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インターネットに潰されないように、どうかご無事で

九月と名乗って芸人活動をしている。養成所は出ていないし、事務所等にも所属していない。芸人じゃないと言われたらそうなのかもしれない。

活動の大半は単独ライブであり、実態としては「舞台中心の旅芸人」という感じだ。フラフラになりながら一人で各地を回り、なんとかライブで食っている。その傍ら、時たまこんなふうに文章を書いている。依頼が来て、各媒体でコラムやエッセイを書くこともある。書籍を一冊出版している。

以上のことは、僕について調べるとすぐに出てくる情報である。

さらに調べると、顔写真も経歴も身長も出てくる。どんな声をしているかも、好きな食べ物が何かも、性の目覚めが何だったのかさえも出て来る。性の目覚め、出て来んなよ。ハリケンジャーの悪役な。当時はエロめコスチュームの悪役が妙に多かったんだよ。

とまあ、ここまで人間としての姿かたちを提出していてなお、僕はたまに「ネットの人」と言われる。

「ネットの人だと思ってた」

タイミングとしては、ライブ終わりの出待ちのときである。「ネットの人だと思っていたので、動いててびっくりした」「ネットの人だと思ってたけど、本当に芸人さんなんですね」「ツイッタラーだと思ってました」とか言われる。

僕はたいてい「生きてるよ〜」みたいに笑いながら答える。その時は特に何が嫌とも思っていない。でも、後からじんわり嫌な気持ちになる。僕はネットの人でも、ツイッタラーでもないからだ。めっちゃくちゃメシ食ってクソしてる人間だ。選挙権も性器も借金も持病も口癖もある。自分の輪郭を生きている。

もちろん、彼らに悪気はない。なんならこちらに対して好意を示してくれている。そもそも実際に僕に会いに来て、声までかけてくれるというのは、とてもありがたいことだ。まして彼らにとっては「ネットの人」だった僕が人間に見え始めたわけだから、それは祝福すべきことだ。僕の返事は「生きてるよ〜」でまったく間違いない。僕は生きているからだ。

でもやっぱり、はじめから生きているものだと思われていたい。僕は生きているからだ。

持たざるものはインターネットから始めるしかない

もちろん、原因は自分にまつわる諸々の不足だ。僕には初対面の人を引き付ける方法が文章しかない。見た目に特徴があるわけでもない。手早く権威ある媒体に載るだけのコネや金や人脈や立場もない。仕事上の交友関係もほとんどない。おまけに、現代社会で通用している常識のうち一定割合と気が合わない。きっと気の合う誰かはどこにでもいるのだけど、繋がれない。誰にどうすり寄ることもできない。自分を曲げる器用さもない。

僕は根性と体力に溢れた一人ぼっちで、物を見つめることと、見てわかったことを伝えることについてのみ、ちょっとだけ特殊能力がある。

持たざるものがちょっとだけ特殊能力を持っている場合、インターネットから始めるしかない。僕みたいな一人ぼっちが、世の中にはいっぱいいるんだと思う。インターネットから始めるしかない人。特殊能力を、とりあえずネットで発信するしかない人。僕にとっては書くこと。誰かにとっては歌うこと。あるいは絵や漫画を描くこと。料理をすること。工作。その他。

頑張れば頑張るほど、発信すれば発信するほど、「ネットの人」「ツイッタラー」になってしまう。でもそうするしかない。力がなさすぎて、他の拠点を作れないからだ。もっと手っ取り早く、実体のありそうな方法で始められたならば、絶対にそうしている。そうする金銭的/人間関係的な資本がないから、ネットを使うほかないのだ。

バズることはいつだって虚しい

たびたび文章がバズる。そのほとんどは虚しいことだ。なぜならバズることとは、ほとんど自分の意図から離れることだからだ。

言葉が思い通りに伝わる規模には、どうしても上限がある。Twitterのいいね数でいうところ、体感では1000いいねくらいに限界がある。それ以上多数に広まると、「顔のある誰かしらの声」としてではなく、「今流行ってるツイート」として扱われる。結果、自分が人間であることが失われたみたいな反応が集まる。数あるバズの中でも、文章と漫画は特にその傾向が強いジャンルだと思う。

