恋をするとしてしまうこと(感情の制御/理想化/気にしすぎる/心の依存/外堀を埋める/嫉妬対象と仲良くする)
前回の内容はこちら▼
恋をすると思わずしてしまうこと
恋をすると、思わず、無意識に、してしまっていること。
恋をしていると、無意識にしてしまうことがある。
「本当はやらない方がいい」とわかっていても、
自分では抗えなかったり、自分にとってもっと大切な目的のためには、どうしてもやらざるを得ないことだったり。
そんな、「恋をすると思わずしてしまうこと」について書き出し、まとめていった。
①感情を制御しようとする
恋愛的に「好き」なのか、それ以外の「好き」なのか、自分でも曖昧な状態の相手に対しては、「感情を制御しておきたい」と思ってしまうことがある。
特に、自分が過去に恋愛で傷ついてきたり、恋愛に振り回されてきたりした経験があると
これ以上「好き」という感情にのめり込みむのが怖い、自分の感情に振り回されたくない、取り返しがつかなくなる前にこの感情が消えてほしい、「穏やかな幸せ」のまま終わらせたい、
と思うようになる。
②理想像に当てはめる
好きな人を崇拝しすぎると、勝手に、自分の作った理想像に当てはめてしまうことがある。
無駄に期待しすぎたせいで、自分のイメージと違うということを知ってしまうと、勝手にショックを受ける。
自分の勝手な思い込みが原因なのに、
悪いのは他の誰でもなく、自分自身でしかないのに、
傷つきすぎて生きていけなくなったりする。
③気にしすぎる
「好きな人に嫌われたくない」という思いが強すぎて、ちょっとしたことで気にしすぎてしまうし、無駄に考えすぎてしまう。
「嫌われるのが怖い」と思い始めると、涙が止まらなくなる。
考えれば考える程苦しくなって、頭がおかしくなってしまう。
冷静に考えれば、そんなことで人を嫌うような相手ではなかったり、そこまで嫌われるようなことをしたわけでもなかったり
もはや、そんなことで嫌うような相手なら「そんな相手、好きでいるのやめてしまえ!」と思うこともできるけれど
盲目になっている時は、そんなに簡単にはいかない。
少しのことで不安になってしまう。
ふとしたときに考え始めると、永遠と考え続けてしまうし、心臓が痛くなってくる。
メッセージを送るだけでも、一苦労。
「送ろう」と考え始めてから数時間経って、やっと送信することができる。
返信が来るまで待つ時間も、長すぎる。
一日が一週間のように感じる。
④心の依存
好きな人に、「恋愛」に、心が依存してしまう。
嫌なことがあった時や苦しい時、真っ先に思い浮かんで会いたくなって、精神的に頼りたくなるのは、紛れもなく「好きな人」。
もう私にはこの人さえいればそれでいいや、なにを失っても、どんなに辛くても、この人がいる、ただそれだけでもう生きていける。
たとえ他の誰に嫌われたとしても、痛くも痒くもない。
常に、「好きな人」に縋り付くかのように生きている。
「好きな人」は、自分の心の中にある一本の柱のような存在であり、
そこに自分の「心」全体がしがみついているような、まとわりついているかのようなイメージ。
その「柱」を失うと、途端に、私の「心」がどこにしがみついていいのかわからなくなり、ぐちゃぐちゃになって、宙を漂いだす。
一人じゃ生きていけない。ものすごく弱いんだと思う。
恋って麻薬みたいなもので、好きな人がいるときは「何もかもがハッピー、人生楽しい、もうなんでもできそう」という感じになるのに、
それがなくなった瞬間、「今までの私は一体なにをしてきたんだろう、これからなんのために頑張れば良いんだろう」となって
とにかく、その人の「代わり」を見つけないともう生きていけない。
早く新しい薬が欲しい、という感じになってしまう。
恋愛に依存しすぎて、それ無しじゃ生きられなくなるくらいなら、最初から無い方が、平穏で平和で安定した幸せな生活を送ることができると思う。
早く、一人でも生きていけるようになりたい。
⑤外堀を埋める
私は、「その人を好きでいる」ということがとにかく楽しすぎて、周りの人にも「私はこの人のことが好きだ」ということを自分から広めまくってしまう。
ただ単に、溢れた想いの行き場がなくなって、
「話す」ことで発散したい、という思いもあるが
自分から周りに「この人を好きだ」と宣言しておくことで、周りの人たちを味方につけられる、という策略でもある。
「外堀を埋める」みたいな、卑怯なやり方。
周りに宣言しておくことで、自分がその人と話せるきっかけを作ってくれたりだとか、あとはもしも今後、自分の他にも「その人が好き」という人が現れたとしても周りはみんな、最初に「好き」宣言していた私のことを応援してくれるのではないか、という考え。
後々考えると、相手からしたら迷惑極まりない行為だっただろうなと思い、反省はするが
もしまた同じような状況になったら、また同じようなことを繰り返してしまうのだと思う。
⑥嫉妬対象と仲良くする
自分にとっての「嫉妬対象」と、わざと仲良くしようとしてしまう自分がいる。
たとえば、好きな人の元恋人、好きな人の好きな人、好きな人と仲の良い人、好きな人のことを好きな人、など
自分にとって、絶対に「嫉妬対象」になってしまうような人に対して、むしろ「その人と仲良くなろう!」と意地になってしまう。
私は、自分に対して直接的に何かをされたわけでもないのに、そういう人たちに対して嫉妬したり、嫌いになったり、避けたりしてしまう自分のことがものすごく嫌いで、嫌になる。
しかし、「自分で自分のことを嫌いになる」のは一番苦痛でしんどいし、私は「自分のことを好きだと思える自分でいる」を人生の目標としているので、むしろ、そういった「嫉妬対象」にあたる人たちと無理矢理にでも仲良くしたり、自分から話しかけたりすることで、自分で自分に対して、「心に余裕のある自分」を演じる。
「普通なら嫌ったり避けたりしてもおかしくないはずの人に対しても、こんなに友好的に接することのできる自分、 『心に余裕がある大人』という感じでかっこいい!」と、自分で自分に対して「かっこいい自分」を錯覚させる。
それによって自分のことを好きになることができるので、メンタルが救われる。
内心は「この人、私の好きな人とめちゃくちゃ仲が良くてムカつくな、殺したいな、もう顔も見たくないな、目の前から消えてほしいな」と思っていたとしても
その人と会った時に挨拶をしたり、わざと友好的に接したりすることで
「こんなに嫌っているはずのこの人と仲良くできている自分、すごい!かっこいい!好き!」となる。
所詮「偽善者」でしかなくて、性格も悪いんだろうなと思うが、やっぱり自分のメンタルは自分で守らないと誰も助けてはくれないので、仕方がない。
それに、そんな偽善者ぶっている「性格の悪い自分」でさえ許せてしまうような気がする。
普段はそんなに性格の悪い人間ではない自分が、
「好きな人」関連の時だけあからさまに性格が悪くなってしまうのは、それだけ「好きな人」に対して熱意や本気度が高いということなので、それはそれで良いのではないか。
あとは、単純に「好きな人のことはなんでも知りたい」ので、「好きな人と仲が良い人のことも知りたい」という純粋な興味もある。
それから、いっそのこと「嫉妬対象」の人たちを味方につけて好きな人に近づかせないようにしたい、という思いもあるが
人生、そんなにうまくいくものではない。
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