コナン×マクドナルド「真実はいつもタツタ」が好き過ぎて悔しい
最近、マクドナルド×コナンの広告が流れている。コナンのあらゆる回を混ぜてそれっぽくサンプリングしたみたいな、どこかあの頃のMADっぽい映像が流れたのち、チキンタツタを持ったコナン君が「真実はいつもタツタ!」と言う。
真実はいつもタツタ。マジで何言ってんだよ。どういう意味なんだよ。元ネタがコナン君の名台詞「真実はいつも一つ」なのはわかる。でもそれしかわからない。
言葉としてまるで何もかかってない。韻も踏んでない、駄洒落にもなってない、ダブルミーニングにもなってない。ただただ勢い一本槍である。「真実はいつもタツタ」って。「いつも」なわけないだろ。真実がタツタなことってあんまないだろ。
極めつけに、今回マクドナルドで販売されているチキンタツタは「チキンタツタ」と「油淋鶏チーズチキンタツタ」の2種類ある。「ひとつ」でもない。本当にどうかしてる。
「真実はいつも一つ」で、「真実はいつもタツタ」なら、タツタが二つあったらダメだ。三段論法になってない。マクドナルド側も「真実はいつもタツタ」ってコピーに決まった時点で、「油淋鶏チーズ味」はお蔵入りにしろよ。出すなよ。ブレるだろ。それでも出す。それでも出すのが凄い。
ああ、たまらない。たまらなさすぎる。こんなにも馬鹿馬鹿しくて荒々しいCMを最大手×最大手のコラボがやってるのが凄い。セオリーを無視している。何一つわからない。なんか本当に好きだ。本当に心が動いた。個人的には、今までに目にしてきたどのCMよりも圧倒的に好きだ。
最初に「真実はいつもタツタ」というコピーを思いついた人、本当に凄い。
仮に俺がマクドナルドの企画コンペにいたとしても、「真実はいつもタツタ」を出せた気がしない。どうせ、新一とコナンがタツタを食べてる絵を出して、「小さくなっても好みは同じ」とか言う、クソ無難なのを提出して「真実はいつもタツタ」に敗北したんだ。悔しすぎる。悔しい。架空の会議が悔しい。「真実はいつもタツタ」は、俺には100年あっても出せない。
視聴、観劇、読書、なんであれ人の作ったものを受け取るというのは、必ずしも「わかって楽しむ」ことではない。わからないこと、わからないままに楽しむこと、わからなくて楽しめないこと、それらにも良さがある。だから人は凄い。だから文化は凄い。
だから、このCMは本当にすごい。人間が行うクリエイションの色気が、端的な一行に詰まっている。「真実はいつもタツタ」が真実なのだ。実際に、真実はいつもタツタなんだ。豊かに生きることとはなんなのか、言葉を楽しむこととはなんなのか、大事なことを思い出させてもらった気がする。ありがとう、小さな名探偵。
著書『走る道化、浮かぶ日常』
YouTubeチャンネル「九月劇場」
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