九月

ピン芸人です。普段はコントをしています。折に触れて文章を書きます。エッセイ『走る道化、…

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ピン芸人です。普段はコントをしています。折に触れて文章を書きます。エッセイ『走る道化、浮かぶ日常』(祥伝社) YouTube「九月劇場」 https://www.youtube.com/@kugatsu_gekijo

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  • 息を止めて書いた

    息を止めて書いた、勢いだけの文章。リズム以外何もない。

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九月とは何をしている誰なのか、コンテンツマップ

概要基礎プロフィール 名前   : 九月 生年月日 : 1992年9月21日 出身   : 青森県八戸市 経歴   : 八戸高校卒業        京都大学教育学部卒業        同大学院教育学研究科修士課程修了 職業   : 芸人 所属   : フリー 趣味   : 散歩、読書、音楽、美術館、野球観戦 特技   : 30分で2000字書ける 長所   : 根性、体力、人懐っこさ 短所   : まぬけである 連絡先  : to.obonai@gmail.com 活動コ

    • インターネットに潰されないように、どうかご無事で

      九月と名乗って芸人活動をしている。養成所は出ていないし、事務所等にも所属していない。芸人じゃないと言われたらそうなのかもしれない。 活動の大半は単独ライブであり、実態としては「舞台中心の旅芸人」という感じだ。フラフラになりながら一人で各地を回り、なんとかライブで食っている。その傍ら、時たまこんなふうに文章を書いている。依頼が来て、各媒体でコラムやエッセイを書くこともある。書籍を一冊出版している。 以上のことは、僕について調べるとすぐに出てくる情報である。 さらに調べると

      • 物書きになる人生と、物書きにならない人生

        20代前半の頃、僕は「物書きになりそうな奴ら」と遊んでいた。全員いけすかない奴らだった。全員が変な服を着ていた。そして全員が見た目ほど変な奴じゃなかった。温かい、優しさとかのある奴ら。ただ変な服を着ていて、とっつきにくいだけの奴ら。ケレン味とハッタリとしゃらくささで生きてる奴ら。僕は彼らが大好きだった。 どいつもこいつもブログをやっていた。みんな気ままな日記や随筆、映画や文学の評論、詩や戯曲や小説などを書いていた。ご多分に漏れず、僕もブログをやっていた。僕は自分の書く文章が

        • 「警察に行けばいい」とかみな言うが、警察署にはガチャ性がある

          「警察に行けばいい」はどこまで現実的か諸々の出来事から派生して、「何かあったらすぐに警察に行けばいい」という意見をよく見かけるようになった。そういう考え方は、どこまで現実的なんだろう。 この記事では「事件後に被害者は心的トラウマから事件を正当化しようとするから〜」みたいな、心理学的ケアの話はしない。そういうのはちゃんとした本を読んでくれ。 もっとずっとわかりやすく、警察署そのものにまつわる話である。 個人的な経験として、警察署にはガチャ性がある。確実にある。あっちゃいけ

        • 固定された記事

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        • 物書きになる人生と、物書きにならない人生

        • 「警察に行けばいい」とかみな言うが、警察署にはガチャ性がある

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        • コントについて
          5本

        記事

          英語学習とインターネットの相関教育システム論 ─「ミーム英語」から「英語ミーム」へ─

          相関教育システム論? 出身大学の話はよく聞かれるけれど、そんなことよりもっと細かい専攻の話をしたい。ちょっと専攻の話をさせてくれ。 学生時代、僕が所属していたコースは「相関教育システム論系」である。したがって、履歴書のうえで僕の専攻は「相関教育システム論」となる。相関教育システム論、聞き慣れない言葉だろう。 それがどういう意味なのか、実は僕も知らない。僕に限った話でもない。在籍していた誰も知らなかった。なんせ、そんな名前の学問がないのだ。何を指すのかがマジでわからない

