失恋後の“感情の矛盾”(好きか/好きでいたいか/会いたいか/好きになって良かったか)
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感情の矛盾
失恋後の、自分の中の感情の矛盾。
失恋後は、恋をしているとき以上に「感情の矛盾」に悩まされる。
「恋愛感情を消してしまいたい」と思うが、「いっそのこと最後まで好きでいたい」とも思う。
好きな人と「ずっと関係を切らずにいたい」と思うが、「今後一切関わりたくない」とも思う。
「この人を好きになって良かった」と思うが、「この人を好きにならなければ良かった」とも思う。
そんな、相反した感情や欲望によって起こる「葛藤」について、考察していった。
①好きかどうか
ー 好きではないけれど 好き ー
好きな人のことを無理矢理忘れようとすると、「もう全然好きではないのではないか」という時期と、「やっぱりまだ普通に好き」という時期 が交互にくる。
まずは、「もう全然好きではないのではないか」期。
好きな人のことを一番好きだった頃の自分に比べると、なんとなく「大丈夫になってきた」ような感じがする。
恋愛感情が完全になくなったわけではなくても、少し精神的余裕が出てきたり、依存しすぎない程度で生きていけそうな気がしたり
しばらく会えなくても、特になんとも思わなくなってきたりして
もう好きでは無いのではないか、と思うようになる。
次に、「やっぱりまだ普通に好き」期。
何かの拍子に、「好きだった頃の記憶」が一瞬で蘇ってきてしまうことがある。
好きな人の優しさ、心が暖かくなるような感覚、「好き」という感情。
結局は、そんなに簡単に「好きではなくなる」なんてことができるわけがなくて、やっぱりまだ好きなんだなあ、と自覚させられてしまう。
②好きでいたいかどうか
ー 好きでいたくないけれど 好きでいたい ー
好きな人のことを無理矢理忘れようとすると、「どうにかして忘れよう、考えないようにしよう」という時期と、「こうなったらもう最後まで好きでいてやろう」という時期 も交互にくる。
まずは、「どうにかして忘れよう、考えないようにしよう」期。
好きでいることが辛いから、早く「好き」ではなくなりたい。
「人として好き」という気持ちだけ残して、「恋愛感情」を消してしまいたい。
一日24時間のうち、20時間くらい好きな人のことを考えているのも
ちょっとしたことでメンタルを削られるのも
そのために時間を削られるのも、馬鹿みたい。
馬鹿みたいなことはもう辞めたい。
人に依存するのももう辞めたいし、ちゃんと自立して生きたい。
他人なんて少し心の支えにするくらい、ちょっとした気分転換くらい、にするのがちょうど良い。
自分のことをこんなに苦しませる相手のことなんて、そもそも好きにならない方が良いに決まっている。
ここまでが、「どうにかして忘れよう、考えないようにしよう」期。
次に、「こうなったらもう最後まで好きでいてやろう」期。
無理に好きではなくなる必要なんて別に無いし、好きなら「好き」のままでも良いのではないか、と思えてくる。
もはやここまで来たら、逆に開き直って、好きな人のことを一生好きでいてやろう、と思う。
諦めることを諦めた。
必死で「忘れよう、諦めよう」と頑張っていた頃の自分は本当にえらかったし、「よく頑張ったね」と褒めてあげたいけれど
もう頑張らなくても大丈夫だよ、そのままでいいよ、とも言ってあげたい。
「人を好きでいる気持ち」ほど貴重なものなんてこの世にないんだから、このまま苦しめられるのも、それはそれで幸せなんじゃないか。
もうこうなったら、最後まで苦しめられてみてもいい。
ここまでが、「こうなったらもう最後まで好きでいてやろう」という時期。
「好きではなくなりたい」「恋愛感情を消したい」と思っていたはずなのに、ずっとそれを望んでいたはずなのに、あっさり好きではなくなってしまったり恋愛感情がなくなってしまうと、なんとなく悲しくなってしまうこともある。
「この人がいないと生きていけない」というくらい好きになったこの気持ちは嘘じゃないのに、今となってはもう、その人がいなくても生きていける。
