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407.ねえ、みんな、せめて自分のことぐらい感謝してあげても良い気がする?

(19)負けない心


ねえ、みんな~

人のことも大切だけれど、自分はもっと大切なんだよ~

ねえ、みんな~

自分のにもっと、優しくして、もっと愛して欲しい~

どうしても私たちは、自分を痛めつけたり、自分に厳しすぎたり、優しくなれない。

それ、おかしいんだよ~

人に優しくできるのなら、本当は自分を優しくできるはずさ。

悩んだり、落ち込んだり、悲しんだりすれば、結果、自分を虐めていることになってしまう。

ね、かわいそうだよ~

そしてね、もっと、もっと、
自分を褒めてあげて、
自分に感謝してあげて、
自分に優しくしてあげてほしい。

だってね、自分のことを一番知っているのは、もう一人の自分なんだからね。だから、大切にしてほしい~優しくしてほしい~

もう、苦しめたり、悲しませたりするのをやめようね。

人に勝てなくったっていい~
人に負けたっていい~
競争なんていらないし、自分を低く見る必要もない。

本当はね、自分の価値って、自分が認めてあげることなんだよ。

だからね、人に勝てなくとも、負けたとしても、

自分の心を大切にして、自分に「負けない心」が必要になるのさ。

今回でシリーズ19回目。

連続で読んでくれている、みんな~

ありがとう~



1.自己報酬は満足感・充実感・達成感によって喜びに変わるもの


「自己報酬を与える」、この言葉はcoucouさんが勝手に創ったもだけど、このテーマの意味って考え見れば、なかなかわかりづらい。

でもね、ここで言いたいことは、私たちはせめて、もう一人の友人、自分のことをわかってあげる、せめて自分のことぐらい感謝してあげても良い気がする?

人ってね、どうしても自分を粗末に扱ったり、自分を責めたり、自分に対して怒りや憎しみを与えたり、寂しがらせたり、苦しめたり、悩ませたりと自分を低く評価してしまうんだ。

どうして?

本当は自分のことを一番理解できるのは自分しかいないはずなのに、一番に自分を許せなく、許さなくなるんだ。

この自己報酬は、決して自己愛のすすめではないよ。

人間って、自分を不幸にさせたり、自分を不必要に苦しめたり、悩ましたり、困らせ、大切な自分を、大切な自分という友人を悲しませたりしてしまうからね。

もしかすると、自分が自分にとって一番の現実で、事実であることを恐れているのかな?でもね、一番大切な自分を恐れるほど悲惨で恐ろしいことはない気がする。

©NPО japan copyright association Hiroaki

2.人ってね、錯覚・錯誤の中で生きているんだよ!


「自分を知る」「自分のことを知る」、この言葉は一見、とっても簡単そうな言葉で、現実にはわかっているように思えるけれど、実際にはなかなかわからないもの。

どうしてって、言えば、他人の場合は自分の目の前にいるのだから観察しやすく、わかりやすいのだけど、自分の姿は鏡でも見ない限り見えないわけで、わからなくて当たり前のことだよね。

そのため、自分でしっかりと意識することが必要になる。

人って、錯覚・錯誤の中で生きざる得ないわけなのだから、それらを理解していかねばならない気がする。

現代はモノが溢れ、「物質こそ真なり」というモノの見方もあるけど、これはモノに対する信仰心というか、ついつつい、私たちって、物質や物体のみを信じてしまうという価値観に縛られているんだ。

これは今の宗教感も同じで、人を集めること、資金を集めること、立派な建物をつくり組織化を計り何百人、何千人、何万人いることが信仰心の結果であることのように信じられている。
これも、目に見えるものを最優先し、見えないもの、映らないものの評価や価値をものすごく低くみているのと同じだよね。

©NPО japan copyright association Hiroaki

3.世の中には幸福と不幸があるという


つまり、自分の目の前に映るもの、見えるものだけを信じるために、見えないものを信じることができなくなってしまったような気がする。

だけれどね、見える、見えない。感じる、感じないはすべて相手側にあるのではなく、自分側にあるんだよ。

もし、その評価や価値が見えなければ、言葉を変えると、「自分だけが見えない」「自分だけがわからない」「自分だけが理解できない」となり、結果「相手が見えない」「相手が解らない」「相手の考えていることが理解できない」となってしまうんだ。

一体どうして? 
なぜなの?

