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【60】 アホみたいに泣き喚いたわたしも、それでいいのだ!


私が一連の闘病生活の中で「これは出来てよかった」と思っていることのひとつに、「ガンが判ってからしばらくの間、ひたすら泣きまくったこと」があります。

悲嘆に暮れて、日に何度も泣いて、泣いて、泣いて、自分でも「いい加減、泣き止めよ」って思っても、涙が止まりませんでした。

正直、こんなに泣いてしまう自分が恥ずかしかった。
誰かと会ってても、電話でしゃべってても、声が震え、涙が止まりませんでした。

……ったく、いつまで悲劇のヒロインやってんの……と分かっていても、どうしても涙を止められないのでした。

涙腺が緩みっぱなしの私でしたが、「泣きたいときには、泣いたらいいんだ」と言ってくれた夫の言葉に甘えまくって、私は本当に涙が枯れるまで泣かせてもらいました。


そんな恥ずかしい経験を思い起こすとき、今になって「ああ、あの時、存分に泣かせてもらってよかった。無理に涙を止めることなく、ただただ悲しみに暮れる時間があって、本当によかった」

そんな風に心から思うのです。

いつも、「アタマ重視」で生きてきた私だと自覚していましたが、思いっきり「ココロ」を優先しているときもありました(笑)

だから今、もしあなたが、何か辛いこと苦しいことがあって、でも「このくらいのこと、我慢しなきゃ!」とアタマで考えているのだとしたら、どうか悲しみやくやしさや怒りにフタをせずに、誰かに話したり、泣いたり、喚いたり、叫んだりして、うまく感情を吐き出してください。

その後に、必ずや「楽になるポイント」がおとずれますから、その時まで、「自分の脳みそ」を信じて、存分に悲しみましょう、落ち込みましょう。

一方で、困難な状況下でも、あまり動じない方もいると思います。
(なんて羨ましいのでしょう)

「苦しい状況だけど、自分は特に我慢はしていないし、泣いたり喚いたりしなくても大丈夫!」とそう思えたなら、それはそれで素晴らしいこと。
涙も出ないのに、無理に泣くことはありません(笑) 
どうかそのままのあなたで、苦しい時間が早く過ぎ去りますように。

一番まずいのは、我慢していることに自分で気づけぬまま、何年も、場合によっては何十年も経ってから、突然「怒り」や「悲しみ」が一挙に噴き出すパターンです。

長年発酵させ続けたドロドロの感情が、なにかのきっかけで突如爆発。
ものすごい腐臭を放って、なかなかに大変なことになります。

そうして、自分の人生を振り返って、すべてを呪うことになる。
「私は誰のせいで、こんな人生を生きてきたんだ!?」と。
人のせいにした後、「結局、全部、自分のせいだ」と気づいてまた絶望する。

そんなことにならないためにも、喜怒哀楽はこまめに吐き出して「自分の感情の壺の容量」をいつも少な目に保っておきましょう。

怒りや悲しみの感情も、フレッシュなうちは、まだ腐っていないのです。「パッと吐き出して、ハイ、おしまい!」ってできるのです。
少量なら!

私のような溜め込み気質の方は、一緒に、吐き出していきませんか。



ミソ
「自分の感情は、自分で気づくしかないんだね。ミソも自分では気づけないから、『意識さん』のあなたが気づいてやってね」

意識さんの私「はいよー。自分が感じたものは、ぜんぶ自分へのサイン。アラートみたいなモノなんだよね。自分の感情を、ごまかさずに感じていくようにするよ。自分にだけは、強がったり、大丈夫なフリをしないようにする」

ミソ「そうそう。誰かにとっては大丈夫なことでも、あなたには耐えきれない場合がある。そして、その逆もあるよね。でも、それでいいってこと。脳みそはすべての人がオリジナル。他の人と一緒じゃなくてもよし」

「意識さんとしての私」に気づいて、いろいろと整理がついてきました。これからも、気づいたときに「おーい、今の私の感情は問題ないかー?」と訊いてあげようと思います。






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