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【短編】『僕が入る墓』(後終編)

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僕が入る墓(後終編)


 門の前では警察官二人がたわいもない話をしながら呆然と満月を眺めていた。

「なんで俺たちがこんなことしなきゃならねえんだ」

「署長命令だから仕方ないだろ? それに夜勤代が出るんだから我慢しろよな」

「だってよ。俺これで三日も家に帰ってないんだぜ」

「明日は帰れるって」

「だといいけど。そもそも署長は俺たちのことこき使いすぎなんだよ」

「まあ、俺もそれは同感だな。あの署長のせいで何人も辞めちまったし――」

 もう片方の男はそれに対して何も答えなかった。静寂がその場を支配する中、鷹が獲物を狩る時のようなバサッという微かな音が一瞬聞こえた。男が異変に気づいた時には、すでに目の前の景色が真っ二つに分裂していた。それと同時にいくつもの足音が閉じた門の奥へと一目散に通り過ぎていった。

ピンポーン

真夜中に久保田家の屋敷内にインターフォンの音が鳴り響いた。義母がその音で目覚めると、目をこすりながら玄関の方へと近づいていった。

「はい、どなた?」

「警察の者ですが――」

 義母はその言葉を聞いて一安心すると、ゆっくりとサンダルを履いて玄関のドアを開けようとした。咄嗟に異変に気づいた。寝ぼけていて頭が回っていなかったが、よくよく考えてみれば、犯人でも警察を名乗ることは容易いなのだ。しかも仮に警察だったとしてもこんな真夜中にインターフォンを鳴らすなど現実的にありえないことだった。義母はすぐにサンダルを脱ぎ捨てて寝室へと走った。

 警察官は玄関が開かないことを確認すると、勝手口の方へとふらつきながら歩いていった。その足取りはまるで酔っ払ったサラリーマンのように不安定だった。

「パパ!来たわ」

 義父は眠っていたもののすぐ義母の号令で目を覚まし、寝巻きのまま廊下へと出た。

「拓海くんは?」

「きっとまだ寝てるわ。早く起こしに行ってちょうだい」

「ああ、わかった」

 義父は寝室に義母を残して真っ暗な廊下をかけていった。

「拓海くん!」

「はい」

 僕はすでに起きていた。屋敷の外を通り過ぎる複数の影が障子にありありと映っていたのを目撃したのだ。

「外にいますよ」

「ああ。まだこちらの様子をうかがっているようだ。今のうちに罠のところに――」

 義父と僕はともに部屋を出ようとしたその時、忙しく廊下をかけるいくつもの足音が一斉に響いた。

「来た」

 僕がそう呟くと、扉の外を黒い小さな影たちが素早く通り過ぎていった。その輪郭はまるで子供のようで、しかし容姿までは目で捉えることができなかった。

「お母さんは?」

「寝室にいる」

「では、一旦寝室に――」

「いいや、ママはいい。早く罠のところに――」

 僕は義父が義母を捨てたとは思わなかったが、それが戦略のうちなのだとしたら、義父の頭にある作戦の図が全く見えてこなかった。口答えしても仕方がないと思い義父に向かって頷いた。罠の場所は寝室とは真逆で、居間と僕の部屋の間にある、家宝を保管している部屋の目の前だった。

 廊下は暗闇に包まれてほとんど視界は頼りにならなかった。部屋に差し込む月明かりが若干廊下に漏れてはいたものの、ほとんどないも同然だった。義父の背中を見失わないよう、必死に後ろを追いかけた。再び奥の方で何者かが廊下をかける音が聞こえた。その音はこちらに近づくことはなく、左折や右折を繰り返していた。ようやく罠の場所に着くと、足元にくくり罠の縄の輪っかがいくつも広げられていた。柱の影に義父が姿を隠すと、くくりつけた縄全てを両手で握りしめた。

「準備完了だ。だが肝心なことを忘れていたよ。奴らが我々を追ってこなければ意味がない。そこでだ。君に大事な役目を与える。この屋敷を一周して奴らをここまで引きつけてくれ」

「え、僕がですか?」

「ああ、早く」

 僕は、義父のその人を使い捨てるような言い草に腹が立った。しかし義母が心配でもあったため、どちらにしても寝室の方へは戻る必要があった。僕は深呼吸をして心に染み出した恐怖を一気にと取り払った。

「わかりましたよ。じゃあ絶対に捕まえてくださいね」

「わかってる」

 僕は向こうから聞こえる足音が止んだ途端、体を傾けて廊下の風を切った。もう僕には一切の恐怖心はなかった。もはや勝ち目のない戦さで敵に向かって攻め入る兵士のような勇ましさを覚えて爽快だった。

「お母さん!」

 寝室を見渡しても義母の姿は見当たらなかった。僕は嫌な予感がした。すぐに廊下に出て玄関の方へと急いだ。どの部屋を見ても義母の姿はなかった。代わりにいくつもの足音が僕の方へと勢いよく近づいてきていた。僕は一瞬部屋の中に逃げようかと迷ったが、咄嗟に明美の顔を思い出した。僕は明美の仇をとりたかった。明美にあんな思いをさせた者を自分の手で懲らしめてやりたいとさえ思った。すると、自ずと足の底から力が湧き上がり、目の前に迫る影に対して正面から太刀打ちするべく五輪の柔道日本代表のように体を構えた。