 

よく、幸福な人は幸福だから、その幸福が見えなくなり、不幸な人は不幸なため、幸福を感ずることができないという。

それもたしかに真実かもしれないけれど、本当の幸福は、たとえ小さな幸福であっても、たとえ幸福すぎていたとしても、幸福の価値を感じたり認めたりすることによって、幸福の本来の姿がはっきりと理解しわかるはずだよ。

もし、幸福だからといって、それが理解できなければおかしいことかもしれません。

すると、これらを理解すると、幸福や不幸など世の中には区別が必要ないということになります。

©NPО japan copyright association Hiroaki

4.自分を低く見すぎると自信を失う


今の世の中、宗教や経済、科学さえも、このような錯覚・錯誤による物質評価を高く見過ぎる(信じる)ために、いつのまにか他力信仰に走ってしまっているようだね。

他力信仰ってね、自らの価値や評価を低くみてしまうのさ。
つまり、他が上位概念で自らを下位概念の位置に自分を置いてしまうからなんだ。

すると、自己確認、自己再確認ができなくなってしまう恐れがある。

すると、目的や目標を失い、夢や希望まで、期待すら持てなくなり、自己不在、自分を見失い、結果どうしたらよいのかわからなくなってしまうんだよ。

これを心理学用語でいうと、「他者依存」「他人依存」という。

そして、自分を不安に、不安定な位置においてしまう。

自分のことを高く見すぎるのも誤りだけど、逆に、自分を低く見すぎると自分に自信を失わせ、自分に報酬を与えることができなくなってしまう恐れがある。

©NPО japan copyright association Hiroaki

5.自分に報酬を与えず苦痛を与えてしまう


私たちって、無意識かもしれないけど、自分でも気づかぬうちに他人の所為や何かの所為にしてはいない?

そして、ほとんどの人は何かあると他人の所為にする場合が多いけど、自分の所為にする場合もあり、最終的には自分に苦痛を与えてしまうのさ。

何か辛いことをしている時に、そのことの意味を理解しているものは強い。

何か幸い仕事であっても、その仕事の意味を知る者は強い。

この意味を理解している人は強い、強いというのは我慢がきくことなんだ。

苦痛は本来自分が作り出しているのだということを理解できれば、その意味がわかる。その苦痛の意味がわかれば、その苦痛は減っていくんだよ。

その意味はね、「何のためにしているのか」ということ。

物事は、「やらされている」と思う者、感ずる者は「やらされているから、やっている」という意味となり、当然、苦痛となってしまう。

「やらせてもらっている」と思う者、感ずる者はむしろ、前向きで自分自身のためか、相手のためになる。
「やらされている」というのは相手にも自分のためにもならないよね。
だから、この意味を知っている人と知らない人とではまったく苦痛が違うんだよ。

人生は「やらされている」と思って生きるか?
「やらせてもらっている」
「させてもらっている」と思って生きるか?

消極的な人生を選ぶか? 
積極的に思いっきり人生を生きるか?
自分を苦しめ、苦痛を与えて寂しく生きるか?
それともそれらの苦痛を少しでも減らしていくか?
自分の人生は、確実に自分が決定していることがわかる。

「させてもらう」「やらせていただく」「やらせてもらう」という言葉は、たとえやらされている内容であったとしても、そう思い行動できる者には積極的な姿勢しかないような気がする。

「させてもらう」『させて』『もらう』「やらせていただく」とは、『もらう』『いただく』ことであり、もらうことは報酬(喜び)となる。

たとえば、子どもを育てさせてもらう、両親のめんどうを見させてもらう、友だちの面倒を見させていただく、仕事をさせてもらうというように、人はあらゆることで報酬をもらうことができるはずなんだ、誰でもね。

物事のすべては「やらせてもらう」と思い、感じることで積極手的に生きることができるようになれば、そこには人のあたたかさやありがたさを感じ、人の思いやりに感謝することができるようになる。

