【短編】『僕が入る墓』(序結編)
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僕が入る墓(序結編)
救急車に乗り込む頃には、貧血で明美はすでに意識を失っていた。僕は明美の名前を何度も呼んだ。義父も義母も僕の後から娘の名前を叫んだ。すでに止血は済んでいたためこれ以上血が流れることはなかったが、血管が破損していたため緊急手術が必要になった。救急車は夜中の田んぼ道を全速力で走行した。
義父と義母は手術室の外のベンチに座りながら、膝に腕を乗せで必死に祈っていた。親の子供に対する愛情には程遠いかもしれないが、僕は妻の夫として祈り続けた。しばらくして、三人とも疲れ果ててしまい、壁にもたれて反対側の壁をただ呆然と見ていた。僕は義父がまだ起きているのを確認して言葉を投げかけた。
「コーヒーでも買ってきましょうか?」
「いいや、大丈だ。ありがとう」
義母はすでに寝てしまっていた。
「実は、話しておきたいことがあって――」
「なんだい?」
「ここで話すのも場違いかもしれませんが――」
「傷のことか」
「はい」
「俺もちょっと不自然に思ったんだ。あれはただの転んでできた傷じゃなかった」
「僕もそう思いました。それで――」
僕は一呼吸置いてから言った。
「明美がうなされている時に、廊下で物音を聞いたんです」
「物音?」
「はい。扉か何かがバタンと閉じる音が――。すぐに起きて廊下を見に行ったんですけど、誰もいませんでした」
「やっぱり何者かが家に侵入したということか」
義父は再び膝の上に肘を乗せ、顎を手の甲に置いて深く考え込んだ。
「でもなんで明美なんだ?」
「それは――」
僕はその質問に対しては何も答えられなかった。義父も心当たりがあるといった顔には見えなかった。犯人に動機があるとすれば、明美に対してというより久保田家に対して何かしらの恨みを持っているように思えた。しかし家族の問題でもあるため僕の口からは何も聞くことはできなかった。
手術が終わると、自ずと義母も目を覚ました。再びその場に緊張が走った。灯りの消えた手術中と書かれた看板を眺めながら、医師が出てくるのを待った。扉が開くと、作務衣の格好で担当医が現れた。
「無事、成功しました」
その言葉を聞くや否や義母は床に崩れ落ちた。僕もこれまでにないほどの安心感に包まれた。義父はその場で医師に深く頭を下げた。
「本当に、ありがとうございます」
「しかし、まだ意識は戻っていません。しばらくこちらに入院していただくことになります」
「はい。わかりました。よろしくお願いします」
明美の意識がいつ戻るのかは誰にもわからなかった。深い傷を負っていたとはいえ、脇腹のため特に復帰するにも支障はなさそうだった。十センチずれていたら子宮が傷ついていたと医師に言われ、僕は恐ろしくなった。と同時に、子宮から外れたことに明美の運の強ささえ感じた。
タクシーで家に戻る頃にはすでに明け方だった。義父は車を降りると、僕と義母を後ろに来させて玄関へと慎重に歩いた。やはり義父は昨夜のことを思ってあたりを警戒しているようだった。いつ何時襲われてもいいようにと、義父は腰を若干低くしていた。僕はなんだか誰かから監視されているような気がして心が休まらなかった。
「ねえ、誰なの一体?」
「わからない――」
「なぜ襲ってきたの?」
「わからない――」
義父はただそう言って、一歩また一歩と門を入ってから玄関の方へと近づいていった。昨夜は明美の容態ばかり気になって、十分に戸締りをせずに家を出たのだ。犯人がまた勝手に家に入っていてもおかしくはなかった。僕も義父の危機感がうつったのかどこか足が重たく感じた。玄関を入って靴を脱ぐと、棚の中にしまってあった剪定鋏を手に持って義父を先頭に部屋をゆっくりと回っていった。僕は早く家に誰もいないことを確認して安心したい気持ちでいっぱいだった。
