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学校の校則・ルール 記事まとめ

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学校の校則やルールづくりにまつわるアイデアやレポート、エッセイなどをまとめるnote公式マガジンです。
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#学校

みらいの校則についてすごくよく考えてみた。

新しい時代の学校のみらいの校則として相応しいことはただ一つ「がんばりを認めよう」であると私は考えている。 どうしてそう考えるに至ったか、経験をもとに書いていきたい。 私は苦手なことが多かった。運動すること、絵を描くこと、物を作ること、字を書くことなどが不得意といえるレベルを超えてできなかった。 苦手なことについて努力をしなかったわけではない。一生懸命に逆上がりの練習をしてもやはりできないのではあるが、体育教師からは「やる気がないからできない」と否定された。 たぶん逆上

絵にかいたような”優等生”だった私が、おとなになってから校則に向き合う理由

私が学生だったころ、自分自身が校則に疑問を持ったことも、校則に違反するようなふるまいをすることも、まして校則を変えようと動いたことは一度もありませんでした。 むしろ、先生のいう通りに、友達にも校則を守らせようとする生徒でした。 当時ルールメイキングをする友人がいたら、恐らく冷ややかな目線を送っていたんじゃないかと思うくらいです。 でも、28歳になった今は校則見直しの可能性を信じているし、「ルールメイキング」をみんなのものにしたいと思ってこの活動に取り組んでいます。 ”優等

分厚い紙

#みらいの校則 中学生の時は生徒手帳みたいなものがなかったからあまり意識していなかった。 高校生になってリュックにいつも入っているあの分厚い手帳、びっしりと校則が書いてある。 校則変えるってとても難しい。 生徒会に関わって実感した。 私がほしい校則高校生にも有給休暇がほしい。 高校生になってから何もかもが忙しいからちゃんと休むことができない。たとえ休日1日だけoffでも多分ずっと爆睡してる。 休むっていうのは体力的にも、精神的にも休むってことだと思う。 遠くに出かけ

当たり前をなくして個々を認め合える学校を目指してほしい

私が過ごした小中学生時代私が過ごした学生時代は、朝は席についていないといけない時間はきっちりと決まっていて、服装も髪色も規定があって、小学校は全員が給食という決まりだったし、それが当たり前に当たり前で誰も疑問に思うことなど無かった。 むしろ、それが当たり前であることで少しの違いで誰かが怒った、ちょっとしたルールのズレで先生が正そうとした。ささいな周りと違う行動で、誰かがズルいと泣き叫んだ。 どのルールも守ることは当たり前だった。 でも、それは良いことなのだろうか。 私

「やりたいこと」からルールは育つ

今、校則や学校にあるルール見直しの取り組みを全国に広げたり、すでに取り組んでいる学校のサポートをする仕事をしています。 いろいろな学校の取り組みをみていると、さまざまなタイプの生徒がいます。校則やルールに対して課題意識を持って取り組んでいる子もいれば、そういったことにあまり関心を持っていない子もいます。 さて自分はこれまでどんなふうに学校のルールと向き合ってきたっけな、といろいろ思い出したので綴っていきます。 「静かにしよう、みんな!」が言えていた小学生の頃小学生の頃は

「教育を変える」ためには、まずは「ランドセルをやめてみる」のは、どうでしょうか?

 もう随分と昔になるけれど、テレビを見ていて、教育に関して、印象的な言葉を聞いたのを覚えている。 なつかしいは、おかしい 「ニッポンのジレンマ」という番組で、教育の専門家(すみませんが、誰だか忘れました)が、こんな事を話した。  学校へ行くと、みなさん、誰もがなつかしい、と言いますよね。だけど、それは、考えたらおかしいんです。もう随分と時間が経っているのに、変わっていないという事ですから。  近所の高校が文化祭を行い、バザーや美術部の展示を見に行きたくて、高校の教室を見

北海道で群馬を流行らせた千葉先生と、人間になった野ザルたち

先日、たべっ子どうぶつのビスケットで遊び倒していた私。 パッケージ裏のイベントに翻弄されたり、知らなかった動物の英語表記を学んだり、新しい英単語を作って新生物を生み出したり、それはそれはとても有意義な時間だった。 このように、と言うにはちょっと遊びすぎたかもしれないが、遊びと学びは合体するととてもよい。 「遊び」という楽しい記憶とともに「学び」を得ることができる。 その面白さ、興味深さが学びの吸収率を上げているのだと思う。 たべっ子どうぶつで遊ばなければ、私はヤマアラシとい

校則が理不尽なのはもうおわり。ブランディングになる未来。

校則って聞くと、ネガティブなイメージをもつ人が多い気がしますが、どうでしょう。 わたし自身、中・高生の頃は納得できずにいくつかの服装違反をしていたこともありました。 思えばわたしのこれまでは、校則をはじめとする「納得できないルール」との闘いだったのかもしれません。 全校生徒で短パンをハーフパンツに変えられた中学時代。 校則の見直しに立ち会ってきた教員時代。 そして、いくつかの会社や企画のルールづくりに関わっている今。 いろんな立場から校則や、ルールに関わってきたわたし

みらいの校則と聞いて思い出した

校則って、いかにバレずに破るかという黒に近いグレーゾーンを攻めるのがある意味で楽しかった記憶がある。 出身校の校則は、指定の制服とバッグでということくらいでうるさ過ぎず、放任すぎずという感じだった。それでも校則違反は生徒指導の体育の怖い先生に怒られたし、まあこんなもんだろうと思っていた。 そんな中で意外と校則に関して印象に残っていることがある。それは校則のグレーゾーンを見つけ出して全力で楽しむということ。 そんな中で自分たちが見つけ出したユートピアが、「顧問の準備室」だ

校則あれこれ

少し前から始まっていた、「みらいの校則」のお題。 このお題を見た瞬間に、青森の某中学校の校則を思い出しました。 今の世代には考えられないことかもしれませんが、私の通っていた中学校・高校(青森)では、四半世紀経って振り返ってみても、意味不明な校則が数多くありましたっけ。 1.男子は丸坊主必須、女子は髪の毛が肩についたら必ず縛る後者は、まあ分かります。髪の毛が長いと、縛らないと邪魔ですしね。 ですが、男子の丸坊主は女子生徒から見ても、本当に気の毒でした。 丸坊主にするメリット

これからの学校の役割 【学校2.0】

みなさん、こんにちは。 学校の未来に不安を感じている野良教師です。 少子高齢化が加速する現在、教育市場は確実に下火になるでしょう。 だからこそ、今後の学校はどのように変化していくでしょうか? それとも変化しないのでしょうか? 僕は変化する未来が必ず来ると思っています。 そして、変化できない学校や力のない学校、信用のない学校は淘汰されていく事でしょう。 近い将来必ず学校戦国時代が来ます。 そのような時代が来たときに力のない学校はどのようにして生き残っていけばいい

将来の学校の規則

 本来、校則は子供の教育の為にあるという原則を忘れてはいけないと思います。必要最低限の、根拠を持った決まりだけにするべきだと思います。 割と厳しい中高一貫校 私自身は、中高一貫校で過ごしました。この時の校則は、月1回の頭髪検査があったり、抜き打ち荷物検査があったりしました。ピアス禁止、毛染め禁止、などはありました。  昨今のブラック校則のように、男女交際の禁止や下着の色までは指定はなかったです。 スマホが禁止でなくなるケースが増えた 特に、災害時の連絡用ということで認め