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『あの春に死に損ねたので』

急に春一番が吹いて春が来た。
間に合わせの薄手のセーター、履きなれたスニーカー。足は安心しきってスニーカーに身を委ねている。すこし汗ばみながら、歩く。
見上げると、青空にコーヒーフレッシュ1個分をこぼしたくらいの薄く霞んだ空だった。風の匂いは、おべんとうをリュックの底に大切に仕舞って出掛けた遠い昔の遠足の日の、埃っぽく汚れた手をお手拭きでぬぐう時のあの匂い。あどけない故の、凶暴な匂い。

1年ぶりの紛うことなき春が、私の頬を撫でている。

私と、あの匂いを纏った空気がふれあう接地面。凶暴な匂いに、まだ日に焼けてない私の薄くて白い肌が溶かされていくような、泡立つような、心地がする。
歩みを止めると、本当に溶けて動けなくなってしまいそうだった。少しよれたスニーカーはしとしと静かな足音を立てながら、次第に早足になる。防衛本能だ、と思った。

真新しい糊のきいた黄色い帽子を頭にのせた子ども。甲高いその声にまで糊をきかせているようで、苦手だ。一年中その真新しさを着こなしてしまう子どものことが、わたしにはどうしても分からない。

あの春に死ねなかったものだから、今年の春も泡立つ肌を懸命にさすりながら、この春を早足で通り過ぎてしまいたい、とぎゅっと目を瞑る。凶暴な匂いは尚も鼻をかすめる。
いつだかの春に死ねなかった私のことを、今年の私は恨めしく睨んでいる。また、足を早める。

春になると、みんなが薄手のシャツを着るのと同じくらい当たり前に、
春になると、なるべく綺麗に死んでやろうと思う。

ズボンのポケットに突っ込んだiPhoneは、歩いている間一度たりともふるえなかった。
みんな春の真新しさを着こなすのに忙しいのだと思った。彼らは春のあどけない風の中で、シャツの袖やスカートの裾をはためかせながら、ふわりといのちをかがやかせる。

真新しさを着こなせなかったあの春に、私は死のうと思ったのに、死ねなかった。泡立つ肌を薄手のセーター越しに抱きしめて落ち着かせながら、ひとり、春のあどけない風の中で燦然とかがやく無数の生き物の、あまりにも綺麗なさまに見とれていたら、気付くと、死に損ねたわたしが当たり前のように生きていた。

あの春に死に損ねたので、わたしは泡立つ肌を抱えて、ひとりを噛み締めながら、今日も早足で春の中を歩いている。あの燦然とかがやく生き物のうちの、どれかひとつが、私のことを追いかけて来てはくれまいか、と願うようになってしまった。すべてはあの春に死に損ねたが故。
あまりに綺麗な生き物は、きっと魔法の手を持っている。魔法の手がやさしく私の肩をなぞって、その先の私のつめたい手を握ると、泡立つ肌は柔らかくなめらかに落ち着いて、私でも薄手のシャツを着こなせるようになる。

魔法の手を持つ貴方をさがしている。

サムネイル提供:アメ リンゴ さん
Twitter @ameringo0124
私のこの文章から絵を描いてくださいました。あまりに素敵なので、サムネイルにさせて頂きました。
これまた素敵な褒め言葉も頂いてしまって、なんだか、気持ちがふわふわしています。
ありがとうございました。
月嶋 真昼


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