当たり前をなくして個々を認め合える学校を目指してほしい
私が過ごした小中学生時代
私が過ごした学生時代は、朝は席についていないといけない時間はきっちりと決まっていて、服装も髪色も規定があって、小学校は全員が給食という決まりだったし、それが当たり前に当たり前で誰も疑問に思うことなど無かった。
むしろ、それが当たり前であることで少しの違いで誰かが怒った、ちょっとしたルールのズレで先生が正そうとした。ささいな周りと違う行動で、誰かがズルいと泣き叫んだ。
どのルールも守ることは当たり前だった。
でも、それは良いことなのだろうか。
私は大人になって疑問を持つようになった。
特別扱いじゃないそれがあなただ
私が昔通っていた学校には朝起きれず、いつも遅れてくる子がいた。
それを見ているクラスのみんなは口をそろえて言った。
「いいなあ、いっぱい寝られて」
「ずるいなあ、僕も遅刻したい学校来たくない」
でも、遅れてくる子には理由があった。
ただ、朝が苦手なのではない。体が弱く朝は本当に起きられないのだ。
周りのみんなみたいに簡単に起きることが出来ないのだ。
朝起き上がるのに周りの何十倍も苦しい努力をしているのだ。
だから、ズルいのは違う。でも、朝起きて決まった時間に来るのは当たり前だから、それが出来ないと何故か浮いてしまうそんなクラスだった。
その子は周りを気にして無理をしてきていることもあった。
苦しそうだったし、心配だった。
先生だって「来れる時は頑張ってこようね」そう言った。
確かに、社会に出れば朝早い出社は必須かもしれないが、働き方は選べる世の中になったし、社会で早起きが必要だからって子供の時に無理を言って慣れさせようとし、辛い想いをするのも何か違う。
あと、新しい転校生が来たときに先生は優しく言った。
「髪色、黒にしなきゃね」
その転校生は、アメリカから来た綺麗なブロンドの髪の毛の女の子だった。
そんな素敵な彼女は、次の日真っ黒の髪の毛で学校へ来た。
黒い髪の毛で過ごすのが当たり前だったから、誰も疑問には思わなかった。
「あ、黒にしたんだ!」
そうクラスメイトが彼女に話しかけると、まだ慣れない日本語で彼女は言った。
「そーいう決まりゴト。先生言った」
どうあればいいのか
ルールなんだから守るべきで、ルールを従うからこそいつか社会に出られる。集団生活ができるようになる。
確かにそうだ。決められたことを守ることが出来るのならいつか社会に出た時に大きく役に立つ。
でも、それは個性を、自分を殺してまでやることなのか?
私はルールがあることは悪いことだとは思わない。
でも、ルールが絶対で、決められたひとつのレールが正しいと進んでしまったら、私はいつか個性を大事に生きられなくなってしまうのではないかと不安になることもある。
守りたくなくて守っていないのではない、守りたくても守れない人もいる。
では、学校でのルールはどうあればよいのだろうか。
例えばの話
これは私の願望で、もし実現したとしても課題や問題が出てくるかもしれないのは、間違いないが話させてもらう。例えばの話と思ってきて欲しい。
もし、今の学校のルールを変えるとしたら、まずは決まった時間に登校し、決まったその日の科目をみんなできっちりとした時間で受けて帰るという制度をなくしてほしい。それはどういうことかというと、時間割をなくしてしまっていいということだ。
じゃあどうするか、それは自分で授業を選択し受けるようにすればいい。
毎日決まった時間に決まった教科の授業を決まった場所で先生がそれぞれ行い、自由に子供が受けに行くのだ。子供は自分に合った時間に自分の学びたい教科を学びに行けるようにする。
どの授業を受けるのか、スケジュールの組み方も子供が自分で考え決めればいい。そこで自分で考えて教科を選択していくことで、学ぶ意味や自分の将来をより考えられる。自分の意志で考え生きることにも繋がる。
それが低学年なら選び方や考え方を先生がサポートしていかなければいけないから大変かもしれない。でも成長するにつれて自分で考え学びを選択出来たら、その子供にとってとても有意義な時間になると思う。
簡単にいうと大学のような単位制を取り入れてみたらいいのではないかという話だ。だから2限目からの出席も出来る。
もちろん選択必須の科目もいれる必要はあるが、これを取り入れることで無理のない学びに繋がる。
朝の登校時間が決まっていないことで、持病を抱えていて朝が辛い子供も、朝は鼻血が出やすく登校しにくい子供も焦ることなく自分のペースで学べるかもしれない。
世の中には学びたくても、体が弱くて思うように勉強が出来ていない子はいっぱいいる。私はそんな友達を見てきた。
本人たちは学びたいのに、朝起きれなくて悔しい思いをしていた。悪いことをしたわけではないのに「また遅刻?」という言葉に傷ついていた。
でも、自由度の高い勉強の仕方にすれば、遅刻することでズルいなんて言う子供も少ないかもしれない。それぞれのペースがあり、個々を大事にして学ぶという雰囲気が伝わり、個々を認め合えるようになるかもしれない。
あの子のペース、私のペースで学べる。
しかしそれには問題もある。勉強にやる気のない子にとってはサボりやすくなってしまうという問題もある。自由度が高くなるほど、サボる自由も高くなるからだ。勉強に意欲がある人にとっては自分の得意も伸ばせるし、学ぶ意味、その科目を選択する意味を考えられ伸びるやり方だが、勉強したくない子供への対策が必要になってしまう。
