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【”やりとりをする”の大切さ】

文章を書くことは
自分とやりとりをしている
とも言える

メッセージのやりとりは
自分とのやりとり+
お相手とのやりとりになる

対話となると
そのやりとりが即時的になる

もちろん
対話でも間(ま)はあるけれど
その間(ま)のあいだの
表情や息遣いなんかも
やりとりのひとつになる

私は昨日
メッセージでのやりとりを
したのだけど

お相手の優しさを受け取れたり
自分の中に湧いている思いが
より明確になったりするなぁ

と感じた

自分ひとりの中で
あれこれ探っているのとは
別のものが起こるんだよね

無理に落ち込みから浮上しようとは
思わないけれど
自然とやわらいでいくのを感じたっけ

ーーー
落ち込んだままでも
自分でいられる

落ち込んだままの自分と
一緒にいられる
ーーー

とある方へのメッセージに
自然とそう書いていたのだけど

やりとりがあったから
この言葉が出てきたのだと思う

「やりとりをする」って
コミュニケーションを取る
ということだけど

なんとなく
「やりとりをする」という表現が
合ってる感じがする

雑多なものや複雑なもの
決してスマートではないもの
も、含むって感じがするからかなぁ

「人との関係の間でできた傷は
 人との関係の間で修復する」

と心理学では言うのだけど

(だからカウンセラーとの関係の中で
 やりとりをして癒され、修復されていく)

本当にそうだなぁと
また身をもって感じたのでした

丁寧なやりとりができる関係性を
いくつか持っていれば
(専門家も含む)

私は安心して落ち込むことができ
そして落ち込みからも回復できるだろう

この経験の繰り返しが
活きる未来もあるのだろう

あなたも落ち込むことが
あるでしょう

そんな時は
落ち込んだままで
落ち込んだままに
自分とやりとりをし

落ち込んだままで
落ち込んだままに
やりとりができる相手と
やりとりをしよう

それでは本日も
”自分が一番の味方”な一日を♪

『 やりとりによって
  癒され、浮上していく  』
 
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