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絵にかいたような”優等生”だった私が、おとなになってから校則に向き合う理由

私が学生だったころ、自分自身が校則に疑問を持ったことも、校則に違反するようなふるまいをすることも、まして校則を変えようと動いたことは一度もありませんでした。
むしろ、先生のいう通りに、友達にも校則を守らせようとする生徒でした。
当時ルールメイキングをする友人がいたら、恐らく冷ややかな目線を送っていたんじゃないかと思うくらいです。

でも、28歳になった今は校則見直しの可能性を信じているし、「ルールメイキング」をみんなのものにしたいと思ってこの活動に取り組んでいます。

”優等生”だった私が大人になった今、どうして校則見直しに取り組むのか?
その理由を少しだけシェアしたいなと思います。

■ 校則を守ることが、自分を”守る”方法だった

私が通っていた中学校は、極端に厳しい校則はなく、その地域では校則は緩い学校でした。

・整髪料はつけてはいけない
・スカートはひざ下
・髪が長ければ縛り、前髪は眉毛の上でなくてはいけない
・体操服の裾は、ズボンに入れないといけない
・靴下、靴は白

そのくらいです。

でも、この校則に違反したとき、罰則がとても厳しかったのを覚えています。
整髪料をつけていたら、整髪料が落ちるまで水道の冷水とハンドソープで洗髪されたり、全校集会のみんなが見ている前で引っ張られて体育館から連れ出されたり…。
もう10年以上前の出来事なので、どこまで正しいか分かりませんが、少なくとも今の私が思い出せる当時の記憶です。

校則に違反したときに待っていることから、自分を守りたかった。
私が校則を守り、”優等生”でい続けた理由はそこにありました。

■ ルールメイキングを通して、自分を取り戻す

おとなになってからも、社会通念やルール、”〇〇らしさ” に追いつこうと必死でした。自分身が生きる環境は、見えない誰かが決めていて、それに従って選択をしていくことが、正解なんだと疑うことはありませんでした。

そうやって過ごした27年間だったわけですが、社会の正解を追いかけて、期待に応えてきたはずなのに、自分自身が、自分の手から離れていく感覚でした。

私はこの経験を通して、自分がいる環境や社会において、自分が「よい」と感じる基準をもち、それを実現しようとすることの大切さを強く感じるようになりました。自分の居場所や環境を、自分で選択・決断し、ワクワクするものに変えていく力が、社会に出たときに必要なんだと。

ルールや校則を守ることを否定しているわけではありませんし、社会通念が間違っているとも思っていません。時にルールは私たちを守ってくれることがありますし、生活していく上でルールがあることでより過ごしやすくなることもあります。
ただこれは、ちゃんと自分がよいと感じられるものなのか?を考え、そのルールを共有する人たちと、お互いの基準を持ち寄って、対話することから始めたらどうだろう?という提案です。きっとそれは、自分を取り戻す大切な作業になるはずです。

もしかすると、私がルールメイキングを仕事にしているのは、学生時代の自分への復讐なのかもしれません。そうだとすれば、こんなに面白い復讐は他にありません。ルールメイキングは私にとっても人生の転機だったのだと感じています。

この記事を読んでくださった人のなかで、「校則なんて自分には関係ない」と思っていた人がいたら、もう少しだけ他のルールメイカーの言葉を聞いてみてください。きっと何か新しい気づきがあるはずです。


#ルールメイキング #みらいの校則 #学校 #校則

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