この事実が悲しくて、大切なものを失ったような喪失感に襲われる。
③会いたいかどうか
ー 会いたいけれど会いたくない ー
好きな人のことを無理矢理忘れようとすると、「ずっと関係を切らずにいたい」という時期と、「今後一切関わりたくない」という時期 も交互にくる。
まずは、「ずっと関係を切らずにいたい」期。
どんな形でも良いから、好きな人のそばにいたい。会いたい。
「ずっと関係を切らずにいたい」。
自分が好きになった人は、
恋愛感情以前に人としても好きで、尊敬もしていて、話していて新しい考え方を知ることができたり、新しい価値観に触れることができたり、「自分もこういう人になれるように頑張ろう」という目標が見つかったり、とにかくモチベーションになることも多くて
そうやって、自分自身を成長させてくれる人とは繋がっていた方が、結果的に自分のためにもなる。
まずこの考え方自体、自分本位になっている気はするけれど、生きていく上では自分自身が一番大切なんだから、仕方がない。
第一、せっかくそんな人と出会えたのに、そんな人と出会えることなんて人生で数回しかないはずなのに、こんなに貴重な出会いを無駄にしてまで関係を切ってしまうなんてこれほどもったいないことがあるわけがない。
とにかく、この貴重な出会いを無駄にしないためにも、死ぬまで関係を切らずにいたい。
あとは純粋に、「好きだから会いたい」。これのみ。
少し会えないだけでも辛い。
何をしていてもどこにいても、好きな人が頭の片隅にいる。
0.1 秒だけでも良いから、会いたいし話したい。
酸素補給のために一回だけ、一瞬だけ会わせてほしい。
しばらく好きな人と会えない可能性があると考えると、生きた心地がしない。
好きな人と会って話して、自分のことを見てくれて、同じ空間にいられるだけで幸せで
その幸せを死ぬまで失いたくなくて
その幸せさえ奪われないのなら、もう他に何を失っても良い。
そう思う。
次に、「今後一切関わりたくない」期。
自分の無駄な感情が面倒くさいから、好きな人と、一生会わずにいたい。
「今後一切関わりたくない」。
会ったら結局また「好き」になってしまうのもわかっていて、そのせいで自分が辛くなるのも、相手にも無駄に気を使わせてしまうのもわかっているから
それならもう一生会わずに、終わらせたい。
このまま一生会わなければ忘れられるのに。
好きすぎて辛いし、嫉妬で死にそうになるから、もう好きでいるのも一緒にいるのも全部辞めたい。
一旦自分の気持ちが落ち着くまで、好きな人と縁を切りたい。
一旦縁を切って、好きでいるのを辞められるようになったら、また元に戻りたい。
そんなことできるわけがないのに。
とにかく、「恋愛的に好き」という感情が本当に邪魔で、これさえ無ければ、普通に人として尊敬していて、人として好き、で終わるはずなのに。
どうして。
④好きになって良かったかどうか
ー 好きになって良かったけれど 好きにならなければ良かった ー
失恋後は、相手のことを「好きになって本当に良かった」と思っているはずなのに、「好きにならなければ良かった」とも思ってしまう。
この人を好きになれて本当によかった。
こんなに素晴らしい人を好きになることができて
新しい感情を知ることもできて
自分自身を成長させることもできて
本当に本当に、素敵な経験だった。
そう思う気持ちは、嘘では無いはずなのに。
この人に、恋愛感情を抱いていなかったとしたら。
最初から、「人として好き」でしかなかったとしたら。
今の自分よりも、もっとその人と仲良くなれていたのではないか。
そう考えると、「好きにならなければ良かった」と思ってしまう。
それでも、好きにならなかったらこんなに毎日が楽しくはなかったわけで、今の自分も存在はしていないわけで
「好きになって良かった」と「好きにならなければ良かった」が、自分の中でぐるぐると渦を巻いている。
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