          英語学習とインターネットの相関教育システム論 ─「ミーム英語」から「英語ミーム」へ─

          「大学は勉強する場所だから、入試は勉強の学力によって選抜するべきだ」という文の意味が、あんまりわからない

          「入試は勉強の学力によって選抜するべきだ」 AO入試を導入する大学が増えてきたからだろう、「大学は勉強する場所だから、入試は勉強の学力によって選抜するべきだ」という意見をよく目にするようになった。 僕自身は今後大学入試を受ける予定がなく、大学教員をしているわけでもなく、受験産業に関わっているわけでもない。当事者でもなんでもない。たかが制度の変更の一つ、「無関係に暮らしを営む」とひとたび決め込んだなら、そのまま柵から出んでいい群羊の一匹に過ぎない。 だが、あんまりにもその

          「大学は勉強する場所だから、入試は勉強の学力によって選抜するべきだ」という文の意味が、あんまりわからない

          「なぜ学校に行かなければならないか」と聞かれたとしたら、どう答えるか

          ”mond”の僕のアカウント宛に来た質問文より。 ◀九月の回答(原文ママ)▶ 九月と申します。くがつと読みます。なぜ学校に行かなければならないか、僕もあんまり分からないまま、学校に行ったり行かなかったりして大人になりました。学校それ自体に対する疑問はずっと自分の中にあって、大学では教員養成ではないタイプの教育学部を選択しました。教育について、ちゃんと考えてみたかったんです。 在学中はオルタナティブ教育、いわゆるフォーマルな学校教育とは異なるような教育の在り方、スタイルに

          「なぜ学校に行かなければならないか」と聞かれたとしたら、どう答えるか

          大学入試のスポーツ推薦制度は問題か?

          ”mond”の僕のアカウント宛に来た質問文より。 ◀九月の回答(原文ママ)▶ 九月と申します。くがつと読みます。入試は一般入試しか受けたことがありません。 ではでは、3つくらいの論点でもって答えます。概ね僕の論調としては「スポーツ推薦で人が入ってきてもよくない?」という考え方です。 大学は勉強する場所なのか? まずですね、「大学が勉強する場所」という認識自体が、もしかしたらそこまで妥当なものではないかもしれません。 いや、勉強する場所ですよ。わかってますよ。別に僕

          大学入試のスポーツ推薦制度は問題か?

          なぜか、本当になぜか、「ネトウヨの皇帝」が僕のファンだった話

          恐らく僕しか経験していないであろう、かなり不思議な思い出のことを書こうと思う。 数年前、Twitterで大暴れしていたアカウントがあった。そのアカウントは、ジャンルでいうならば「ネトウヨ」だった。本人自身が「ネトウヨの皇帝」と自称していた。皇帝のフォロワー数は10万人を超えていた。結構ちゃんとデカい。それでいて煽動的なデマツイートが多く、かなり悪質なアカウントだった。デマに右も左も保守も革新もない。言葉を選ばず言えばほぼ反社だった。なんで皇帝が反社なんだよ。矛と盾で矛盾、ど

          なぜか、本当になぜか、「ネトウヨの皇帝」が僕のファンだった話

          表記別おしっこ怖さ査定ノート

          前置き 日本語の難しさ日本語は難しい言語であると言われる。単なる噂である可能性もある。僕には真偽を判断できない。なにせ僕自身、第二外国語として日本語を学んだ経験がないからだ。英語やフランス語や中国語と比べたとき、日本語が抜きん出て難しいかどうかはわからない。 「自国語が他の言語に比べて傑出してなにかである」と主張することは、ことによってはナショナリズム的、あるいはエスノセントリズム的な意味合いをもってしまいかねない。あんまり根拠なく「日本語は他国の言語と比べて難しい」と言い