もしかするとね、「ありがたいなあ」と思える、それが報酬、与える、与えられる報酬といえることかも知れませんよ…

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coucouさんです~
みなさん、ごきげんよう~

おかげさまで無理せず、無理できずの仕事はじめ~
薬のせいで、頭はボーっとしているけれど、まあ、これはいつも通り。
痛みはだいぶ軽減。椅子には座り方を考えれば何とか座れる。

天使のにゃむさんが、オムツアイデアと教えてくれたので、あらゆる方法を考えた。

そして発見した~

パンツオムツや通常のオムツはスラックスの中にはくには苦しいものがある。(特に座る場合と、外から見られる場合何となく膨らみすぎてわかる)

そこで、内緒だけれど女性の生理用品を使ったらとても楽になった~
(笑わないでね~)

そう、本日からcoucouさんは女性なった~

いいね~机に向かえるって~
いいね~仕事ができるって~
いいね~もう少しで人とも会えるって~

great dictator speech charlie chaplin

こんな画像を見つけた~
お時間があったら見てね~

チャップリンはラストに「ハンナ」に語りかける~
その人の名は、チャップリンが愛したお母さんの名前でした…。
世の中の独裁者たちよ~
この言葉を聞きなさい~

 


さて、coucouさんの大好きな「ノートに神さま」28番目(順不同)の方のご紹介~勝手なご紹介、お許しくださいね~

その人の名は「もりおゆう」さん。

coucouさんはね、20代の頃からもりおゆうさんの作品を知っていた。

でもね、同一人物かどうかまでわからなかった。
もりおゆうさんの作品の一番好きなものは、フリーハンドで描かれた作品。特にスケッチが好き~

coucouさんはね、漫画や絵に支えられて救われた人。
それは貸本時代にまで遡る。

もちろん、手塚治虫さんも好き。
水木しげるさんも好き、さいとうたかお、永島真二、みやはら敬一(きりがない)。雑誌はCОМ、ガロなどは宝物。

もちろん、ドラえもんやおそ松くんもね。
ただ、原画展は、いつも父に連れて行ってもらった。

手塚治虫さんに子どもの頃にサインをいただいたときは身体が全身硬直した。大人になって虫プロが倒産したときに手塚治虫さんにまた会えた。
分厚い眼鏡レンズに巨大な目の玉と笑顔は忘れられない。

どちらにしろ、coucouさんは漫画に支えられ救われた。

ただ、原画展でも、墨入れした作品よりも下描きの絵コンテ、スケッチを見る方が気に入っていた。
だって、墨入れした完成された作品よりも、下描きの鉛筆の線の魅力に惹かれてしまうんだもの。

どうしてって?

それはね、下描きの線があまりにも美しく感じたんだ。
ゴッホやミケランジェロ、エジソンのラフ(下描きの線)と同じに見えた。

なんと、美しいの?


話が長くなるので、ここまで。


そう、もりおゆうさんのスケッチ、下描き線を見ると鳥肌が立ってしまう。

なんて、優しくて、あたたかくて、人を支え、人を救う線なのだろう?
どうしてもそんな見方になってしまうんだ。
丁度、筆文字のかすれ線のように、人の心が線に現れるものだと、勝手に信じているoucouさん。

そのスケッチに色がつく、凄くない~

言葉では言い表せないほどの感動と美しさを感じてしまう。

もりおゆうさんはね、そのイラストの神さまだと思う。
そう、ここにも「ノートに神さま」がいたんだ~

Yu Morio もりおゆうさんの言葉より

イラストレーターもりおゆうhttp://www.ceres.dti.ne.jp/~horie/(from1992)noteではライフワーク「僕の昭和スケッチ」を中心に発信しています/東京在住

もっと、もっとご紹介したいのだけれど、引用だらけでは著作権侵害になりそうなので、あとでみなさん開いてください~さらにcoucouさんのお気に入りは「昭和時代」の懐かしさ。何もなかったけれど、素晴らしすぎた昭和時代にタイムスリップしてしまう~ぜひ、見てほしい作品群で~す~


©NPО japan copyright association 


coucouさんのホームページ登場!(coucouさんの電子書籍の紹介あり~)

 Production / copyright©NPО japan copyright coucou associationphotograph©NPО japan copyright association Hiroaki
Character design©NPО japan copyright association Hikaru


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