うわのそら

 先日、夏の勢いのようなものが急速に失われ、雲や風、光の様子に秋の気配がのぞきはじめ、今日にいたっては、とうとう丸一日涼しかった具合である。窓を開けたまま寝て目覚め、網戸を開け閉めしながら洗濯物を干し、取り込んだ。いまはコオロギが鳴いている。これから気温の上下をしながら秋へ冬へと全体的な下降をはじめるのだろう。
 サルスベリが花を散らし始めた。地元の福岡では六月に咲いて散っていたものだから、土地が変わるとこういった季節感が変わることに、見慣れたものほど困惑する。
 夏はやはり雲ばかり見ていた。花を見ようと決めても、ついつい空を見上げる。そこには大きい入道雲があり、徐々に高い雲が混じり始めて空気が澄み始めるのだ。
 また、いつ音楽を聞いてもあまり自分の中に入ってこず、どこかうわの空で聞いていた。夏は光や空気の主張が度を過ぎて、強烈な現実と非現実を同時に見せられているような美しさがある。それから暑さに体力も追いつかないからだろうか、あまり気持ちが動くことなく他人事のように日々を過ごしていた。
 少々気が早いが、桜は紅葉の方が好きである。大きな葉の力が弱まり光を透かすようになる。やがて色が変わりだし、ついには暗く燃えるような赤色になるのだ。これからは桜並木の下を歩くのが楽しみである。そして大好きな冬を待ち遠しく思うのだろう。
 誕生日を過ぎて数日経つ。毎年誰かに祝ってもらって、それを素直に喜べていることが嬉しい。昔は夏休みの中祝いに来てくれるような同級生はいなかったし、家族とは不安定な関係性であったけれども誕生日はいい関係でいられたため、嬉しいと言うより珍しく怯えなくていい日だったのを喜んでいたと思う。こんな大人になるとは考えもしなかったが、思いがけずいいものも得ていたから、わたしは子どものわたしに祝うつもりでご飯を作ったり甘いものをたくさん買ってきたりした。(なつき)