バズるとすぐ「バズ目的だ」と言われる。バズりたくてバズってるわけじゃない。他の方法が選べなくてネットで発信するしかないものが、たまたま狙ってもない角度で不本意に共感されたり、反感を集めたりしているだけだ。僕は、分かってくれる100人に愛されたい。何万人、何十万人に踏ん付けられたいわけじゃない。肴は炙ったイカでいいし、いいねは刺さった100でいい。10000とか20000とか要らない。

だいたい、ネットで何回バズったところで、どんどん「ネットの人」になるだけだ。特に僕は生身でのライブ活動がメインだから、「ネットの人」になることはダメージでさえある。

この世に「ネットの人」なんかいない

僕はネット上だけに存在する生き物じゃない。デジモンじゃない。そんな夢のあるものじゃない。もっと生臭い。いつだって息をしているし、してきたし、形のあるものとして、腹が減ったり、眠くなったり、笑ったり怒ったり悲しんだりしながら生きてきた。生きている。

「ネットの人」じゃない。「ネットの人」じゃご飯が食べられない。「ツイッタラー」じゃない。つぶやいてるだけじゃ日本学生支援機構に毎月2万返せないだろ。

そもそも、この世に「ネットの人」なんていない。どれだけ「ネットの人」に見える奴も、身体をもって生まれている。どうしようもなくみんな、身体という単位を生き、身体という単位で死んでいく。僕たちにはそれ以外ない。誰でも知ってる。誰でも知ってた。

人を「ネットの人」だと思って接してはいけない

人を「ネットの人」だと思って接することは、とても怖いことだ。それは相手の身体を奪うことになりかねないし、ひいては自分の身体へ向けるまなざしが希薄になることでもある。僕たちは誰もネットの人じゃない。とても当たり前のことだけど、全員ふつうに人である。

だけど、画面の向こうにいるのが人間であることを、誰もがたまに忘れてしまう。それは痛ましい結果に繋がったり、そうでなくても、見えにくいところで人を追い詰めていたりする。

たとえば僕だってそうだ。この文章を読んでいるあなたが人間であることを、僕が今どれだけ実感をもって認識できているかと考えると、怪しい。こんなに長い文章を読んでたら指が疲れるだろうなって、今やっと気付いた。すまん。

あるいは、自分が人間であることさえ、誰もがどこかで忘れている。そうやって、自分が本来拾えた喜びに気付けなくなったり、自分が傷ついていることに気付けなくなったりしている。僕だってそうだ。たまに気付いたらキャパを超えていたりする。今めっちゃおしっこしたいことに今気付いた。忘れる前に書きたいことがあるので、書いてからおしっこすることにする。

そうだ、忘れてはいけない。僕たちはどうしようもないくらいに人間同士だ。うんちだってする。うんちだと思ったらおならだったりする。逆だってある。どんな奴も、みんなおしっこを漏らしたことだってある。頭の中がトイレでいっぱいだ。早く書き終わらなきゃ。

みんな、当たり前にあるあるの中を生きている身体なんだ。警察官を見たらなんかビビる。埃と虫を見間違える。公衆電話を見たら「最近見ないな」と思う。そういう、ベタな日常の中をみんな生きている。(あるあるは全部身体に紐づいているから凄いなと思う。生きることそれ自体の輪郭を感じる。)

人間である僕がこの文章を書いているし、人間であるあなたがこの文章を読んでいる。そんな当たり前のことを忘れてはいけない。僕たちがいま出会っている場所がネットというだけで、僕たちはお互いに生き合っている。僕たちには僕たちの身体がある。

生成AIは「ネットの人」かもしれない

僕たちが身体を忘れていくことの背景には、生成AIの発達があるかもしれない。

今、インターネットはとてもひどいところになった。人間たちはみんなろくでもない憎悪を焚き付けあっているけど、そういうことじゃない。分断だとか、対立だとか、みんな今思いついた言葉みたいにインターネットを形容するけど、分断自体は昔からだ。昔は一つだったみたいに言うな。

それよりかもっと酷いのは、人間より角の取れた文章を書くAIがあちこちにいることだ。生成AIの書く文章は、どれも一様に倫理的にしっかりしている。僕たちには到底かなわないほど。

