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【短編】『木と共に』

木と共に


 私はある日突然、木についての物語を書こうと思い至り、机に向かって思いつくままに筆を走らせた。木が主人公の小説など今まで一度も書かれたことがないのだ。しかし木にも木なりの一生がある。木は誰よりも長く生き、誰よりも世界のことを知っているのだ。木の目線で描かれた小説はさぞかし素晴らしいのだろうと、私はそれを自分の最後の作品として書き上げたいと思った。しかし実際に木について調べ始めると、種類や大きさ、どの時代の木かなど選択肢は無限大でどの木にするかは後回しにしようと考えた。まずは木がどんな体験をするかを決めることが先決だった。ふと自分が今まで見てきた中で印象に残っている木を思い出した。幼少期に家の近くの丘に聳え立っていた大きな木がある。その木には縄が結び付けられており、その縄の先には小さな木の板が繋がれスイングできるようになっていた。しかし、その木にしか板は取り付けられなかったため案の定、私や兄弟たち、そして近所の子供達で奪い合いになった。私は皆が学校に行っている間によく一人抜け出してその木の下でスイングをした。嵐で板がどこかへ飛ばされてしまったこともあったが、その時は近所の大人が集まって縄と板を修復した。その際に、反対側の枝にももう一つ小さい板が備え付けられたので、大きい子供に奪われてばかりいた小さい子たちは大喜びだった。けれど私は一度もその板には座らなかった。大きい方でスイングする方が自分もお兄ちゃんたちと同じ景色が見える気がしたのだ。結局兄弟たちは他のおもちゃに興味を移して木の下でスイングすることはなくなった。あの木は何という木だったのか。いくら図鑑を見たところで木の色味や幹の模様まで思い出すことはできなかった。

 他にも木に関する思い出はたくさんあった。私がちょうど中学校を卒業式の後、別のクラスの男子生徒に学校の裏の公園に呼び出されたのだ。私は彼のことはあまり詳しく知らなかったものの、何度か廊下ですれ違うたびにお互いの存在を認識していた。顔も整っていて彼に対して少しばかり好意さえ抱いていた。男子生徒は公園の中央に聳える大きな木の下で待っているという手紙を掃除途中だった私のロッカーの中に入れたのだ。彼はきっと私に告白するのだろうと思い多少気持ちが昂った。一方で自分は遠い街の高校に行ってしまうため彼の告白を断らなければいけないという思いもあったため、うまく断る言葉が思いつかず不安に苛まれた。公園に着くと遠くに見える桜が満開に咲いた木の下に男子生徒は立っていた。私は桜の木のそばまで行くと、男子生徒に近づくことなく、一定の距離を保ったまま彼に言った。

「ごめんなさい!私実はこの街からいなくなるの」

彼は私のことに気づいたのか私に向かって手を振った。私は彼の元まで行くことは考えていなかったが呼び止められたために行かないわけにはいかなかった。

「わざわざ来てもらってごめんよ。どうしても伝えたかったことがあって、君を呼んだんだ」

私は無言のまま、彼がまた話し始めるのを待った。

「ずっと君のことが気になっていて、今日までどうも君と話す機会が作れなかったんだ。実は僕も遠くの街に行ってしまうんだ。だから最後に思いだけ伝えたいと思って。僕は君のことが好きだ」

私は何を返したら良いか迷ったが素直に言った。

「うれしい」

私はその続きをどうしても口に出せなかった。がその前に彼がそれを代弁してくれた。

「君も他の街に行くんだね」

「ええ、サンタクルズへ行くの」

「そうか。僕はバークレーだ」

「そうなのね。またきっと会えるといいわね」

「うん。お別れの前に君にキスをしてもいいかい?」

彼がそう言うと、私は彼の唇にそっとキスをして答えた。

「もちろんよ」

彼とはそれ以来長く会うことはなかった。

 今こうやって構想を練っている最中にも私のすぐそばで見守ってくれている家のすぐ隣に聳える木についても思い出が詰まっている。私がここに家を建てたのもこの木があったからだった。私が子供を授かった時期にちょうど戦争が勃発した。遠くの町に皆で疎開することになり、最低限暮らしに必要なものだけを持ってほとんどのものは借りている家に置いてきてしまった。戦時中の生活は悲惨なものだった。仕事もなく、多少は配給で食事を賄っていたが、それだけでは十分とは言えなかった。子どもの面倒を見るにも他の人たちの助けがなければ到底無理難題だった。結果的に我が国は多少の街への空襲はあったものの戦争には勝利した。いざ借家に戻ると、よりにもよって空襲の被害を受けたのは自分が住んでいた町であることを知った。家は跡形もなく消え去っていて、私は子供を抱えながら焼け跡に立ちすくみ、ひどく嘆き苦しんだ。どこもかしこもやけ払われて失望の念が街を渦巻いていた中で、ふと丘の方を見上げると、ほとんどの樹木が倒れているところに一本だけ細長いブナの木が立っているのだ。私は子供を抱えて急いで丘を駆け上がり、木のあるところまで向かった。遠くから見ると細く見えた木が、いざ目の前まで来ると太く力強く立っておりそこからは焼けた町が見えた。私はその木の隣に体を寄せて夫のことを思った。私は決意した。ここに自分の家を建てて、いつかこの町が復興するのをこの目で見届けようと。

 こうして、今では昔桜の木の下で告白をされた男子生徒と偶然の再会を果たして再婚をしたのち、この大木のすぐ隣で健やかに暮らしながら筆を握っている。そして大木の上から亡き夫がずっと私を見守ってくれている。

「おばあちゃん。何書いてるの?」

「あら、まだ何も書いていないのよ」

「じゃあ、何書くの?」

「そうね。おばあちゃんの昔話でも書こうかしら」

「書いて書いて!」

私はふと思った。初めは木についての物語を書こうと思っていたのが、自分の人生のことばかり考えてしまっていたことを。私はひらめいた。そうだ、題名はこうしよう。おばあちゃんは木と共に。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

今後もおもしろいストーリーを投稿していきますので、スキ・コメント・フォローなどを頂けますと、もっと夜更かししていきます✍️🦉

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