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【10】 ガンの闘病記を読んで、ネットで調べてへこむ日々

いつしか毎日、時間が空くと、乳がんに関することをネットで漁り続け、同時に、図書館でガン関連の本を借りてきては血眼になって読み耽る日々が始まっていました。

最初は、役に立つ情報を拾い集め、これからの治療に生かしてゆくために調べ始めたのですが、ガンの闘病記は、そのあまりの悲惨さ、悲しさに涙なしには読めません。乳がん以外の闘病記も山ほど借りてきては、その世界にどっぷり浸りました。

涙なしには読めない闘病記

感情がぐらぐらに揺さぶられ、読み終えると、その著者がまだ生きているのかという不安に苛まれ、ネットで調べ、亡くなっていることがわかると、さらに落ち込みました。

抗がん剤についても、副作用の出方は人によって千差万別だと分かっていても、「こんなにつらいんだ」と落ち込み、恐怖が膨らみます。

「またそんな本読んでるの? やめた方がいいよ」

夫がやんわりとたしなめてきます。
それまで好きで読んできた小説の類が一切読めなくなり、ガンの闘病記以外を受け付けなくなっている私。
自分の病気で泣いて、他人の病気の伝聞でさらに泣いて、まぶたを腫らしている私を見て当然、夫は心配してきます。


しかし私の中では、この時、「読むのをやめる」という選択肢はありませんでした。
とらわれていようとも、不安が増強するだけであろうと、読むことを我慢することはできなかったのでした。

夫の言葉に聞く耳を持たず、ページをめくり続け、恐怖と絶望と、そして感動を味わい続けました。

(※ちなみに、大好きだった小説を1ページも読めなくなったことを、ずっと不思議に思っていたのですが、後で判明しました。要するに、「リアルの世界が物語を超えてしまっているとき」、人は仮想の物語の中に没入できなくなるのだそうです。母娘で同時にガンになってしまった現実世界が、私にとってはあまりにドラマティック過ぎた…ということですかね)

ブログでも、自分と同じ乳がんのタイプを見つけては、

「ほら、私と同じタイプの場合、すぐに再発してるじゃん」
「やっぱり自分と同じタイプの乳がんは予後が悪いんだ」

ネガティブな気持ちの私が拾い上げるのは、当たり前のように、常に悲観的な情報ばかりなのでした。

診察の日に、主治医と話していた際、私が「ブログで闘病記などを検索して読んでいる」という話をしたことがありました。

すると、主治医が言いました。

「ガン患者のブログなどを読んでも、それぞれに病状は固有でオリジナルなものだから、見たってなんの参考にならないよ。ブログは、自分と同じ趣味について書いている人の記事を読んだりして、楽しむものでしょう? 例えば車好きだったら、車のことを書いている人のブログを読んだり」



「…………」


なんという正論!!(笑)
ごもっとも! 
ごもっともですよ!
私は心の中で悪態をついていました。

先生よ、
今、この精神状態のとき、「正しさ」や「こうあるべき」なんてものは、何の役にも立たないのだよ。「正しさ」や「正論」なんか、クソくらえなのだよ。「正しい」と頭では理解していても、そんなことを軽々と凌駕する「強烈な感情」ってものがあるのだよ。

同じ境遇に陥ってみれば、あなたも分かる。
一度でいいから、命を脅かされる立場になってみろ!
医者を名乗るのは、それからだ!!!!

……そんな意地悪で不遜なことを医師に対して思いながら、診察室を後にする私でした。

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