マガジンのカバー画像

短篇集

10
創作をまとめておきます。
運営しているクリエイター

#言葉

『彼岸』

『彼岸』

布団に投げ出した体に部屋に積もっていた冷たさが染み込んできて薄い硬い膜を張る。
食べること眠ること話すこと笑うこと泣くこと、瑞瑞しい瞬間の彼岸にある感覚。
.
.
今は私の弱い所が煮詰まっておりますが、御容赦願いますこれを読む貴方へ。
夜の静けさに紛れて、数時間前よりもゆっくり息を吐(つ)いてそれを数えております。五感が鈍ってゆく音だけが唯一、耳の奥でひそやかに鳴るのです。そしてその音は、明日(あ

もっとみる
『電話線とミルキーウェイ』

『電話線とミルキーウェイ』

真夜中にしんと沈んだ街、街灯はどこへ導いてくれるわけでもなくぼんやり白く光る。

電話ボックスの四隅には、真昼間にも夜が澱んでいるんだよ、とマスターは珈琲豆を挽きながら歌うように言っていた。本当かな。

今電話ボックスには、たぷんと夜が溜まっている。

コインを入れて受話器を取れば、私と同じように夜を啜る、誰かも分からない貴方に繋がる電話があれば良い。私は貴方に約束を取り付ける。
星と星を結ぶみた

もっとみる
課題で出された通りのテーマで書いたつもりなのに微妙な反応を貰った短篇をここで消化します。

課題で出された通りのテーマで書いたつもりなのに微妙な反応を貰った短篇をここで消化します。

タイトルが長いんだわ。
以下、本文です。

『無題』
①目を開けると、少し遠くに天井が見えた。真っ白いそれは、氷が張ったかのようにひどく冷たく硬そうだった。私はぎこちなく布団から出ると、素足にスリッパを履き、その白い部屋から外に出た。空気が、乾燥している。廊下に出た瞬間に私の輪郭を撫でた風が、頬の水分を攫っていった。私のことを冷やかすようだった。廊下の突き当たり、体当たりをするように重たい扉を開け

もっとみる
『沈黙と騒音、割れたそれについて』

『沈黙と騒音、割れたそれについて』

「ねえ」と言ったら、それは貴方に届くすんでのところで弾き返され、気付いたら落ちて割れていた。

言葉は大抵、届いた地点からゆっくりと沈んで、溶けていくように思う。アイスコーヒーにガムシロップを入れた時のように、ミルクでもいいんだけど、もやもやと漂ったかと思えば重力に負けて素直に落ちていくこともある。すべてがコーヒーに混ざりあってしまった時、言葉はわたしから離れて貴方のものになる。

今わたしから飛

もっとみる
『あの春に死に損ねたので』

『あの春に死に損ねたので』

急に春一番が吹いて春が来た。
間に合わせの薄手のセーター、履きなれたスニーカー。足は安心しきってスニーカーに身を委ねている。すこし汗ばみながら、歩く。
見上げると、青空にコーヒーフレッシュ1個分をこぼしたくらいの薄く霞んだ空だった。風の匂いは、おべんとうをリュックの底に大切に仕舞って出掛けた遠い昔の遠足の日の、埃っぽく汚れた手をお手拭きでぬぐう時のあの匂い。あどけない故の、凶暴な匂い。

1年ぶり

もっとみる