習を

          安心安全ってこういうこと

          セッションを受け続けてくださっている方が 伝えてくれた言葉をじんわり感じている ーーーーー 安心安全の場ってよく言うけど その意味がやっと分かってきた 他では話せないことを話せる ということだけではなくて 自分も知らないような自分が 出てしまっても大丈夫だと 思えていることなんだなぁ ーーーーー   (了承を得て公開しております)       とっても深い気付きだと思いました そして、その通りだとも     そうなんです     自分も知らない自分や 自分でも見たく

          安心安全ってこういうこと

          なぜ田んぼは満ちるのか?

          田んぼに水が張られる季節が やってきました ついこの間まで ボサボサの草地然としていたのに 満ち満ちて悠然としている まるで違う様相だ なぜこんなに満ちたのか? それは土をかき、水を入れたから ただ季節が巡ったからではなく 自然の摂理だけではなく 土をかき、水を入れたから 満ちたのだ 雨を待っているだけでは 満ち満ちるには 莫大な時間がかかるだろう 人間はどうだろう? この満ち満ちた田んぼのような たたずまいでいるためには 何が必要だろう? 私にとっての”水

          なぜ田んぼは満ちるのか?

          勝手に作った掟に勝手に傷つく

          私は 泣くことを我慢することが多かった     それはつまり 「泣いてはいけない」という掟を 自分で決めて持っていたということ なんだけど   その掟を持っていながら 決して泣かなかったわけではなくて   その掟を持っていながら 何度も泣いていたんだよなぁ     そして、その都度 「泣かないって決めてたのに」って 自責や罪悪感、約束を守れない自分に 不義理な感覚を持っていた     自分で勝手に決めた掟に縛られて 自分が勝手に傷ついているの     茶番だって思う? 茶番だ

          勝手に作った掟に勝手に傷つく

          涙がコントロールできない体験から

          とある会に参加したときに うまく言語化できないのだけど 何かが琴線に触れ 涙が止まらなくなった 深い深い深い悲しみに 触れた感覚 いつもは解放していない領域に ちょんと触れたのかなぁ 私は普段 よく泣くほうではない どちらかと言うと 泣くことを我慢することの方が多かった 泣いたとしても 歯を食いしばってしまうことの方が多かった 早くおさめようとすることの方が多かった 今回の涙は 加齢によるものなのか テーマによるものなのか 私の状態によるものなのか 過去の私の体験

          涙がコントロールできない体験から

          【”やりとりをする”の大切さ】

          文章を書くことは 自分とやりとりをしている とも言える メッセージのやりとりは 自分とのやりとり+ お相手とのやりとりになる 対話となると そのやりとりが即時的になる もちろん 対話でも間(ま)はあるけれど その間(ま)のあいだの 表情や息遣いなんかも やりとりのひとつになる 私は昨日 メッセージでのやりとりを したのだけど お相手の優しさを受け取れたり 自分の中に湧いている思いが より明確になったりするなぁ と感じた 自分ひとりの中で あれこれ探っているのとは

          【”やりとりをする”の大切さ】

          自分の感覚に自信が持てないときは

          自分の感覚に自信が持てないとき ありませんか? あの人の態度 すごく不快に感じるけど そう思うのは私だけなのかな 今ちょっと理不尽な対応を されたような気がするけど そう感じるのは私だけなのかな なんだか今、私のことを 軽んじられたような気がするけど そう思ってしまう私が変なのかな こんな風に 私が違うのかもしれない 私が変なのかもしれない 私のせいなのかもしれない と、自分の感じたことに 自信がなくなること ありませんか? 私はあるなぁ え、これに怒ってるの私

          自分の感覚に自信が持てないときは

          痛いけど進め

          ここのところ 感情がぶわーっと動いたり 自分を知ることに痛みが伴ったり 自分の内側で、激流のような 渦巻のようなものがあったのだけど 自分に贈りたいメッセージが 明確になった 『痛いけど進め』 そう、これなの これだったの 夫婦のパートナーシップも その他の人間関係も 自分自身との関係も もっと深めようと思ったら 痛いんだよ 表面だけサラッとなぞれば 痛みは少ないかもしれない わざわざ痛い想いをしなくても いいのかもしれない だけどね 最近、自分以外の人を通

          大事な人に大切なことを相談できる私でいる

          いいかっこしいだったり 完璧主義だったり プライドが高かったりすると   一番相談しなくちゃいけない人に なかなか言えなかったりします     本当はパートナーに相談すべきなのに 本当は部長に相談すべきなのに 本当は母に相談すべきなのに     ひとりでギュッと抱え込んで どうしようどうしようと焦って     ネットで検索だけはして 似たような人を見つけては 一時的にホッとして     時間だけが過ぎて 辛さだけが増えて     現実は1ミリも変わっていない     こんなに

          大事な人に大切なことを相談できる私でいる

          こんな私の本音はバレてはいけない

          夏休みが終わってホッとしている 子どもが寝てホッとしている 子どもが嫌いなわけではない 家族が嫌いなわけでもない 好きとか嫌いとかとは関係なく ひとりになれる時間が好きなのだ 必要なのだ 多分、きっと、誰でもそうじゃない? 私はそんな欲求すら認めていない時があった 「子どもと離れたい」なんて言ってはいけない 思ってはいけないってね 【母親なんだから、そんなこと思ってはいけない】 【私は働いていないのだから、そんなこと思ってはいけない】 この呪いにかかっていたんだ だ

          こんな私の本音はバレてはいけない

          ”悪口を恐れる人生”から”自分を生きる人生”へ

          私の実感としてなんだけど 色メガネってすぐにかかるのね 「〇〇さんはこういう人だ」って聞いたら 〇〇さんがちゃんとそういう人に見えてきて その根拠になりそうな行動も見えてくる 悪口から始まるネガティブなイメージだったんだけれどもね もちろんそれは「〇〇さんはこういう人だ」って聞かなかったら 気にもならなかったことだったりもする はぁ、すごいもんだ このメガネの仕様は この脳の仕組みは めちゃくちゃ見事に 自分の頭の中を現実化してくれる ネガティブなことを採用する速

          ”悪口を恐れる人生”から”自分を生きる人生”へ