その光景は、本当にひどい。暗澹たる気持ちになる。見ているだけで、泣きたくなってしまう。最も嫌なコンセプトのディストピア映画のようだ。

今やどのSNSにも、生成AIのスパムアカウントが本当にたくさん現れる。時には誇らしげに認証マークをぶら下げていたりする。それも、見極めがわかりやすいとも限らない。人間に思えていたアカウントが生成AIだったり、生成AIに思えていたアカウントが人間だったりする。本当に恐ろしい。僕は自分のフォロワーとなったニジェール人女性について、しばらく実在すると思っていた。呑気に「日本語がうまいなぁ、ニジェールって公用語何語だっけなぁ、勉強したんだろうなぁ」なんて思っていた。本当にばからしい。

もしかすると、生成AIこそが「ネットの人」「ツイッタラー」なのかもしれない。それならそれでいい。それならそれでいいから、どうか人間は人間でいてほしい。人間が人間に見える世界であってほしい。

分断なんか昔からだけど、僕らのインターネットは今、お互いのことを人間だと思えなくなるような、身体を忘れてしまうような、その場のノリと反射神経だけで血の通わない言葉を吐いてしまえるような仕組みへと、傾いて傾いて傾いている。

どうか、ご無事で

インターネットはひどい。本当にひどい。こんなにもひどい。その中をなんとかして、僕やあなたが生き延びていかなければいけない。

僕はあなたに無事でいてほしい。どうか、ご無事で。それはつまり、どうかあなたが、人間として生きることの痛みや悲しみ、喜びや嬉しさを忘れずにいられますように、身体から離れずにいられますように、あなたが誰かを身体から引き剥がさずに済みますように、あなたがあなたを見放さないでいられますように、ということだ。

僕のことをどれだけ馬鹿だと思っても良い、綺麗事を並べたクソ人間だと思っても良い、どれだけ役立たずと軽蔑してもいい、どれだけ無能と舐め腐ってもいい、頭のおかしいトンチンカンで一向に構わない、なんだっていい、ただ、それでも、どうあっても、この世にあなたの無事を祈っている人が、少なくとも僕一人はいることを、ここまで読んだからには覚えておいてほしい。

それではインターネットに潰されないように、どうか、ご無事で。もしお互いに無事でいられたら、どこかでお会いしましょう。


二月のスケジュール

いま決まったぶんの二月のライブスケジュールも貼っておきます。尼崎と国立は予約不要。ほかは要予約です。ご都合の合う方がいらっしゃったら、早速お会いしましょう。

【二月の九月】
2.4 高田馬場 コント10本
2.10‐11 尼崎 コント450本
2.16 国立 コント40本
2.17 渋谷 コント15本
2.24 渋谷 コント15本
2.27 高円寺 トークライブ
詳細を以下にまとめていきます。ご予約はライブ名をクリック。

2.4(日)「日曜おひるのさわやかライブ」
時間:13:15‐14:45
場所:高田馬場 SHC STUDIO
料金:一般1500円、学生1000円、特別枠500円
内容:コント10本、トーク

2.10(土)‐2.12(月)「45時間軟禁ライブ まっさらな塾」
時間:2.10 9:00〜2.12 6:00
場所:尼崎 学習教室こかげ
(尼崎市長洲中通2丁目1-40)
料金:入場1000円/応援入場2000円
内容:45時間、コント450本
備考:開催中はどの時間でも入退場可。予約不要

2.16(金)「国立の本屋さんで華金4時間寄席」
時間:18:00−22:00
場所:東京都国立市 ひらくスペース
(国立市富士見台1丁目17-25 3F)
料金:入場1000円/応援入場2000円
内容:コント40本
備考:開催中はどの時間でも入退場可。予約不要

2.17(土)「円周率のはなし」
時間:18:00‐19:30
場所:渋谷松濤BASE
料金:1500円+1drink
内容:コント15本

2.24(土)「マジで怖いコントをやり続ける日」
時間:18:00‐19:30
場所:渋谷松濤BASE
料金:1500円+1drink
内容:コント15本

2.27(火)「九月の話芸 自由形#3」
時間:19:00‐20:30
場所:オフィスunbuilt
(東京都杉並区高円寺南2-22-6)
料金:1000円
内容:90分トーク

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九月
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