死体掃除屋、「屍蟹」。
「仕事するにはね、打って付けのね、場所なのね」
青色の照明に照らされた客のいない浴場に、少女の楽しそうな声が響く。
じょぎん、じょぎん……。
彼女は空になった浴槽の中で、壊れていないか確認するみたいに、右手に持った大振りの鋏の刃を何度も開閉した。
「うんうん、問題ないね」
都内にある人の闇が蠢く街、「闇の街」。麻薬密売、売春、カルト教団、殺人請負……。ここは、そんな欲望渦巻く街の住宅街にある風呂屋、「掃」。
「じゃあね、そろそろね、始めるね」
僕は浴槽の縁に腰を下ろした。中には、全裸の男の死体が仰向けに転がっている。
「まずはね、これをね、塗るのね」
少女は鋏を浴槽の縁に置くと、着ている紫色のフード付きハイネックジャージのポケットから、紫色のゴム手袋を取り出して両手に嵌めた。更に、掌サイズの小さな小瓶もポケットから出す。中には、青色の液体が半分ぐらいまで入っていた。少女は小瓶の蓋を開け、液体を死体の腹の上に垂らす。
ねらねらねら……。
青色の湖は小瓶という檻から解放された喜びを全力で表現するみたいに、領地を広げていく。
「うんしょ」
液体が死体の腹からタイル張りの床に落ちる前に、少女は両手で掬い取り、死体の身体に塗りたくり始めた。
「これはね、『青春』ってね、言うね、毒なのね」
腹、背中、腕、脚、股間、顔……。塗り残しがないよう、少女は身体の細部まで液体を塗り込んでいく。
「ふふ、あのね、『蝟』ってね、ふふふ、毒屋でね、買ったのね。ふふふふ、店主がね、とてもね、格好いいのね」
少女はツインテールをゆるりゆるりと揺らし、少し頬を赤らめて微笑んだ。
毒屋、「蝟」の店主は知っている。と言うより、ツンテールの彼女を紹介してくれたのが、その店主なのだ。アングラ街ライターとして、毒屋についての記事を書く為に彼の店へ行った。そこで、ライターであることを隠して、毒を買った。その際、「毒に興味があるなら」と、蝟で購入した毒を使用して、とある仕事をする少女を紹介してもらった。
「ほらね、見てね、凄いよね、これね」
少女が死体を指差す。青白かった筈の身体が、少しずつ生きた人間のような温かい色を取り戻していく。
「どう言うね、原理かはね、分からないけどね、死体にね、青春をね、塗り込むとね、食べられるね、ぐらいまでね、鮮度がね、高くなるのね」
少女は青春の入った小瓶をハイネックジャージのポケットに仕舞うと、再び鋏を右手に持った。
「これからね、死体のね、解体作業にね、入るのね」
彼女は死体掃除屋、「屍蟹」。闇の街限定で、仕事を請け負っている。夜な夜な風呂屋、掃を利用して、死体を解体しているらしい。首の後ろ側に彫られた黒色の蟹の刺青と、両手の甲に彫られた黒色の蟹の鋏の刺青のある少女を街中で見かけたら、彼女で間違いないだろう。
ちなみに、掃は閉店時間になると、死体処理を行える場所になる。都市伝説として聞いていたが、まさか噂が本当だとは思わなかった。閉店後、死体掃除が可能である時間は、浴場を青色の照明で照らす。店から漏れる青色の光で、そのことを外部に知らせているらしい。
じょぎり。
屍蟹が、大振りな鋏の刃で死体の首を切った。一瞬で肉と骨が切断され、どばとばと血液が浴槽の床に流れ出た。青春の効果だろう。
じょぎり。
次は、右肩と右腕の間に鋏の刃を当てて、切断した。
じょぎり。
右二の腕と前腕の境界部分にも刃を入れ、真っ二つにした。
じょぎり、じょぎり、じょぎり……。
そうやって、死体をバラしていく。屍蟹が使用している鋏は、「無慈悲」という名前らしい。死体掃除専用の道具とのこと。闇の街にある死体掃除専門の掃除道具屋で購入したそうだ。
「終了ね」
部活終わりに「いい汗掻いた」とすっきりした顔で微笑む運動部の学生のような爽やかな表情を浮かべる屍蟹の足元には、ばらばらになった死体と血の池があった。
その光景に、ぞくっとした。通常の営業時間は、一般客が身体の疲れを癒す為、温まりにきている風呂屋。閉店後は、こんなに悲惨な光景が広がっている。この世には、知らずに生きる方が快適に過ごせる事実もあるのだ。
かちっ、かちっ、しゅぼ……。
ゴム手袋を外した屍蟹は、口に咥えた煙草にライターで火を点けた。
「ふぅー……」
美味そうに肺に煙を送り、青色の照明に照らされた妖しい空間へ、自己泥酔したような表情を浮かべながら吐き出す。
「これからね、肉屋がね、来るのね」
「……何で、肉屋が来るんですか?」
僕は屍蟹に尋ねた。
「バラしたね、死体をね、回収しにね、来るのね」
「死体を?」
「肉屋にね、鮮度のね、高いね、肉をね、売ってね、あげるのね。どうせね、処理をね、するならね、有効活用をね、しなくちゃね」
最後の最後まで、闇の街の住人らしいなと思った。己の欲望を満たす為なら、他人の身体や人生を骨の髄までしゃぶり尽くす。
やっていることは人として終わっているかもしれないが、欲望の従者としては爽やかな気持ちになれるぐらい正解だ。
今夜も闇の街に棲む獣達は、他者の身体を切り刻んで生きている。
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