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【短編】『僕が入る墓』(中中編)

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僕が入る墓(中中編)


 土砂降りの中、義母はお手のものといった様子で次から次へと外に面した戸を閉めていった。義父やお祖父様は依然として居間に座ったままで食事を続けていた。すき焼きの具が鍋の中でぐつぐつと小刻みに揺れるのを眺めながら、明美は母親を思ってかテレビに釘付けの義父の後ろを通り過ぎて何も言わず居間を出ていった。僕も明美について行こうと一瞬床に片膝をついたが、義父とお祖父様が無言で箸を動かしているのを見てすぐさま座り直した。雨のことよりも彼らを置いてこの場を離れるほうがよっぽど気が落ち着かないと瞬時に判断したのだ。すぐに二人とも戻ってくるだろうと思い、再び箸を握った。箸を大皿に近づけようとすると、一瞬手が止まった。なぜか金目鯛が白目を剥いてこちらを睨みつけているように感じたのだ。僕は気味悪さを感じながら、ゆっくりと肉の乗った腹部を摘んで自分の取り皿に乗せた。義母の煮つけた金目鯛は生姜が効いていて美味だった。南信州にも関わらず新鮮な魚を食べられることに驚きを隠せなかった。咀嚼し終わる頃にはすでに金目鯛はそっぽを向いていた。

「迷惑してないか?」

僕は突然の義父からの質問に動転して、粉々になった金目鯛を一息に飲み込んでしまった。すかさずコップを手に取り、残りカスを水で流し込んでから答えた。

「迷惑というと?」

「明美のことだよ」

「あ、いいえ。まったく」

「そうか。ならよかった。一人娘だからな。甘やかされて育っちまったんだ」

「そうですか。でも全然――」

コンッ。

と唐突に何かが机に叩きつけられる音が響くと、お祖父様が横から話に入った。

「その甘やかしたやつはどこのどいつだ」

「どうしたんだよ急に?」

「お前が明美を甘やかしたんだろって言ってるんだよ」

「父さん。うちは他より金があるんだし、少しはいい暮らしをさせてあげてもいいじゃないか」

「この家の金は明美のものでもお前のものでもない。代々受け継がれていくものだ。それに問題は金じゃないだろ」

「いいや。俺は金の話をしてるんだ。明美がわがままになったのもうちに金が有り余っているからじゃないか」

「じゃあどうしろって言うんだ。近所のドブにでも捨てろと言うのか?」

「違うよ。そもそも金を持ってることが悪いなんて一言も言ってない」

「じゃあ何が言いたいんだお前は?」

やはり義母が言ったように、義父は四六時中お祖父様から叱られているというのは本当のようだった。義父も義父で言われっぱなしは嫌なのか何かしら言い返すため、一度言い合いが始まると義母が間に入るまで収まることはなさそうだった。

 一方、寺の横にある墓地では、散らばった小さな人影がとある目的を持って各々動き始めていた。四角いタンクのようなものを両手に担いでは、何人かは重そうにどこかへと運んでいった。またバケツを手にしている者も各場所へと散らばった。人影はお互いに身振り手振りで意思疎通をしながら自分の定位置を確認すると、その場に立ち止まって指示を待った。

 義父もお祖父様もすでに箸が止まっていた。

「だから明美を甘やかしてしまったのはうちに金があったからで、でもそれはそれで仕方ないことだろって言ってるんだよ」

「わしにはまったく話の論点が見えん」

「俺もだ」

「お前の話を聞いていると。わしまで頭がおかしくなってくる」

「頭がおかしくなるのはこっちだよ。いつも話に突っかかってきやがって」

「わしに向かってなんて口聞くんだ。親を敬う気持ちはないのか?」

「ああ、ないね」

「バカ者が!」

僕はお祖父様の張った声に、思わず箸をすき焼き鍋の中に落としてしまった。

 いくつもの小さな人影は、じっと立ったまま目の前にある自分の背丈と同じくらいの墓石を見つめ、今か今かと大きい影からの合図を待ち侘びていた。タンクとバケツはすぐ手の届く場所に置かれていた。人影は退屈してしまったのか体をくねらせたり、中には無言で踊り出したりする者までいた。空に浮かんだ満月は、人影たちを彼らのお日様のように照らしていた。

ヤレ!