大学生だって、出席が足りなくて、単位が足りなくて……卒業がやばい!ということがあるように。
小学生の頃からもしこれを導入したら、かなり大変だが、メリットもデメリットもたくさん出てきそうだ。
何が言いたいかというと
私が言いたいことは実はルールを変えて欲しいということではない。
私は学校に〝みんなちがってみんないい〟の本当の意味をもっと教えて欲しいだけなのだ。
それは、誰かの容姿や性格、学力を認め合うことではない。
学校の根本的な考え方から個々を認める取り組みをして欲しいだけなのだ。
学校には給食があるけれど、お弁当と給食どっちを選べるようにしてもいい。給食が絶対じゃなくていい。そうすれば、アレルギーの子は自分だけ違うと考えなくて済む。アレルギーだからとか、どうだとか関係なく、「私は私、あなたはあなた」という空気になるはずだ。誰かと違う選択するのは自分が周りの当たり前に従えないからではなく、自分は自分だからそういう選択をしただけだから。
絶対は無くしていいと思う。
あと、髪色だってそうだ。そこまで黒にしないといけないなんて考える必要は無い。黒がルールになってしまえば、違う色は普通ではないように子供は当たり前に思ってしまう。
みんなそれぞれの髪の毛、容姿、服装。全てを尊重し認め合えれば、クラスメイトの友達に普通を押し付けて喧嘩することも減るのではないのだろうか。自分に自信が持てるのではないのだろうか。
それは先生から始めたっていい。
もちろん、全てが自由で無法地帯になってはいけないから、最低限のマナーは教えるべきだが、それを学校で強制するのは違う気もする。大事なのは社会に出た時、どうして身だしなみを整えるとみんなが居心地よくなるのか。会社によって中身も風潮も違って、どうしてその場所でそのルールを守っているのか。ルールを守った先に何が生まれたのか。それを教えることが子供にとってより良い気づきが生まれる気がする。
ただただ、「社会では身だしなみを整えなければいけない。社会ではルールを守らなければいけない。守ればちゃんと働ける。みんなそうしている」それを教えるだけじゃ本質は分からない。
もう一度言うが私が言いたいことはルールを変えることではない。
当たり前が当たり前にできない人もいる。だから、もっと世の中に「あなたはあなた、私は私」という空気を作ってほしい。頑なに昔のルールや当たり前を正しいと思いそれ以外が普通でないように発表するのではなく、「あの子はあの子、僕は僕」みんな違っていい、みんな違うのが当たり前と心から思えるようになって欲しい。
そして、みんながそれぞれ違うのが当たり前な日常で、一生懸命悩み考え、前に進んでほしい。
その為に、授業の受け方への考えを大きく変えたりして、子供の考え方を変えて欲しい。
そうすれば、学校に行けなくて悩んでいる子供も「私は私の考えのままでいいんだ」と思えるようになってくれると思うのだ。通いやすくなると思うのだ。
今、多様性が求められている。社会ではダイバーシティ研修なんかも増えている。
本当はこの世に普通なんて無くて、みんなそれぞれ違う特別であることに社会が気付き始めている。
ルールを守れない特別扱いなんていらない。
それは子供の時から大切にして欲しい。
子供だからこそ大切にして欲しい。
未来を作るのは今の子供
より良い未来を作る為に、世の中は一生懸命考えている。
ある企業ではセクハラパワハラの取り締まりを強化した。
ある会社では、ダイバーシティ研修を取り入れた。
ある部署では新人から誰でもみんなが新しい意見を言い合い、会社をより良くするためにそれぞれの考えを大事にする努力をした。
風通しの良い職場づくりを頑張っている。働き方改革が進みだした。
会社のあり方を常に模索し、成長できる会社にしようと前に進んでいる。
もちろんまだまだ、それらを取り入れられていない会社もある。
でも、昔の「残業すればするほど良い」「上の人の意見が絶対」という当たり前は当たり前では無くなってきた。
そして、今の子供の考えがより良い未来を作るのだ。
今の子供たちがこれからの未来を大きく変えることを忘れてはいけない。
今の子供たちが周りの意見や気持ち、学び方、過ごし方、全てをみんな違っていいのだと。自分は自分で、みんながみんなだと考え前に進んだならば、今よりももっと個性を受け止め大切にできる社会や未来があってくれるんじゃないだろうか。
もちろん、日常で誰しも、自分と違う他人を受け入れられない時も嫌になるときもある、自分と違うことに腹が立つ時だってある。相手次第で苦手意識が生まれることも、みんな違うんだから当たり前にある。
でも、苦手だと思っても知ろうとする勇気や自分と違う他人がいることを認めることがまずは大事だと考える。
それが受け入れることに繋がることもあるからだ。それをしようとしないで、他人を無視するのは悲しい。
決して、全ての人を肯定してほしいということではない。
周りと違うからみんなと同じでないから知ろうとしない認めないのではなく、皆と違うことをまずは知ろうと努力する社会が未来にあって欲しいのだ。
その為に出来ることが、学校にはあると考えている。
※良ければ以前書いた今の時代の当たり前についての記事もみて下さい。
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