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物書きになる人生と、物書きにならない人生

20代前半の頃、僕は「物書きになりそうな奴ら」と遊んでいた。全員いけすかない奴らだった。全員が変な服を着ていた。そして全員が見た目ほど変な奴じゃなかった。温かい、優しさとかのある奴ら。ただ変な服を着ていて、とっつきにくいだけの奴ら。ケレン味とハッタリとしゃらくささで生きてる奴ら。僕は彼らが大好きだった。

どいつもこいつもブログをやっていた。みんな気ままな日記や随筆、映画や文学の評論、詩や戯曲や小説などを書いていた。ご多分に漏れず、僕もブログをやっていた。僕は自分の書く文章が好きだったけれど、それ以上に仲間たちの書く文章が好きだった。なんか、みんなして自分のために書いてる感じがよかった。誰かが自分のために書いたものが、翻って他人から見て面白いものとして感じられる、そこには豊かさがあった。

会うのはたまにでよかった。ふだん文章を浴びせ合っているからだ。そもそもみんな、味が濃くて胃もたれするマー油ぶっかけ炒飯のような奴らだ。たまにでいい。僕らはたまに喫煙可能な喫茶店に集まった。揃いも揃って時代錯誤の紙巻きタバコ派だった。禁煙するでもなく、電子タバコに変えるでもなく。

もくもく煙を燻らせながら、僕らは会えばよく喋る。小説や映画や漫画や学問やスポーツの話をした。時折、鳴き声のように「作家になりたい」とか「働きたくない」とか「お金なんて稼いでもしゃあない」とか「富豪になりたい」とか「世の中の役に立ちたくない」とか「人間が嫌い」とか「文章はずっと書き続けていきたい」とか「やっぱ俺は映画の人間かもしれない」とか言った。

文字に起こしたらクソ恥ずかしい、浮ついた若さの正射影のような会話だった。間違いなく僕らの青春の原風景だった。

20代中盤になっても、僕らのそういう時間は続いた。みな自分なりに大人になろうとして、全員が着地に失敗した。文筆や創作で食えるようになったものなど一人もいない。それでいてライフコースが順調に進行した感じもない。

ある者は当然のようにフリーターとなった。読書が好きなフリーター、気高くてとてもいいなと思った。

ある者は大学のあらゆる制度を駆使して卒業を拒み、学生街にたまにいる謎の長老的学生となった。あのポジション、遠くから眺めると何だか威厳があるものだが、友達がなると滑稽なもんだ。

ある者は見切り発車気味に結婚し、案の定スピード離婚した。僕らみたいなもんが急ぐからそうなる。

ある者はふつうに音信不通になり、周囲をしこたま心配させた挙げ句、一年後「オンラインサロンを開いたよ」と連絡してきた。どうかまた音信不通になりますようにと思った。

みなが無軌道に生き、すっ転んでは文化を盾に自分を守った。実に間抜けな人生たちだった。

僕は僕で、負けじと無軌道だった。大学院を修了するとき、就職活動をすっかり失念していた。就活しなくても、大学院を出たら就職している気がしていたのだ。思い出すにつけてもドン引きする愚かさだ。

当時、僕はネタを書いて人前で披露する個人活動をしていた。学籍も身分もなくなった以上、その活動が生活のメインだと言わざるを得ず、気がついたらお笑い芸人と呼ばれる何かになっていた。

事務所にはもちろん入っていないし、誰の弟子でもないし、養成所にも通っていない。「そんなの自称芸人だろ」とも思えるが、何なら自称さえしていない。俺はなんなんだ。実に間抜けな人生である。

僕らはしかし、自分たちの間抜けな人生について、これはこれで我々らしい人生だと誇っていた。僕らはいつだって胸を張れるくらい非常識だった。それは僕らの美徳だった。

歩く気の起きないレールの上に、あえて大の字に寝転ぶような生活だった。胸を張って寝転んだ。そこから見上げた宙、レールの上を進む人たちが決して気付かないところに、オーロラみたいに輝く美徳があった。

20代後半に差し掛かって、急に様子が変わった。みんなさらっと立ち上がり、さらっと落ち着き始めたのだ。僕は寝そべりながら「え、聞いてない」と焦った。本当に焦った。めっちゃ焦った。

マジでみんな、さらさらっと落ち着いていく。どういう仕組み? いつから準備してた? そこには焦りや諦めや怒りや楽しみのようなものも見えなかった。気が変わったのか。ろくでなしな日々に飽きたのか。みんな、自分のための文章を書かなくなっていった。

僕は引き続き、芸人らしき活動を続けていた。自分のための文章も、自分のためのコントもたくさん書いた。書けば書くほど、置いて行くような、置いて行かれるような気分になった。

彼らとはたまに会った。会えばいつでも楽しかった。彼らは暮らしぶりを除けば一つも変わらない。話の分かる仲間たちは、話の分かるまま先へ進んでいったのだ。それはむしろ居心地の悪いことだった。いっそ話の通じない奴等になってくれたら、青春に諦めもついたのに。こんなふうに曖昧に、人の道は分かれていくのだなと思った。