という掛け声が墓場一体に微かに響くと同時に、小さな人影は一斉に活発に動き始めた。皆タンクの中に入った液体をバケツに注ぐと、丁寧に満遍なく墓石に向かって振り撒いた。その仕事ぶりはまるで、無駄なく稲の種まきをする農家の人のようだった。液体が墓石に当たるとピシャリと音を立て四方八方へと散った。すでにタンクを空にしてしまった者は、することがなかくなったのか狂ったように他の者を囃し立てた。墓石は滝行をする僧侶のように次々と液体を被り、その表面には満月が反射した。液体はゆっくりと墓石の側面を滴り落ち、まるで泥水のように平坦をなぞっていった。

 たちまち墓石の上に一滴の水が跳ねた。するとその粒は徐々に数を増やしていき、気づくと大きな雨雲が墓地の上空を覆った。人影たちは、合図とともに一斉にタンクとバケツを持って退散し始めた。雨水は塗られた液体を一掃するかの如く勢いよく墓地に降り注ぎ、液体は地面を這うように緩い勾配に沿って流れていった。

「まあ。目を離した途端にすぐ言い争いになるんですから」

義母は居間に戻ってくるや否や、ため息をついてから畳の上に座った。

「拓海さん、ごめんなさいね」

「いいえ」

すでに金目鯛は冷えて皮膚が硬くなっていた。続いて明美も戻ってきては、食卓の静まり返った空気を察して言葉を切った。

「お父さんまたケンカ?拓海の前でやめてよね」

義父は明美の言葉を聞き流して、冷えた味噌汁の入ったお椀で顔を隠した。僕は縄張り争いに負けた、はぐれ猿のように無言でじっと机の隅を見つめていた。

 雨はしばらくの間続いた。戸を閉めたおかげで外からのカエルの鳴き声はだいぶ聞こえなくなったような気がした。食事を終えてお勝手に使用済みの食器を運んでいると、どのお皿にも同じような模様が付いていることに引っかかった。三方に均等に開いた三つの葉が一つの大きな円に囲われた印がところどころに入っていた。この模様はきっと家系の家紋なのだろうと思った。先ほど義父が金の話をしていたように、明美の家が言わずもがな名家であることを理解した。次第に雨が弱まっていくと、役目を交代するかのようにカエルの鳴き声が家の外から聞こえてきた。

 墓場でも徐々に雨雲の中から満月が姿を表して、再び墓石の表面に反射した。墓地は何事もなかったかのように静まり返り、謎の集団は一切の痕跡を残すことなくすでに雲隠れした後だった。彼らによって撒かれた液体は排水溝を辿って下水へと流れつつあった。墓石からは雨水が一定の間隔で地面に滴り落ち、あちこちでポツポツと音楽を奏でていた。一瞬その雨水の落ちる速度に、微かに遅れがあったようにも感じられた。

 寝る前に体を洗おうと浴室へ向かった。天井に吊るされた薄暗い電灯を頼りに廊下を歩き続けた。義母から教わった通りに左折と右折を繰り返すと、誰もいない真っ暗な浴室にたどり着いた。相変わらずカエルの鳴き声が騒がしかった。僕は、手探りで脱衣所の電気のスイッチを探すも、なかなか壁にその感触がなかった。とその時、一瞬すぐ向こうの鏡に人影が映ったような気がして寒気が走った。流石にこんな真っ暗な空間に人がいるはずがないと思い、再び鏡をのぞいた途端、目の前に短い白髪の老婆の顔が映った。

「ごめんなさい!」

僕はあまりの恐ろしさに咄嗟にその言葉を口走ってから目を瞑った。カチンという電気のつく音がして再び顔を上げてみると、目の前には老婆ではなく明美の姿があった。僕は突然の出来事に体が固まってしまい、明美が何か言葉を発したようにも思えたが何も耳に入らなかった。

後中編に続く


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