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ハインリヒ・デンツィンガー 『カトリック教会文書資料集 ― 信経および 信仰と道徳に関する定義集』 : 日本語で読める、 貴重な一次資料集

書評:ハインリヒ・デンツィンガー『カトリック教会文書資料集―信経および信仰と道徳に関する定義集』(エンデルレ書店)

これはカトリック教会の現実を知る上で、重要かつ驚くべき一次資料集だ。
高価かつ如何にも研究者向け資料という印象を与えるため、非クリスチャンはもちろん、日常的にキリスト教書に馴染んでいるクリスチャンでも、ほとんど読んでいないはずだが、カトリックを論じるのに、これを読んでいるのといないのとでは、天地の差が生じてしまうと言っても過言ではない。誤摩化しようもない歴史的一次資料の(幻想破壊)力は、誰にも否定のしようがないものなのだ。

私はクリスチャンではないし、特定の信仰を持たない者だが、キリスト教に興味を持って、数年来、素人研究をしている。
まずは、カトリック、プロテスタント、非キリスト教徒を問わず、片っ端からキリスト教関係の日本語書籍を読みあさってみた結果、自ずとハッキリしたことは、キリスト教信仰の捉え方は、その論者の立場に大きく依存しているという、当たり前の事実だ。

殊にカトリックの場合は、教義の解釈をバチカンが独占しているために、異端認定や教会からの排斥の覚悟無くしては、すでに確定した教義を批判的に論じることは出来ないから、カトリック信者の著作は、イヤでも「眉に唾して」読まなければならないということになる。

しかし、キリスト教の歴史の大半は、ローマ教会を中心としたものであり、言い変えればカトリック教会の歴史なのだから、カトリック信者の書籍や資料を避けて通るわけにもいかない。
したがって、カトリック信者の著作を読む場合は、著者がいかに「学者」ぶっていたとしても、彼が「護教家」であることを充分意識しながら読まなくてはいけないし、一見客観的と見える「一次資料の引用」も、恣意的な切り出しではないかと疑わなければならない。
周知のとおり、キリスト教における説教では「聖書の恣意的引用」は家常茶飯であり、そうした習慣は「学術書」の形態をとっている著作においても、十分に疑ってかかるべきなのだ。

しかしまた、こういう読書は無駄に疲れるという事実も否定できない。すべての著者に対して「著者はこう断言しているが、それは本当に歴史的事実なのか?」「この資料の引用は、恣意的なものではないのか?」と常に疑いながら読むというのは、決して楽なことではないのだ。

だからこそ、一次資料を読むというのは、非常に重要だ。
だが、ヘブライ語やギリシャ語は無論、英語すら満足に出来ない者としては、一次資料は不本意ながら翻訳に頼るしかない。だがまた、一次資料を読もうという奇特な読者は限られているので、そうそう一次資料の翻訳書は出ない。
そんな中で、カトリック教会の歴史的な「生の声」を翻訳で伝えてくれる本書は、極めて貴重であるとともに、レビュアー「ostrichはOsterreichではない」氏も語っているとおり、非常に興味深く、面白い。

他の論者の考察を通してカトリック教会の現実を推理的に評価するのではなく、一時資料にあたり、直接自分の目で判断し評価できるのだから、自立的かつ客観的判断を重視する人間に、こうした一次資料が面白くないわけがない。

例えば、この資料集を通読すれば、不可謬であるはずのローマ教会の教令が、時代と状況に応じて、都合よく変わっていくのがハッキリとわかるし、それはローマ教会自体認めている。
では、この明らかな「矛盾」をどう正当化しているのだろうか。

本書P695「事項索引」の「教会の教導職の確実性」の「総論」から引用してみよう。

『(全教会の首位である、ローマ)教会には不可謬性が(キリストから)与えられている』

『教会が誤った(ことがある)という主張』は『排斥』される。

『教導職の文章に疑わしい点が含まれている場合は、その真意を汲み取るべきである』

これはどういう意味か。
要は、後の目から見たら、明らかにおかしなことや間違ったことを言っている様に見えても、ローマ教会の教導職は不可謬なのだから、間違うわけはないので、当然その『真意』は別にところにあったのだと「好意的に解釈しなければならない」、という意味だ。こんなことを、臆面もなく主張しているのである。
世間では通らない、こんな甘ったれた理屈も、ローマ教会は不可謬だということを前提にする「カトリックの信仰」の世界では、堂々と通用する、のだ。

で、現代日本人が読めば自ずと眉を顰めざるを得ないこういう部分を、当然のことながら、カトリックの護教的理論家はあえて紹介しようとはしない。逆に、現代日本人が好意を持ちそうな部分だけを「恣意的に引用」して、それがカトリックの不変の本質であるかのように論じがちなのだ。

だから、キリスト教の「歴史的現実」をリアルに知りたいと思う者は、キリスト教徒であるか否かにかかわらず、この貴重な一次資料集を読むべきであろう。

決して安くはない本だが、その情報量と価値も半端ではない。
小さめの活字による横書き2段組み。本文だけで600ページを超える辞典のごとき菊版の大冊は、読み通すのにそれなりに時間もかかるが、読み通したならば、聖書を通読したときの「これが聖書なのか!」という感想に似た、「これがカトリック教会なのか!」という、知的に展望の開かれる快感を、きっと味わうことが出来るだろう。

初出:2017年5月29日「Amazonレビュー」
  (2021年10月15日、管理者により削除)

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