湖と花

遠くに大きな積雲が浮かんでいる。6月も終わろうとし、すっかり夏らしい空が見られるようになった。
来月、タトゥーをいれてもらうことにし、予約をとった。花柄にしようとまでは決めつつ、誕生月の花にしようかと思ったが、夏の花はあまり記憶になかった。そういえば夏は雲ばかり見ているから、そういえば花をあまり見たり覚えたりしていなかったなと気づく。
今年の梅雨はあまり雨が降らなかった。たくさん降ると水害などに困るけれども、降らないと今度は水不足などを心配してしまう。地元の水は特に、ダムに支えられていたため、今年の梅雨はどのくらい降るだろうと気にする癖がついていた。しかし京都の水は琵琶湖によって支えられており、そんな心配が杞憂になるほど大きくある水源である。
梨木果歩さんの小説『冬虫夏草』において、京都に住む主人公はいなくなった飼犬ゴローを探すべく旅をする。そのなかで、虫送りという風習に立ち会う場面で、現地住民が琵琶湖のことを「うみ」と表現していた。物語全体についてはおぼろげであるけれども、その表現はよく覚えている。うみ。たしかになあ。
タトゥーはずいぶん前から入れたかったが、経済的余裕を得た今こそが好機とばかりに、それでも半年ほどかけてじっくり彫師さんを探し、ようやくここまで漕ぎつけた。あとは予約日にちゃんと行くだけである。絵柄は、好きな花をいくつか伝えつつ相談し、最終的にはナツツバキやキンシバイをモチーフにしてオリジナルのデザインを考えてもらうことになった。
今日は鬱陶しいくらい蒸し暑い日となった。実のところ、傷跡のある腕は一・二年ほど前からもう気にせず晒しているのだが、これからは人に見せたい腕となるということが嬉しくてならず、半袖で暮らすこの季節を待ちわびていた。わたしは浮かれている。どのような結果となるかまだわからないが、ともかく、冬ほど好きとは言えなかった夏が、待ち遠しいものとなるだろうという期待があり、ぶじに施術の終えられることを願うばかりである。(なつき)