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「なぜ学校に行かなければならないか」と聞かれたとしたら、どう答えるか

”mond”の僕のアカウント宛に来た質問文より。

質問文

◀九月の回答(原文ママ)▶

九月と申します。くがつと読みます。なぜ学校に行かなければならないか、僕もあんまり分からないまま、学校に行ったり行かなかったりして大人になりました。学校それ自体に対する疑問はずっと自分の中にあって、大学では教員養成ではないタイプの教育学部を選択しました。教育について、ちゃんと考えてみたかったんです。

在学中はオルタナティブ教育、いわゆるフォーマルな学校教育とは異なるような教育の在り方、スタイルに関心を持ち、教育系のベンチャー企業で右往左往したり、同世代や少し上くらいの教育系の起業家の方の話を聞いたりしていました。次第に学校それ自体への関心(ないし愛憎)は薄れ、今はピン芸人としてコントないし文筆の仕事をしています。

もしかしたら、教育学者になる未来もあったのかもしれません。あるいは、教育系のジャーナリストだったのかも。しかし僕はその道に進みませんでした。学校に関する問題意識よりも、もう少し心の比重を占めるものを見つけたからです。お笑いは楽しい。

そうはいっても、三つ子の魂百まで、問題意識は来世まで。いったん薄れたはずの関心ですが、何かを自分の中から作り出そう、自分の書きたいことを書こうと思ったら、学校の話がちょくちょくチラつきます。僕は今でも、「なぜ学校に行かなければならないのか」を考えています。今後、学校に行く予定もないだろうに。

だからもし小中学生に「なぜ学校に行かなければならないか」と聞かれたら、ちょっと真剣に考えるモードに入ると思います。そうね、まずはきっと、目の前のその子がなぜそのような疑問を持ったのかを尋ねるでしょう。そしてその答えを受けて、どういうジャンルの悩みが根底にあるのかな、学校の話なのかな、意外と学校に限らないようなスケールのことなのかな、と考えるでしょう。

そして、知っていることは伝えながら、時には一緒に考えながら、どうにかして助けになろうと思うでしょう。ちょっと、やってみますね。

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なんで、そう思ったの?

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  • 「どうして勉強しなければならないのか分からない」

めっちゃわかる。それは持って当たり前の疑問だよ。俺はね、一応自分の答えを持っているな。小さい頃、結構考えたんだよ。

まず、小中学校で学ぶことって、「義務教育」と言われていることの内容だからね。生きて行く上で知っておいた方がいいことを学んでいるんだよ。いろんな人たちが議論して、頭をひねって、「こういうことは知っておいた方が生きて行く上で助かるだろう」と判断されたことがカリキュラムに並んでいる。なんかあれだな、夢のない回答でごめんな。

でも、それ以上に、「この世界の紹介」みたいな意味もあると思うな。こっちの考え方は夢がある。学校で習う科目って、「この世にはこんな風な物事が散らばっているよ、どれを学んでも、どれに詳しくなってもいいんだよ」みたいなさ。そういう、紹介の意味があると思うよ。五教科にしろ副教科にしろ、ある種この世のガイドラインとして、世界の見本を見てるような感覚というかな。

生まれてきて、まだ長く生きているわけではなくて、この世のことをそんなに知らない君に対して、学校は一通りの歩き方くらいは教えようとしている、っていう感じかな。それはそれで偉そうだしムカつくけどな。あいつら、一応善意ではあるんだよ。それがまた嫌な所なんだけどな。

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なんで、そう思ったの?

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  • 「校則を守る理由がわからない」

いやあ、めっちゃわかるぞ。俺もめっちゃ思ったことある。なんかさ、いまだに変な校則とかも多いもんな。一応あれだ、筋の通っている校則もあるんだよ。制服を着るのがどうだとか、夜間の外出がどうだとか、あの辺は、君たちのことを守るための校則でもある。校則を守ると、校則に守られる側面がある。とはいえ嫌だろうけど。一応そっちは納得する余地がまだあるかもしれない。

ただそうな、変なルールってマジで変だよな。髪形に関して、「ツーブロック禁止」みたいな学校って結構多いんだよね。あんまりよくわかんないよな。ツーブロックでもいいだろうにな。ツーブロックって割と大人の感じだとフォーマル寄りな髪形なのにな。

「この世界の紹介」という考え方を使うならね、もしかしたらいま、学校という舞台で、「妥当なルール」と「妥当ではないルール」を嗅ぎ分けていく練習をしている節はあるよな。変なルールだなって思ったものについては、マジで「変なルールだな」って心の底から思っていい。

学校なんて卒業しちまえばコンクリートの塊なんだから、生きてくうえでの実験場だと思って、色々悩んで考えていい。校則とかも、気に入らないのがあったら先生に質問してもいい。そういう話が通じる先生も、多くはないだろうがたまにいると思うよ。

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なんで、そう思ったの?

