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【短編】『皺寄せ』

皺寄せ


 母親から電話があった。

「あんた今どこで何してるの?」

早口で話すその言葉のどこかしこに焦りと怒りに満ちていた。私は無言で母親の言葉を聞いていた。それも一々ガミガミ言うことに慣れきっているような素振りで母親の言葉を無視しテーブルにワイシャツを広げ、包丁の腹の部分を押し付けていた。ジュワッという音とともに、襟元の皺が広がっていき、キレイな平らな表面を見せた。

「あんた、もうすぐおばあちゃんの二十七回忌始まっちゃうわよ?何時になったら着くの?」

私は、再びキッチンへ向かい、コンロの火をつけて包丁をの先を熱した。

「わかった。来ないのね?切るわよ?もう一生顔出さないでね。」

電話が切れると、私はテーブルに戻り、ワイシャツに包丁の腹を押し当てた。台風による電力事故で電気がここ数日届かないのである。アイロンをしようにも電気で底を熱して、スチームを噴射させることぐらい知っていたものの、いざ出発の準備を始めるときになるまで電気が使えないことを忘れていたのだ。仕方なく包丁を火で熱してタオルで取手の部分を掴んでからシャツに腹を当てた。皺がきれいになった頃には、すでに予定時刻を大幅に過ぎていた。

 私は、日常的にそこまで不便を感じることはないのだが、一つだけ不便なことがある。皺を見てしまうと、どうしてもそれを取り除くまで気持ちが落ち着かなく、自分の置かれている状況を考えずに皺とりに没頭してしまうのだ。家のテーブルクロスやカーペットに皺ができているとそれが気になり、いてもたってもいられず伸ばすまであらゆる作業を中断するのだ。ひどい時なんかは、街中で見かけた男性のワイシャツが皺だらけで、どうにも気分が優れないからと、男性に近寄っては胸元に手を当てて擦り始める始末である。その日は、夜遅くに母親が署まで迎えに来て、事情を説明したのちに釈放されたのだが。毎晩シャワーから出ると指にできた皺が気になり、乾くまでずっと指と指を押し付けあって皺を伸ばした。

 皺に対する強い執着心を持ち始めたのは、高校生のときにあることに出くわして以来であった。私は、放課後友人たちと部活をサボって遊んでいると、母親から連絡があった。祖母が亡くなったのである。すぐに葬式が開かれ、私は久方ぶりにすでに棺桶に入ってしまった祖母と顔を合わせた。そして私は怖気付いてしまったのだ。祖母の顔は面影が分からないほどにシワクチャになっていた。それ以来私は、皺という皺に対して特別なしかも悲観的な感情を抱くようになってしまったのである。

 ある日、家の近くを歩いていると、ちょうどおばあちゃん何人かが道の隅で井戸端会議をしており、向こうを見ないように歩き続けたが、一人のおばあちゃんが手に掴んでいた犬の首輪を離した隙に犬は私の方に駆け寄ってきた。私は驚きとともに犬の方を振り向くと、なんとブルドッグが足下を駆け回っていた。私はすぐに犬を抱え、顔面を目一杯引っ張り上げ、どうにかそのシワクチャな顔をきれいにできないかと試行錯誤した。それに驚いたおばあちゃんは警察に通報し、またも母親とともに家に帰される羽目になった。

たった一人私のことを面白がってくれる友人がいた。彼は、私が家から出られないことを知ると、すぐに電話をかけてきてくれた。

「大丈夫か?」

「ああ、何ともないよ。ただあの衝動が収まらなくて、どうしても外に出られないんだ。」

「それは困ったな。」

すると、友人は私にある提案を持ちかけた。

「そうだ。おまえうちの店で働かないか?海沿いにある服屋なんだけど、スタッフがいなくて大量にある服を箱詰めできなくて困ってるんだ。おまえそういうの得意だろ?」

「でも、外に出たら・・・」

「店まで車で送るから目隠ししてりゃ平気だろ。」

「そうか。そうだな。やってみるよ。」

 私は、友人の提案ということもあり、信用して早速店へと車で連れていってもらった。内装はとてもきれいで服もきれいにハンガーにかかっており、皺ひとつなかった。

「こっちに来てくれ。」

と奥の倉庫から友人の声がし、中に入るとそこには服の山があった。そして、途端に身体が動き出して、服の皺を伸ばし始めるとともにきれいにたとみ始めた。

「おお、なかなかやるな。」

「これぐらいしか取り柄がないもんで。」

私は、一時も休まずに夢中になって大量の服を段ボール箱の中にしまった。気づくと、そこにはたくさんの段ボールが並べられ、きれいにガムテープで止められていた。全て自分がやったんだと改めて自分の仕事ぶりに驚いた。段ボールを積み上げてから友人に完了したことを告げに店内に歩き始めた。

 ふとしたときだった。段ボールが次々と崩れ始め、止められていたガムテープは剥がれ、服が床に散らばった。私は、とても大きな衝動が湧き上がっていくるのを感じつつ、ゆっくりとボールの方へと行った。気づくと、段ボールを全て解体し、たとんであった服も全て広げてきれいに床に並べていた。それに気づいた友人がすぐに止めに入ろうとしたものの、私の振り上げた腕が当たり、身体ごと壁に打ち付けられた。私はそれを目の当たりにし立ち止まり、すぐに店を後にした。

 私は走った。向かってくる自転車もランニングをするカップルも邪魔だと言わんばかりに道端に退け、気づくと海岸まで来ていた。石ころに打ち寄せる波の音が私の心を落ち着かせようと必死に連呼した。私は海の水に浸かり、皺を伸ばすように波の水しぶきを泣きながらクロールで叩きつけた。私はどこまでも泳いだ。陸が見えなくなるまで泳いだ。そして思った、世界はなんて残酷なんだと。


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