九月
記事一覧
ライフハック100個言う
夜すんなり寝れるよう、日中はほどよく疲れが溜まるように動いた方がいい
早めに眠りたいときには、眠いやつの真似をするといい 大きいあくびをしたり、「ねむい」と眠そうな声で呟いたりすると、だんだん本当に眠くなる
眠れない夜でも、目を閉じてじっとしていればある程度体力は回復すると考えていい
意図せぬ徹夜が発生したときには、おなかに優しいものを食べたほうがいい 徹夜は意外と消化器に負担がかかるため
「24時間生活するライブ」をやった感想
6.28(金)に「24時間生活するライブ」をやった。もともとの思いつきや経緯などを書いた記事はこちらを見て頂くとして、だいたいどんな感じだったかを書いておく。
前日 仕事を終えて生活へ
「生活をするライブ」の前日、僕はそれなりに忙しかった。日中はネット番組の収録に出ていて、その後には出版社との打ち合わせがあった。電車に乗って都内をあっちへ、こっちへと往復。0時からの「生活」ライブに備えて、23
人間の生活はライブたりうるか─2024.6.28 高円寺で「入れるVlog」をやる
自分で言うことじゃないのだろうけど、僕は芸人として、だいぶ変わったことをやってきた。「事務所に所属しない芸人」というのもマイノリティ的な選択なのかもしれんけど、たぶん問題はそんなとこじゃない。
どっちかというと、制作会社が企画するあらゆるライブに自分から出ず、自分から業界と絡むことなく、ただただ勝手に単独公演をやり続けるというのが、かなりめずらしいご飯の食べ方なんじゃないかと思う。
でも実際、
『読む』ラジオ、知らないラジオ、『飲む』ラジオ
フクロウじゃなくて人間だった
九月という芸名を名乗って久しい。人前でコントをすることと、時たまエッセイなど文章を書くことを生業としている。
「コント」とか「エッセイ」とか言うとかっこよく聞こえるけれど、正直に言って僕のそれらは人前でケツを出しているだけに等しい。たまに真面目くさったことを言うのも、だいたいその後でケツを出すためである。
意外にもメシが食えていて本当に意外だ。そんなもんが生業
名古屋の夜をどうやって過ごすか 西宮の朝をどうやって迎えるか
今週末はかなり忙しい。鬼の如きスケジュールである。なんてったって大量にライブがある。そうだ、ライブだ。ネットの発信ばっかしてると思ったか。そんなわけない。誰がそんな奴になりたいんだ。
そう、なにせライブが多いのだ。そのことをネットで発信させてくれ。
6.7(金)が名古屋での公演で、18:00からと19:45からの2回公演。新作を中心にコントを30本ほど披露する。(残席いくばくか。ご予約はこちら
モーゼになって「どうもー!」って言いたい
お笑い芸人は「どうもー!」と言いながら舞台に登場する。
漫才師は常にそうだし、コント師もライブのオープニングでは「どうもー!」と言いながら登場する。僕はあの瞬間が好きだ。芸人の色気が出る瞬間の一つだと思う。
緊張感と期待感がある場の空間を、声一つで切り開いて、自分のものにしてしまう感じ。上手い人だと、本当に声が空間を切り裂いていくのが見える。そのたび、なんか「モーゼだな」と思う。
お笑いに限
「時代の文体」について考えている
10年くらい前から「時代の文体」について考えている。
前史としての「テンポよく悩むキザ」文体
以降、僕のおおまかで雑で主観的な理解。あくまでも自分の近くにやってくる文章の文体の話であって、学術的な整理ではないことに注意。
まず、もともと文章の言葉は書き言葉がメインだった(はずな)わけで、そこからのずらしとして口語体での文章があった(はず)。
が、サリンジャー〜庄司薫〜村上春樹あたりの流行か
くぐると何かがありそうな所をくぐる
『雪国』の書き出しの凄さ
川端康成の『雪国』の書き出しは、たぶん「雪国であった」という述部が凄いのではなく、「国境の長いトンネルを抜けると」という前フリが凄いのだと思う。
「国境」というのは国と国とをまたぐ箇所であり、向う側にあるものへの想像力を掻き立てられる言葉だ。どこかの海の向こうの曖昧な地平線が見える。背の低い草が生い茂っているのが見える。飛び交う羽虫が見える。雄大な大地をズシンとえぐり
インターネットに潰されないように、どうかご無事で
九月と名乗って芸人活動をしている。養成所は出ていないし、事務所等にも所属していない。芸人じゃないと言われたらそうなのかもしれない。
活動の大半は単独ライブであり、実態としては「舞台中心の旅芸人」という感じだ。フラフラになりながら一人で各地を回り、なんとかライブで食っている。その傍ら、時たまこんなふうに文章を書いている。依頼が来て、各媒体でコラムやエッセイを書くこともある。書籍を一冊出版している。
物書きになる人生と、物書きにならない人生
20代前半の頃、僕は「物書きになりそうな奴ら」と遊んでいた。全員いけすかない奴らだった。全員が変な服を着ていた。そして全員が見た目ほど変な奴じゃなかった。温かい、優しさとかのある奴ら。ただ変な服を着ていて、とっつきにくいだけの奴ら。ケレン味とハッタリとしゃらくささで生きてる奴ら。僕は彼らが大好きだった。
どいつもこいつもブログをやっていた。みんな気ままな日記や随筆、映画や文学の評論、詩や戯曲や小
英語学習とインターネットの相関教育システム論 ─「ミーム英語」から「英語ミーム」へ─
相関教育システム論?
出身大学の話はよく聞かれるけれど、そんなことよりもっと細かい専攻の話をしたい。ちょっと専攻の話をさせてくれ。
学生時代、僕が所属していたコースは「相関教育システム論系」である。したがって、履歴書のうえで僕の専攻は「相関教育システム論」となる。相関教育システム論、聞き慣れない言葉だろう。
それがどういう意味なのか、実は僕も知らない。僕に限った話でもない。在籍していた誰も
「大学は勉強する場所だから、入試は勉強の学力によって選抜するべきだ」という文の意味が、あんまりわからない
「入試は勉強の学力によって選抜するべきだ」
AO入試を導入する大学が増えてきたからだろう、「大学は勉強する場所だから、入試は勉強の学力によって選抜するべきだ」という意見をよく目にするようになった。
僕自身は今後大学入試を受ける予定がなく、大学教員をしているわけでもなく、受験産業に関わっているわけでもない。当事者でもなんでもない。たかが制度の変更の一つ、「無関係に暮らしを営む」とひとたび決め込ん
「なぜ学校に行かなければならないか」と聞かれたとしたら、どう答えるか
”mond”の僕のアカウント宛に来た質問文より。
◀九月の回答(原文ママ)▶
九月と申します。くがつと読みます。なぜ学校に行かなければならないか、僕もあんまり分からないまま、学校に行ったり行かなかったりして大人になりました。学校それ自体に対する疑問はずっと自分の中にあって、大学では教員養成ではないタイプの教育学部を選択しました。教育について、ちゃんと考えてみたかったんです。
在学中はオルタナ