 黒い小さな人影が一瞬目の前に映った。僕は途端に「この野郎!」と大声を上げてその影に向かって突進していった。影は僕の声に怯えた様子で元来た道を再び走り始めた。僕はそのまま小さな人影を追い続け、終始罵倒した。義父母の寝室を通り過ぎ、僕の寝室を通り過ぎ、その間やけくそになって廊下をかけた。

ギュッ

僕はその音に気がついてすぐに足を止めた。

「かかった!」

 その義父の声を聞くなり、僕は目の前に倒れもがき苦しむ影に向かって覆い被さろうとした。その時だった。影のすぐ後ろの暗闇から大きな刃が飛び出し、僕の頭の横を通り過ぎていった。間一髪だった。もし数センチでも位置がずれていれば、僕の頭は粉々になっていただろう。その鋭い刃はそのまま床板に突き刺さった。敵の足にかかった縄はその刃によって切られていた。その刃物の持ち主の影は大きく、まるで襲われそうになった我が子を守ろうと必死になっている様子にも見えた。僕はその人影の素顔を見る隙もなく後ろに退いた。影は刃物を床から引き抜いて一歩、また一歩と僕へと近づいてきた。そして僕の人生の幕が閉じようとしかけた時、

「やめろ!」

 という叫び声とともに、暗闇から義父が現れ、その大きな人影に向かって飛びかかった。人影は身動きが取れなくなったのか、その場で刃物を捨ててもがき始めた。義父は馬乗りになっていた。

「電気!」

 僕は咄嗟に仏壇のある部屋の電気をつけた。途端に廊下に異常な光景が映った。義父が馬乗りになっていたのは、義母であったのだ。義母は義父に背中を向けた状態で顔を真っ赤にして一生懸命にもがいていた。すると、突然もがくのを止めると、語り始めた。

「殺してやる。殺してやる。一族もろとも殺してやる」

 義父は右手を大きく上げてそのまま義母の頬へと振り落とした。

パチン

その音とともに義母の狂ったような声は治った。知らぬ間に廊下からは足音も消えていた。

「あれ、私どうしたの?」

 義母は目を覚ました。義父はゆっくりと義母の背中から立ち上がると義母を仰向けにさせた。

「大丈夫か?」

「ええ、だいぶ体が疲れてるみたい」

「そうか。少し休もう。もう敵はいなくなった」

 義父は僕と義母を居間に連れて行き、電気をつけてから座敷に座らせた。

「ようやくわかったよ」

「犯人が?」

「ああ」

「そもそも犯人などいなかったんだ。お前はさっき怨霊に取り憑かれていたんだ」

 義母は正座のまま唖然とした。

 僕は、今しがた起こったことを頭の中で整理していた。この屋敷を襲っていたのは霊だった。しかし一度は自分もそう考えたことがあった。すると、徐々に欠けていたパズルのピースが埋まっていくように、一つの仮説に行き着いた。

「あの、実は以前明美から聞いたことがあるんです。おばあちゃんのことを――。おばあちゃんは家族のことが嫌いで、骨も墓に埋めないように遺書に残したとか――。僕はこの屋敷を襲っているのはそのおばあちゃんの怨霊なんじゃないかと思うんです。前にも言いましたが、僕は一度この家の浴室でその姿を見ました。たぶん亡くなってからも何かを恨み続けて、墓に火をつけたり、家を襲ったりしているんじゃないでしょうか?」

 すると義父は僕の方を見ずに呟いた。

「それはない」

 僕は、それが何かを考えての発言などではなく、ただ義父が自分の理想を押し付けているようにしか聞こえなかった。お祖父様も明美も然り、やはり血は争えないのだ。僕は再び聞き返した。

「なぜそう言い切れるんですか?」

「違うからだ」

 やはり回答は変わらなかった。僕は義父の意固地な性格にとうとう愛想を尽かして、強く問いただした。

「ちゃんと理由を話してください。秘密があるなら、全部教えてください。僕のことを本当に家族だと思っているのなら――」

 すると部屋の壁を見つめていた義父が一度義母の方を見てから、最後に僕の方を振り向いて言った。

「――母は、生きてる」

「今なんて――」

「母親は、生きているんだ」

 すぐに義母が目を丸めて聞き返した。

「あなた、本当なの?」

「ああ。母は昔、俺たち家族を捨てて家から出て行った」

 僕と義母はしばらく何も言い返すことができなかった。すると義母が口調を変えて優しく尋ねた。

「なぜ、今まで黙っていたの?」

 義父が申し訳なさそうな顔でこう答えた。

「母がいなくなって以来、親父は心を閉ざしてしまったんだ。俺はずっとそれをそばで見てきた。ある時、親父がこう言ったんだ。『このことは誰にも言うな。お前の母親はもう死んだと思え』って。だからそれ以来俺は母のことを口にすることはなくなった。それが唯一、俺が守り続けた親父との約束かもしれない。まあ、今破ってしまったけどね」

 義母は義父の話を丁寧に聞きながら、寝巻きで涙を拭った。

「そうだったのね――。だから、墓石にもお母さんの名前がないのね」

 僕はすっかり自分の予想が外れてしまったことと、思わぬ事実を知ってしまったことの両方で頭が困惑していた。そして不意におかしなことを思った。

「じゃあ、僕たちを襲っている霊は一体誰なんですか?」

 すると義父は顔を上げて僕に言った。

「わからない。もう霊媒師に聞くしか方法はない――」

遡及編〈1〉に続く


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