          表記別おしっこ怖さ査定ノート

          あらゆるスピーチを一本槍で貫いた校長の話

          退屈といえば、焼肉食べ放題の後半と校長先生のお話である。特に校長先生のお話である。焼肉食べ放題の後半には「焦げた肉をもっと焦がして遊ぶ」みたいな遊びしろがある。マナーこそ終わっているがつまらなくはない。その点、校長先生のお話はヤバい。遊びしろが全くない。 校長先生の話を好んで聞く人間なんか、この世に存在するのだろうか。長いし、説教臭いし、かったるい。夏場なんかは体力のない奴から順番にぶっ倒れる。思慮のクソ足りない光景である。そんなに言いたいことがあるなら、プリントにして配れ

          あらゆるスピーチを一本槍で貫いた校長の話

          やる気のない自販機とパンク・ロックの国立

          先月、まだ夏も盛りの頃、かなりやる気のない自販機を見た。それはなんというのだろう、「やる気のない自販機」としか言いようのない自販機だった。 それはコカ・コーラ社の自販機だった。コカ・コーラ社、押しも押されもせぬ最王手飲料メーカーである。コカ・コーラ本社様にやる気がないなんて、そんなわけはない。どんな会社よりやる気があるに決まっている。でも、その自販機に関して言えば、明らかにやる気のない自販機だった。 あまりにも、不気味なまでに主張のないラインナップだったために、ついつい写

          やる気のない自販機とパンク・ロックの国立

          「負けず嫌い」を摩耗させてやりたい

          ずっと疑問だった。「負けず嫌い」の「ず」は何なんだろう。 普通に考えたら、否定を表す「ず」しかない感じがする。でも、否定を表す「ず」だとしたら、おかしい。「負けないことが嫌い」という意味になる。それではニュアンスが真逆だ。 「負けないことが嫌い」ということは「勝つことが嫌い」ということ。元の言葉からは到底考えられない、上昇志向皆無の自堕落な言葉、あるいは勝ち過ぎておかしくなった奴の世迷い事になってしまう。 このことをうっすら頭の片隅に置いておき、かといって調べることもせ

          「負けず嫌い」を摩耗させてやりたい

          「ネイル」が正解で、「説教」が間違いだった日

          あれはまだそれなりに寒い時期の、夜も更けたくらいのときだった。48時間ぶっ通しで行うコントライブ(そんなライブすんな)をしている最中、お客さんの一人が体調不良になったのだ。 いったん、体調不良になった方から話を聞く。ぱっと聞いた感じ、「寝れば治るんじゃないかな」「ちょっと水があればいいんじゃないかな」と思った。比較的てきぱきと、僕は会場の奥にふとんをしくスペースを作った。そして水を買ってきた。これでどうにかなるかな、と思った。スムーズに対応できて俺は偉いな、とまで思った。

          「ネイル」が正解で、「説教」が間違いだった日

          「おっぱい」の「い」を「お」にしたらどうなる?

          小学生の頃のある夏。クラスメイトが僕に聞いてきた。 ───「おっぱい」の「い」を「お」にしたらどうなる? 僕は唖然とした。そのノリを「おっぱい」からスタートする奴いるのか。それ、「いっぱい」で始める奴だろ。そして「おっぱい」って言わせるノリじゃないのか。どうしたらいい。「おっぱい」から始まったぞ。なんなんだ。「おっぱお」と言えばいいのか。「おっぱお」でいいのか。 まあ、もしかしたら、言い間違いかもしれない。相手は「いっぱい」で出題したかったものを、誤って「おっぱい」と言

          「おっぱい」の「い」を「お」にしたらどうなる?

          2001年の教室には体罰があった

          2001年の教室には体罰があった。1992年に生まれた僕が、小学三年生になった時のことだ。新しく担任になった先生が、コンスタントに体罰をする先生だった。 当時、「体罰はよくないこと」という認識は十分に広がり始めていた。一方で、「でも体罰は必要だろう」というカウンター的な意見は、今よりずっと根強かった。だから、先生が体罰をしてもニュースになることはなかった。体罰くらいでつべこべ言う方がおかしい、という価値観も残っていた。恐らく、どこそこに「体罰をする先生」がいた最後の時代だ。

          2001年の教室には体罰があった