日報ピンポン

交換日記

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最近の記事

いつかはおわる

冷たい風がびゅうびゅうと吹いている。夜の間にすこし降ったらしい雪が大文字の大の字あたりを白くしていた。遠くの山々も白くなっている。 秋は、と思い出そうとするととても遠いことのように思われ、でも秋から一ヶ月やそこらしか経っていないことにハッとする。ここ最近、身の回りや環境の変化はなかったけれども、心境の変化が激しかったのである。大人になると年月が早くなると聞いていたが、私の年月はまだ長く遅いままだ。 主治医との短い会話を一年二年と重ねながら、自分の特性や課題などがだんだん見え

    • Happiness

      汗ばむ陽気と凍える風とが一週間ごとに入れ替わり、秋とはこの中間がしばらく続くものではなかったろうかと頭をひねる。 ひねっていると、これはもしや様々な服を着られるのでは、と気づき、大喜びで外に出てみた。春過ぎに購入した長袖のハイネックワンピース。すぐに暑い季節が訪れ、数度しか着ることができずでその時は良いコーディネートを思いつかなかったものの、昨日ふと大きめのハーフパンツと合わせてみると、とてもかわいかった。今日は90's風のダメージジーンズに、肩のラインのパキッとしたピッタリ

      • うわのそら

         先日、夏の勢いのようなものが急速に失われ、雲や風、光の様子に秋の気配がのぞきはじめ、今日にいたっては、とうとう丸一日涼しかった具合である。窓を開けたまま寝て目覚め、網戸を開け閉めしながら洗濯物を干し、取り込んだ。いまはコオロギが鳴いている。これから気温の上下をしながら秋へ冬へと全体的な下降をはじめるのだろう。  サルスベリが花を散らし始めた。地元の福岡では六月に咲いて散っていたものだから、土地が変わるとこういった季節感が変わることに、見慣れたものほど困惑する。  夏はやはり

        • あそびの心をしらない

          百日紅の花が風に吹かれて、枝をしならせている。太陽をいっぱい浴びようとしているのか、枝先にばかり集まっていてなんとも重そうだ。耐え難い暑さの中、その名の通りとても長い間咲き続けるのにも関わらず、たっぷりとした花々が鮮やかな色を保ち続ける様に強さを感じる。なんだか背筋がしゃんとしてくる。 今年はいかにも夏らしい、高く青い空に恵まれている。それでも京都の夏によくあった、気の遠くなりそうな程白い空気に触れることは未だなく、湿度の問題なのだろうかと考える。関東の夏はこの猛暑でも、強

        いつかはおわる

          湖と花

          遠くに大きな積雲が浮かんでいる。6月も終わろうとし、すっかり夏らしい空が見られるようになった。 来月、タトゥーをいれてもらうことにし、予約をとった。花柄にしようとまでは決めつつ、誕生月の花にしようかと思ったが、夏の花はあまり記憶になかった。そういえば夏は雲ばかり見ているから、そういえば花をあまり見たり覚えたりしていなかったなと気づく。 今年の梅雨はあまり雨が降らなかった。たくさん降ると水害などに困るけれども、降らないと今度は水不足などを心配してしまう。地元の水は特に、ダムに支

          Raw Silk Uncut Wood

          五月らしい新緑の輝きはじっとりとした雨に覆われ続けていた。私の生活も似たようなもので、どうにもうまくいかないことばかりで背中がこわばっていく。 伝えたかったものとはずいぶん違った形で口から出てゆくことばたちに翻弄されて日々が流れゆく。勢いに任せ自らの正しさを信じてしまう。自分自身の余裕のなさを、無意識的に他人のものとすり替えてしまう。悔やんでもまた繰り返しゆく失敗が積み重なり、がんじがらめになってゆく。 居を移しゆくことを切望し、かなわぬ願いで幹をすり減らしゆくよりも、根ざ

          Raw Silk Uncut Wood

          毛玉

          雪のようなものがそこらにふわふわと浮かんでいた。職場の敷地内でのことである。しばらくは見間違えや、めがねの汚れかと思っていたが、やがて本降りのようになり目を疑った。落ちたそれらは溶けず、埃のように地を這い、そういう現象をこの数日見続けている。 外から中の階段へ侵入したそれを間近でみることが今日やっとでき、それはたんぽぽの綿毛であることがわかった。すぐ近くの河川敷に群生していたのだろうか。種はひとつひとつ分かれていることは少なく、固まって舞っているものをよく目にしたけれども、そ

          わたしの春、ぼくの春

          言葉たちをうまく扱えず困っているうち、ひとまず思うがままにペンを走らせることにした。そうしてふと、これは自分自身から出てくるものをどうにも受け止めきれない状態なのだと気づく。もっと、よりよく、そうした足りなさにとらわれて、がんじがらめになる。もっと優しく静かな文を、スルスルと綴ることができればいいのにと、もどかしさでいっぱいになる。春の温かさのように、やわらかで、優しくて、静かなことば。ふわふわとそこらに浮かんでいるのに、どうしてもうまく掴むことができないまま朝が来る。 樒