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  • 「クラスメイトのノリが合わない」

あるよな。学校ってこれあるんだよな。いや、ある種、当たり前なんだよ。同じ地域の、同じくらいの年齢の奴らを集めるって、集団の作られ方としてめっちゃ不自然なんだよ。だってさ、たまたま年齢が一緒くらいで、近くに住んでいた、以外に共通点がないんだもんな。

他の集団は、ふつう目的が共通しているとか、気が合うとか、同じ作業をしてお金を貰うとか、もう少し具体的な理由で集まるんだよ。共通点がもう少し多いんだよな。学校くらい不自然な仕組みで作られてる集団、他にないと思う。町内会や老人ホームですら違う。大人は自分の意志で住むところ選ぶしな。

いや、しかもさ、そんな不自然に集められているにも関わらず、メンバー一人一人も危ういんだよな。小中学生なんて、みんな他人の面倒を見れるほどには精神的に成熟してないわけよ。高校生、大学生とかでも全然なのに、小中学生。自分のことで精いっぱい。

他者と関わるうえで程よい自己主張をするのが大事だとか、折り合いをつけるためには無理のない我慢の仕方があった方がいいとか、なんか、そういうレベルのことは誰一人できない。学級委員とかやる優等生でさえ、家ではみんな大荒れの大暴れ。結果、揉めたら際限なく揉めちゃうし、合わないときは際限なく合わない。学校で人間関係が上手くいかないってのは、きっとある種当たり前のことだと思うんだ。君が悪いとかでは全くない。もうシステムの問題でしかない。

だからどうか、自分が変な奴なんじゃないかとか、自分は誰にも受け入れられないんじゃないかとか、そんなことは考えなくていい。世の中にはいーっぱい学校がある。うんざりするくらいある。君と同じように思ってる奴が各学校に一人いると思っていい。いつかそいつらと出会えるようになるから、そのとき思いっきり愚痴りまくっていい。

学校を卒業したら、もう少し集団の作り方は自由になる。趣味の合う人たちで集まることもできるし、年齢を飛び越えて「合う・合わない」をベースにして人付き合いを選んでよくなる。なんなら、人付き合いをしなくてもよくなる。わりかし一人でマイペースに生きてくことだって、できるようになってる。いま学校で合わないことについて、「学校で合わない」という事実以上に悩む必要はないからね。

まあそうな、裏を返せば、合わない奴と強制的に関わりを持たされるのは、今だけではある。それはそれで、「この世界の紹介」にも近い部分がある。色んな奴がいるな、って思っておくといい。合わない奴がいることをわかっておくことって凄く大事だよ。本当に無理なら、全部ぶん投げちまっていい。

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なんで、そう思ったの?

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  • 「学校という場の必然性が分からない」

いやあ、これはそうなんだよな。ここまでの疑問とはわけが違う。これに関しては、俺もまだ全然分からない。俺、学校について色々な疑問を持って、大学で学校について思うおかしなところについていっぱい調べて、いま芸人してるんだけどね、学校って変だなってコントをいっぱい作ってきたの。

どんなトラブルにも紋切り型の対応しかできない視野の狭さ(生徒指導の限界)だって、学校が人の個性を奪い去ることの理不尽さ(社会化見学)だって、勉強することの意味(勉強=納豆)だって、話の通じない教員のあの通じなさ(頭の中の4人の他者)だって、レベルって言葉の使われ方の嫌らしさ(レベルの高い中学校)だって、強くあらねばならない教員の辛さ、(臨時教師の恐怖)だって、結構色んなことをコントにしてきた。

それは君みたいな人に見てもらうためでもあるし、それ以上にかつての自分を納得させるためでもある。結構、頑張って来たよ。でもね、それでもまだ分からないし、納得できてない。学校が学校である必然性だけは、本当にわからない。

だって、意味わかんないよな。この世界のことがわかるなら、学校っていう場じゃなくてもいいのにね。どんな場でも、どんな仕組みでもいいのにね。学校って、すごく不自然な場だなって思うよ。今はそうなっているってだけで、きっと何十年、何百年後には仕組みが変わっているんだろうけどさ。

力になれなくてごめんな。でも、同じことで悩んだ人間がいるってことだけわかっておいてくれよな。全然一人じゃない。学校ってめっちゃおかしい。そう思っている人は他にもいる。そのことがわかるだけで、救われることもあるかもしれない。

何年後なのかしら。10年後なのか、わかんないけどさ。お酒飲めるようになったら、一緒に朝まで飲み明かそうな。学校嫌だったよねーって言いながら。その時まで、俺ちゃんと熱量をもって学校のこと、考えとくようにするから。

  • さいごに

だいたい、こんな感じでしょうか。まあ、別に無力だなと思います。たいして納得のできる答えを提出できている気もしません。最後の「飲みに誘うところ」とか妙にかっこつけ過ぎてて、書きながら自分でも「違うな」って思いました。目の前の子どもが求めてるのは十年後の酒よりは今日の焼肉だろうに。連れてってやれよな。最近の子どもは焼肉きんぐが好きらしいですよ。もう、牛角一強時代じゃないそうで。時代は変わりますねえ。

一生懸命に考えて書いたんですけど、そうね、その内容に関しても、現在進行形で何かを悩んでいる小中学生が納得する内容ではないんだと思います。そりゃ部分的にはアタリも出てるんでしょうけど、所々、調子悪い時の藤浪君くらいコース外してると思います。僕の頃と今の学校では、きっと内実も変わっているし、時代の変化だってあるし。

でもそうね、少なくとも、同じようにその疑問と立ち向かった人がいること、大人になってからもなお立ち向かっていてもいいことくらいは、いつだって示したいなと思います。


mondにテーマを投げて下さればそのテーマで何か書いてみるかもしれません。僕以外の回答者の方が答えることもままあります。ちょっと硬めのものとか、一般的な話題などがいいかも。お待ちしております。


エッセイ『走る道化、浮かぶ日常』はこちら。学校の話もちょこちょこしております。

YouTubeチャンネル「九月劇場」はこちら。コント動画が1000本弱公開されております。

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