久保田家には合計で十室の部屋があった。寝室や仏壇の置いてある部屋以外は客室と物置部屋がほとんどだったが、美術品、家宝などが保管されている特別な部屋もあった。義父はそれらの宝が何も盗まれていなかったことを確認して安堵の息をついた。彩り豊かな壺や、大昔に大名から授かったという刀、幕府からの感謝状などが大切に仕舞われていた。僕は改めて明美の家の由緒正しさに圧倒されていた。自ずと義父が婿入りを結婚の条件にしたのも納得がいった。
家には誰もいなかったものの、誰かが侵入したような形跡もまた見つからなかった。昨夜明美を襲った犯人は侵入に長けている者のようだった。すると突然家中にインターフォンの音が鳴り響いた。
「誰?」
「ちょっと見てくる」
義父はそっと立ち上がって門の方へと向かった。僕も義父の後をついていった。石畳の上を歩いてなるべく音を立てないよう意識した。
門を開けると、外には誰もいなかった。インターフォンの音は三人とも耳にしていたため不気味だった。義父が僕の方を振り返って顔をしかめていると、突然目の前に何かを担いだ大きな男が現れた。
「お父さん!」
咄嗟に僕は叫んだ。義父はすぐに視線を戻して巨漢をまじまじと見上げた。義父は驚きのあまり体勢を崩して門にもたれかかった。
「あの、こちら久保田さんのご自宅でお間違いないでしょうか?荷物をお届けに参りました」
義父は門にもたれかかりながら、おどけた表情で答えた。
「ああ、ありがとう」
「中まで運びましょうか?」
「あいや、外で大丈夫」
その男が配達員であることがわかった途端、義父の表情は和らいだ。手渡された紙に署名をすると、大男は「どうもー」と言って白のミニバンの後ろに隠れた車の方へと小走りで去っていった。荷物は冷蔵庫でも届いたのかと思うほど大きかった。
「拓海くん、手伝ってくれ」
「はい」
僕は義父に頼まれて、剪定鋏で大きな段ボール箱を開封した。すると、中からたくさんの小さな黒い機械が出てきた。それはまるで置き時計のような細長い形をしていた。
「センサーだよ」
「センサー?」
「紫外線が出るんだ」
僕はすぐに義父がそのセンサーをなんの目的で買ったのかを理解した。
「家の外の各箇所に設置したいんだ」
「わかりました」
僕と義父は一緒に同梱してあった大量の乾電池を一つ一つ機械に埋め込んだ。すると義父が門の両側にある植物の影にその機械を隠した。
「こうやって見えないように置いてくれ。犯人にバレたら意味がないからね」
「わかりました」
僕は犯人が松の木を伝って家に侵入することを想像して、着地できそうな池の周りにセンサーを隠して置いていった。他にも塀の隣に建てられた倉庫の周りや、母屋の屋根に取り付けたれた雨樋にも設置した。雨が降っても水が当たらないようビニールに包んだ。一通り義父から渡されたセンサーを仕掛け終わって家の中に戻ると、義母が物珍しそうな顔で僕のことを見つめていた。
「外で何やってたの?」
「あ、実はお父さんがセンサーを買ったようでして」
「センサー?」
「防犯用に家の周りに設置していたんです」
「そう――」
「もし何者かが侵入したら、感知して知らせてくれるはずです」
「まあ、手の込んだことをするわね」
「そうですね――」
僕は苦笑いをするしかなかった。なぜなら僕も義父の行動には違和感を覚えていたからだ。義父がここまで何者かの襲撃に恐れている理由が掴めなかった。昨夜の出来事を気に病んで大袈裟になっているだけなのか、もしくは家が襲われる理由に心当たりがあるのか、心のうちを図りかねた。義父はまだ外で防犯センサーを備え付けている最中のようだった。
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