          わたしの春、ぼくの春

          薄氷

          凍った水たまりをいたずらに割りながら出勤する。今年はいちだんと冷え込み、毎週のように雪が積もったりして、こんなのは住んで初めての経験である。冬は好きだ。空気が凛としていていいし、なのに日差しの光はやさしい。とはいえそろそろ寒いのに耐えかねてきたから、河原を歩きつつこの道にないことがわかっている梅の木をやたら探していた。地元ではもう咲いているらしい。 写真を見返していたら、霜のために撮った枯れ草の中から、芝生の新芽がのぞいていることに気付いた。寒かれども、やはり次の季節への準

          The Lake

          赤々と燃えるようだったハナミズキの葉はすっかり落ち、細い枝が風に吹かれて揺れている。裸のハナミズキはあまりにも弱弱しい。一方で、遠くに見える枇杷はくすんだ花をもりもりとつけている。 二月に入り、そろそろ梅が見頃なのだろう。このところ食料品すらネットで済ませがちで家からほとんど出ておらず、頭の中に残っている、小学生のころ、給食室の前にあったあの一本をまたもや思い出している。古い大きな学校で、屋根付きの大きな相撲場があった。けれども自分と同じ世代の子供は誰も相撲をしないし、そう

          てしてし

          早朝にガラス戸を開けると一面が白くて驚いた。先日の大雪をうわまわる大大雪である。今年はなかなかめずらしく、よく雪が降っている。初めて傘をさして雪の下をあるいたら、下からギュギュ厶と聞こえるだけでなく、てしてしと上からも鳴り初めての音にまた驚かされた。草むらや土だけでなく、歩道も路面までも雪で埋め尽くされている。車に乗っていたらさぞや怖いだろう。枯れ葉を落とした木はまた葉を広げるような形になっていた。あらゆる色彩が奪われたようで、それなのに鮮やかに感じるのはなぜだろう? 地元で

          Touch me & die

          年末年始に年を振り返るということに恐れを抱き、丸まって過ごしていたら、もうこんな時期になっていた。 その間、数年ぶりにたくさん雪が降った。4年くらいだろうか。もともといた関西では考えられない頻度と量で、500kmというのはずいぶんな距離だなと感じ入る。 あの白さが鈍色の空の重みを奪っているのだろうか。曇りや雨のそれとはずいぶん違う雰囲気を纏うことを不思議に思う。 雪が降ったのは一日だけで、その翌日は太陽がさんさんと照っていた。溶けた雪が滴っては、電柱や電線からぽたりぽたり

          戸を叩く

          昨日から寒さは本格的に厳しくなり、いよいよ冬も本番となっている。夜は曇って流星群は見れずじまいであった。隣の住人が洗濯機を回している。入居時にだめだと言われていたが、むしろ心地よくさえ感じられるから続けてほしい。 仕事が始まる前の残された時間を、ひたすら音楽に充てていた。これまでの気の乗ったらやる程度とは比べられないほどで、別にこれが最後というわけでもないのに最後のように取り組んでいる。 新しいものを作ろうというときは必ず知らない扉を叩き続けることになるのだが、怖くなってしま

          The Novemberist

          12月の本格的な寒さが体を蝕む。筋肉が緊張しているのがわかる。部屋を暖めても、加湿器をごうんごうんとまわしても、この日差しの弱さがたくさんのことをぼんやりさせては、砂粒のようするすると零れ落ちていく。残ることといえば、肩や背中の硬さくらいだ。そんな中一週間近く家にこもり続けていたが、ふと外出してひとと話す機会があった。 自分の慣れ親しんだ言語には、単語一つ一つに記憶たちが積み重なって強く結びついている。ふとした何気ない言葉遣いから、余分に情報を読み取っては疲労してしまう。そ

          飛行場

          月蝕であった。めずらしいものを見れたが心躍るようなものでもなく、ほうほうと頷くばかりであり、その後の満月がやたら光ってみえてきれいに感じられたほどである。昔の人が蝕を凶兆とみたのがなんとなくわかったような気がする。 さて、ついこのあいだ、仕事が決まった。長い求職期間を経ただけ、嬉しいというより疲れのほうが出てしまう。とはいえ、決まったからにはあとは進むだけであり、これはなんとなく旅行の気持ちと似ている。航空券はとった。あとはポンと出てワーッといくだけ。そんな感じで喩えると、今

          Spill The Milk

          自分で歩き始めたにもかかわらず、いつの間にかそれは心地よい散歩ではなくなっていたらしい。足枷の付いたように思う日もあれば、止められないウォーキングマシンのように感じる日もある。得体のしれないものに飲み込まれているような、ぬめりけのある不快感。すこし休んだ方がいいのかもしれない。 自分でそのテンポを決められるはずなのに、どうしてか前のめりで進んでいってしまう。追われることが心地よく感じられたらよいのに。 こうしたことは、直接そのものと関係しておらず、まったく違った別のものか