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【エッセイ】旅動画を作ろう⑤─クイズ作り─(『佐竹健のYouTube奮闘記(47)』)

 企画会議を毎日しているうちに、季節は最悪の季節となった。灼熱である。

 真夏ではなく「灼熱」と表現したのには、しっかりした理由がある。

 かつて7月は夏であった。海の日の少し前くらいまでは。海の日を過ぎてから、9月の末ぐらいまでが、真夏であった。

 だが、去年から、かつて真夏だった時期は、恐ろしいくらいに熱くなった。外に少しいるだけでも体が持たない。汗も恐ろしいくらいにかくし、日射しも強くて皮膚も目もやられる。だから、真夏ではなく、灼熱、と表現したのである。

 このころから後輩は日課にしていた散歩配信を辞め、運転配信に切り替えた。そして、いつも暑い、と言っていた。

 7月の灼熱真っ盛りのある日の配信で、後輩は、

「クイズをやりたいな」

 とこぼしていたことがあった。

 この願いを叶えるべく、私は用があったときの帰り道や夕方に図書館へ通うことにした。そして、クイズのネタになりそうな資料をかき集めた。関東城めぐり東京編や埼玉編の台本やエッセイ、小説を書くときに必要になってくる資料を集めたり、ずっと読んでいる『新平家物語』とかを読んだりする傍らで。


 クイズができた。

 どんなものなのかというと、新潟にまつわることをはじめ、ゆかりの人物のエピソードにまつわることや伝承などが大半だろうか。

 ・新潟県の木は次のうちどれか?
 ①白樺
 ②銀杏
 ③欅
 ④ユキツバキ

 新潟についての問題はこんな感じで、当たり障りのないものにした。

 この問題の正解は、④のユキツバキである。①の白樺は長野県、②の銀杏は私の住んでいる東京都、③の欅は埼玉や宮城などの県の木だ。

 白樺が長野県、欅が埼玉県、ユキツバキが新潟県の木であることは初めて知った。普段こうしたことを意識して生活していないから。なお、都の木が銀杏であることは知っていた。都のマークも銀杏だし、どこを歩いていても銀杏の木を見かける。特に文京区とか千代田区、台東区は。

(そういえば埼玉って欅多いよな……)

 クイズを作っていたときに、ふと思った。思い返してみれば、埼玉には欅が多かった。

氷川神社の写真(2023年11月撮影)

 大宮にある氷川神社や大宮公園、そして川越に行ったときも欅を見た。

(あ、でも、銀杏の木はあまり見ないな)

 不思議なことに、埼玉では銀杏の木を見ない。あったとしても、大宮公園の中ぐらいだろうか。理由はよくわからない。ただ偶然そうなっているのかもしれないし、銀杏を都の木にしている東京に気を遣っているのかもしれない。

(早く紅葉の季節にならないかな……)

 なってほしい。紅葉の季節になれば、この暑さのことも考えなくていいし、紅葉や銀杏が散るまで毎日きれいな景色を眺めることができる。

・新潟県の鳥となっているものは次のうちとれか?
①ユリカモメ
②トキ
③コウノトリ
④シラコバト

 新潟にまつわるものに関しては、他にもこんなクイズも作った。

 この問題の正解は、②のトキである。①のユリカモメは東京都、③のコウノトリは兵庫県、④のシラコバトは埼玉県の鳥だ。

 都の鳥がユリカモメであることは知った。コウノトリが兵庫県の鳥であることは、トキ同様有名なので知っていた。シラコバトが埼玉の鳥であることについては、映画版『翔んで埼玉』でGACKT演じる麻実麗がしらこばとポーズをしていたので、知っている人も多いのではなかろうか。2年前にしらこばとの実物を大宮小動物園で見たことがあるが、白くてこじんまりとした可愛らしい鳥だった。

 なお、先ほど挙げた、新潟ゆかりの人物にまつわる問題は、坂口安吾と上杉謙信についてのものだろうか。民俗学については酒呑童子の出生地にまつわる問題を作った。

 坂口安吾は新潟出身の作家。戦前まで正しいとされていた価値観を否定する作風が特徴的な無頼派の一人として知られている。

 私自身太宰治とか芥川龍之介、夏目漱石の小説もたまに読んでいるけど、坂口安吾のそれはまだ読んでいなかった。青空文庫にたくさんの作品があるようだから、今度読んでみようかな。

 上杉謙信については、新潟の歴史を語るうえで欠かせない存在だから、問題を作った。

 上杉謙信は、越後国の戦国武将である。

 もとは越後国の守護代(守護の次に偉い人。有力な国衆から選ばれていた)を務める長尾家の人間であった。長尾景虎とか長尾輝虎という名前は、全て上杉謙信の俗名である。謙信が上杉を名乗る前は出家していなかったので、出家前の語りの部分では、景虎という俗名で統一しようと思う。

