【51】 変わらない人は変わりたくない人
「自分は絶対に変われない教」の筆頭信者だった私は、ネガティブでくよくよしがちな性格・性質を確定的なものとして捉えてきましたが、もうひとつ、カラダについての「ネガティブな思い込み」も強烈でした。
実際に、小さな頃から、朝起きることが大の苦手だった私。
学生時代、朝ごはんを食べられたことは一度もありません。母に「飲み物だけでも飲んでいきなさい」と言われるのですが、毎朝それを断り、ボーっとしたカラダのまま、不機嫌に玄関に向かう。
飲まず食わずのまま午前中の授業を受けるため、ボーっとしていることが多く、体育などでは気持ち悪くなることもありました。
(バカですよね)
修学旅行中の朝などは、友人たちが起きて朝の準備をしている中、私だけふとんから出られず、友人との差をまざまざと感じました。
元気に準備できないし、朝ごはんも食べられない。
「でも、それが私ですから!」
脳みそのミソちゃんがぼやきます。
私は人より体力がなく、虚弱であり、朝も弱けりゃ、夜も眠れず、いつも顔色が悪く、慢性的に疲れている。
大人になっても睡眠時間をたっぷりとらねば一日がもたず、生理はいつもつらい。
本屋で立ち読みしていると、血流が悪くなるのか、気持ちが悪くなってくるため、店を出てしばらく座り込んだりしてしまう。
こうして、必然的に行動力は人より減って、家でだらだらしていることが一番楽ちんになる……でもなんかすっきりしない……。
子供時代、自律神経失調症を診断した医師からは「大人になれば治る」と言われましたが、どうやら治りませんでした。
そうしてとどめ(?)で乳がんになったことで、「私のカラダって、本当に使えないな!」と、カラダへの自信のなさがより決定的になったわけです。
いいよね、元から元気いっぱいのカラダに生まれた人は!!
いいよね、努力しなくても、元から体力がある人は!!
ずるいよ、不公平だよ、まったく!!
そうやって、不公平を恨んできました、ずっと。
しかし世界とは、徹底的に、不公平なもの。
その現実を受け入れて、それを前提に、私は私のカラダとつきあっていくほかないのです。
自律神経のことだって、もっと勉強すれば、もう少し気分よく過ごせる方法を見つけられるのではないか?
「どうせ無駄。体質は決まっているんだから。遺伝なんだから!」
ミソちゃんのこれまでの言葉を、
「いやいや、あきらめないでよ」
と、私は打ち消せるようになってきたのです。
「どうせ無理」ではなく、「どうしたら~できるか」にシフト。
まだ行動できていなくても、そんな風に考えられただけで、私にとっては立派な進化。
その日のほめ日記で、
「カラダを変えようと思えた。そう思えただけでも、私はえらい!」
せっせと自画自賛を続けます。
そんな毎日を送っているとき、ふと気づきました。
友人知人たちと話していても「自分の固定した性質・体質・性格」を現す言葉は、頻繁に使われるのです。
例えば
などなど、多くの人が「自分はこうだから(一生変わらない)」と、自分を縛り付けています。
みんな、自分の思い込みの中で生きているんだなぁ……私だけじゃありませんでした。
人から見たら、「そんなことないのに、きっとできるよ」と思うのに、自分の中では「イヤ、これは私には絶対無理なことなの」って決めているんですよね。
脳みそが変わることを嫌がるので、楽で居続けるための「言い訳」をしてしまうんですよね。
悩んではいるけど、それほど切迫していないし、とりあえずそのままでも生きてきたし、
チャンチャン。
脳みそのホメオスタシス発動で、こうして「変化する選択」は却下されます。
「変わらない人」というのは、「変われない人」なのではなく、とどのつまり「変わりたくない人」。
「変わるための、強い動機を持たない人」なのですよね。
だから今、何かにものすごく悩んでいるのに、変わろうと思わない人は、まだまだ「変わりたい動機」が「現状維持したい気分」より低いのかもしれませんね。
いつか、モチベーションが高くなるその日まで、苦しみながら過ごすのもひとつかもしれません。
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