見出し画像

娼婦サンタ。

「娼婦サンタ」。
 この言葉を、聞いたことがあるだろうか。
 12月24日23時。スナックや居酒屋、マッサージ店等が入っている雑居ビルを見上げる。
 居酒屋街の中に佇む5階建てのその建物は、周りのお店とは異質な雰囲気を放っている。建物の角に設置された縦長の電飾看板の光は点滅し、コンクリートの壁は全体的に黒ずんでいる。カーテンは閉め切られており、中の様子を窓から覗き見ることは出来ない。
 廃墟寸前のような雑居ビル。進んで入ろうとは思わない。その建物の出入り口の前に、僕は立っている。
 両開きの硝子製のドア。右側のドアを押し開け、中に入る。狭い空間を、天井に取り付けられた横長の蛍光灯がちかちかと点滅しながら照らす。
 入ってすぐ左側の壁には、集合ポストが取り付けられている。錆び付いたポスト1つ1つに、溢れんばかりの書類がはみ出している。右側の壁には、「5階 カラオケぱんぱん」、「4階 スナック小指」……と、5階から順番に上からお店の名前が横書きされた、1つの電飾看板が設置されている。
 奥に進み、左手にあるエレベーターの前で止まる。「△」ボタンを押す。ボタンの上に記された「5」、「4」、「3」、「2」、「1」と階を表す数字が、エレベーターが降りるのに連動して、1つ1つオレンジ色に光って消える。
 ちーん。
 エレベーターが1階に着き、ドアが両側に開いた。
 中に入る。こちらも照明が点滅していて気持ちが悪い。エレベーターに染み付いた煙草の臭いも相まって、更に体調が悪くなる。エレベーターの右手に縦に取り付けられた「5」、「4」、「3」、「2」、「1」と記されたボタンのうち、1番上の「5」のボタンを押す。
 ドアがゆっくりと閉まり、エレベーターが動き出す。ごこんごこん、と機体が揺れる為、酔いそうになる。
 ちーん。
 ドアがゆっくりと開く。
 5階へ降りると、がこんという音を立てて、エレベーターのドアが閉まった。
 やっとの思いで到着したカラオケ屋、「ぱんぱん」。薄暗い照明に、漂う煙草の臭い。正面には小さな受付。左横に続く薄暗い廊下。
 受付の奥にある木製のドアが開き、中から紫色のサンタ帽を被って、白色のパーカーの上に紫色のエプロンを付けた巨漢が出てきた。
「あ、どうも……」
 小さい目、真っ黒な瞳から放たれる威圧感、口を覆う真っ黒な髭、太い唇。
「あ、あ、あのぉ……」
 大男の圧倒的な強者の見た目に、僕は押されてしまった。彼は無言で僕を睨み続けている。
 だけど、ここで負けるわけにはいかない。この街でアンダーグラウンドをテーマに文章を書く物書きとして、終わりにするわけにはいかない。
「……娼婦サンタ」
 勇気を振り絞って、噂で聞いた合言葉を口に出した。
「……」
 数秒間、大男は僕の顔を見つめた後、似合わない笑みをにまっと浮かべた。
「いるよ」
 大男は受付からこちらに出てくると、頭に付けたサンタ帽を揺らして左側に伸びる廊下を歩き出した。付いてこい、ということだろう。大男の後に続く。
 娼婦サンタ。様々な悪意と欲望が渦巻くこの街の都市伝説だ。ある雑居ビルの5階にあるカラオケ屋。12月24日23時から翌3時までに、そこの店主に「娼婦サンタ」と合言葉を言うと……。
 大男が立ち止まった。僕も彼の後ろで止まる。大男は左側を向く。「420」と中央部に記された、青色の木製ドアの前。大男はドアを4回ノックした。
 ぎいぃぃぃぃ……。
 ドアが外側へ開く。
 大男の後ろから中を覗く。思わず、悲鳴を上げそうになった。
 20人ぐらいが入れそうな、真っ暗な大部屋。頭にサンタ帽を被った十何人もの女が、立ったままこちらを見ていた。
「1000円」
 満面の笑みを浮かべた大男が、分厚い右掌をこちらに差し出した。
 聞いた話は本当だった。店主に「娼婦サンタ」と言うと、1000円で一気に13人の娼婦とヤらせてくれるヤリ部屋へ案内してもらえると。
 天国だと思っていた。思っていたのに……。
「あ……あの、や、や、やっぱり、だ、だ、だ、大丈夫で、です……」
 僕は彼等に背を向けて、エレベーターへ向かって廊下を歩き出した。
 怖かった。怖くて仕方がなかった。
 確かに、部屋には女がいた。サンタ帽を被った、全裸の女達が。暗くてよく見えなかったけど、確実に彼女達は普通じゃなかった。涎を垂らしている者、にたにたと笑っている者、首を左右に振る者、奇声を上げる者……。全員、何かがおかしかった。そうだ。手前の女。涎を垂らしていた手前の女の左腕には、無数の……。
 走り出したい気持ちを抑え、相手を刺激しないよう平静を保ちながら歩く。
 後ろから、全く音がしない。それが返って怖い。怖くて振り返れない。絶対に、「やっぱり、大丈夫です」で済むわけがない。
 向こう側に、エレベーターのドアが見える。あれに乗って、すぐ建物から出よう。
 あ、待って。
 今、エレベーターは何階にある?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?