 なぜ、景虎が上杉を名乗ることになったのかというと、関東管領で山内上杉家の当主であった上杉憲政が、越後へ助けを求めてきたことが関係している。

河越夜戦跡の石碑

 上杉憲政は、古河公方や敵対していた分家の扇谷上杉家と手を組み、かつて上杉家の城であった川越城(当時は『河越城』と呼ばれていた)を奪還しようとしたことがあった。だが、北条氏康は夜中に奇襲をかけて、上杉家と古河公方の軍勢を撤退させた。なお、扇谷上杉家の当主朝興(ともおき)は、この戦いで討ち取られてしまった。ちなみにこの戦いは、日本三大奇襲の一つに数えられている河越夜戦として知られている。ちなみに残りの2つは、織田信長が今川義元を討ち果たした桶狭間の戦いと、毛利元就が厳島で陶晴賢を討ち取った厳島の戦いである。

 以来、代々上杉家の勢力圏であった武蔵や上野を追われ、越後へと逃げてきたという感じだ。

 景虎は関東に攻め入り、各地の豪族を味方につけて北条方を蹴散らしていった。俗にいう関東出兵とか関東越山と呼ばれる軍事行動である。調子のいいときには、氏康の本拠地である小田原城の手前まで攻めたことがあった。だが、補給や農繁期の関係で、引き上げざるをえなかった。

 小田原城を攻めたあと、景虎は憲政から、関東管領の地位と上杉の姓を引き継ぎ、上杉景虎がここに誕生した。

 その後の関東への出兵は、相模まで攻めることはなく、北関東の北条領を攻めるくらいで終わっていた。行ったとしても、現在のさいたま市の北側ぐらいに留めていた。

 上杉謙信の話に、4回目の川中島の戦いで武田信玄と一騎打ちをしたとか、柴田勝家率いる織田軍と戦った話は、またの機会にしたい。

 酒呑童子は、平安時代の後期に登場した伝説の鬼である。渡辺綱に腕を斬り落とされた茨木童子とタッグを組んで、大江山を拠点に活動していた。

 だが、池田中納言の娘をさらったことで、時の帝から追討令が出された。そして、山伏に扮していた源頼光とその仲間たちに酒で酔わされたところで首を斬られた話は有名である。

 伝説の鬼酒呑童子であるが、実は新潟県の出身だったという伝承がある。

 伝承によれば、燕市にいた桓武天皇の血を引く親王に仕えた家臣をルーツに持っている家に、酒呑童子は生まれた。幼名を外道丸といったらしい。

 外道丸は昔から手の付けられない乱暴者だったので、国上寺へと預けられた。

 母の死をきっかけに外道丸は仏道修行に励むことになる。

 外道丸は成長するにつれ、美少年としての聞こえが高まった。

 そんな美少年外道丸とお付き合いをしたいと考えた周辺の村の少女たちは、外道丸宛てに恋文を書いて送っていた。

 だが、外道丸は、

「恋は仏道修行の妨げになる」

 と言ってそれを断っていた。

 だが、ある日、事件は起きた。

 外道丸からの返事が無かったことを気に病んでいた村の少女が、自殺したのである。

 この事件を誰かから聞いた外道丸は、近所の少女の恋文が入った箱を開けた。

 すると、白い煙が出て、外道丸の姿は鬼へと変わっていった。

 これが、燕市に伝わる酒呑童子誕生秘話である。

 初めてこの逸話を知ったとき、なんだか『鬼滅の刃』の鬼が、人間だったころのことを思い出す場面みたいに感じた。鬼になるまでの間に、いくつもの悲劇が起こったり、絶望したりていく過程が、少し似ている気がする。

 酒呑童子こと外道丸は、鬼になるまでの間に何を思ったのだろうか? 母との別れ、恋文を受け取らなかった少女を自殺へと追い込んだ罪悪感。思うこと感じたことは、いっぱいあっただろう。


(この際だから、いつかまた新潟行ってみようかな)

 クイズを作っているときに、ふとそんなことを考えてみた。

 実を言うと、私は千葉から東、藤沢より西、高崎より北へは3年間出ていない。もし機会と資金があったならば、今度久しぶりに関東を飛び出して、越後へ行ってみようかな。

 そして灼熱の季節は徐々に過ぎていき、ついに旧盆へと入った。

 ついに2ヶ月かけて考えた企画が始まろうとしている。


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