昨年、僕は30歳で初めてのエッセイを出版した。大手出版社からの全国販売だった。全国紙に書評が載った。小説新潮と文學界でコラムを書いた。引き続きコントの制作と披露も続けている。たぶん、「職業は物書きです」と言ってもだんだん怒られない感じになりつつある。いま、僕は物を書いて食っている。ライフコースへの着地、ぎりぎりのところで間に合った。

本を出してすぐ、友達の一人と会った。彼は出版を我が事かのように祝福してくれた。昔話が一通り盛り上がった後で、彼がふと「結局、僕は突き抜けられるほど論外な人間ちゃうかったわけや」と言った。

何をどう返していいか分からず、笑おうとしたら苦笑いになった。確かに僕は彼や彼らと比べたとき、より我が強く、より気まぐれで、より定時の労働に向かない人間かもしれない。でもその辺は大差ないだろ、俺だけがおかしかったみたいに言わないでくれよ、と思った。「論外」も何も、俺らは同じ話をしていたじゃないか。俺を置いて「論内」に行くなよ、と思った。

当惑する僕に、彼は「もしかしたら、もしかしたら、僕は文章を書きたかったわけでもなかったんやと思う」と続けた。

言葉が出なかった。そんなことを言わないでくれよ、と思った。俺たちのあの時間は、一時的な熱病のようなものじゃなかったはずだ。そう言い切ってしまったら、そういうことになっちゃうじゃないか。

沈黙が滞る中、彼は「一本吸おう」と言った。僕は頷いた。彼がポケットから電子タバコを取り出したから驚いた。僕はあの頃と同じ紙巻きタバコに火をつけた。種類の違う煙が舞った。

物書きになる人生と、物書きにならない人生があるとする。

僕は、自分が物書きの端くれになったことについて、特に意外だと思わない。自分はそういう人生を生きるだろうと、小さい頃から漠然と思ってきた。夢や理想ではなく予感があった。それが実際に的中した。まさか肩書きが芸人だとは思わなかったけれど。芸人になるにしてもこんな邪道の雑草とは思わなかったけれど。

一方、周囲の仲間たちが物書く道へ進まなかったことは、とても意外で、とても寂しかった。僕はみんなでずっと書き続けるものだと思っていた。程よい距離はあったまま、とはいえ同じ方向へ歩いていくものだと思っていた。ある種の仲間意識のようなものをずっと感じていた。上手に生きられない自分の有り様を、許してくれた人たちだった。

どうして道が分かれたのか。能力や才能の違いがあったわけではない。そもそも当時の仲間内で見たとき、僕の文章は飛び抜けて良いものではなかった。客観的に判断して、中の上。もしかしたら中の中だった。もっと上手い奴はいたし、もっと個性ある文体の奴もいた。秀でていたのは僕じゃない。

環境や条件の違いがあったわけではない。僕は芸能事務所に所属しているわけではないし、カネもコネも全くありゃしない。へたれた暮らしをしながら、ちまちまと奨学金を返し続けている。僕に好条件は揃っていない。

意志の違いなんかもっとない。そもそも僕に「物書きになりたい」なんて意志はないんだから。

僕たちを分けたものがわからなくて、ずっとそのことを考えている。

強いて言うならば、量なのかもしれない。量のみなのかもしれない。仲間うちで一番量を書くのは、いつも確実に僕だった。たぶん周囲の10倍くらい書いていた。「物書きになるには、いっぱい物を書くのがいい」という当たり前の結論があるだけなのかもしれない。

あるいは、もしかしたら、単にタイミングなのかもしれない。いつだか村上龍が「作家は人間に残された最後の職業」と書いていた。文章を書くことは、人生のどの段階からでも始められることであり、作家にはいつでもなれるのだと。

たまたま僕がフライングしてしまっただけなのかもしれない。量だけで、抜け駆けしてしまったというか。

ああ、もしかしたら、そうなのかもしれない。それが本当に、正しいところなのかもしれない。俺はいっぱい書いたから、早いこと物書きっぽい感じになっただけなんだ。スタートダッシュをしちゃっただけなんだ。きっといつかみんな書く。みんながどうせ書くんだ。

だって、生きていたら書きたいことなんて溜まってしまうから。書きたくならないわけがないから。そのときが訪れたら、人間はみんな物書きになるんだ。生きている間に訪れるとは限らないというだけで、みんな十分に長生きしたならば、いつか物書きになってしまうんだ。

この世には、物書きになる人生しかないんだ。それしかないんだ。物書きになりそうな奴らも、ならなさそうな奴らも、全員がいつか書くようになるんだ。それが当たり前だったみたいに筆を取って、もしくはキーボードを叩いて、自分を救わずにはいられなくなるんだ。人間は、書くときは書く生き物なんだ。

そんなことを自分勝手に考えている。これからもモリモリ書いていきたい。できるだけ長生きしたい。100歳になっても同じことを言っていたい。同じく長生きした変な服の100歳に向かって、「やっぱりお前も論外だったな」って言いたい。


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